法医学教室の思い出

高校の頃は、名の売れた学者になる、と思ってたんですけどね。
一流の研究もして留学もして、って。青雲の志ってやつ。
着々と勉強して、一流と言われる(京大って一流だよな?)医学部に入りました。
4回生の時、自主研究というカリキュラムがありました。
2ヶ月間の時間を与えるから好き放題なことをやってこいっていうもの。
夏休みに引き続く時期でしたので、休暇を返上したら4ヶ月の時間になります。
どこの研究室でも(臨床でも基礎でも)迎え入れてくれる。留学に生きたきゃ旅費は出さないまでも紹介状くらいは書いてやる、なにもしたくなければ無銭旅行してでもかまわない。何をしたとて特に成績に反映する訳じゃないけど・・・というもの。今もやってるのかな。


この自主研究が終わったら、本格的に臨床系の講義が始まるという時期でした。
私は法医学教室へ行きました。ネズミにコカインを注射して一定時間後に屠殺し各臓器のコカイン濃度を調べるという研究をさせて頂きました。
見事に、結果が出ませんでした。曲線なんてまるで書けませんでした。2ヶ月間ネズミを殺し続けてそれでこの結論の無さって何?と思いました。研究ってそんなものかもしれないけれどね、これは男子一生を賭けるにはリスクが大きすぎる。余程の信念があるか嗜好があるかでないと研究なんてなかなか手を出せんぞと身に染みました。ネズミたちには可哀想なことをしたとも思いますし。博士号でも一丁なんて半端な気分で手を出してはいかんと思いました。何や彼やで、卒業後も研修医のあと数年して大学院に入学して研究してというお定まりのコースは敢えて敬遠して臨床一本でやってます。
法医学教室ですから、その合間に司法解剖の見学をする機会がありました。中に、突然死した赤ちゃんの事例がありました。いわゆるSIDS。
そのときに教授が仰った、「多少気管内にミルクが入ってたって、それで窒息したなんて言っちゃいかんよ」という言葉が耳に残っています。赤ちゃんなんてしょっちゅうミルク吐くんだからね、と。お母さんのミスみたいに言っちゃいかんよ、と。
小児科の講義もまだ始まらぬ前でした。思い返せば京大での私の小児科修行はけっこう凄まじいところから始まっていますな。やっぱり凄い大学なのかな。
解剖室を出ると、お母さんが泣き伏しておられました。母子寮に入っておられたとの事でした。あれから10年以上経ちます。あのお母さんはいまどうしておられるでしょう。

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