それでも私は患者を治すのだ 自分が生きるために

不幸になれる権利 あるいは病気になる権利 死ぬ権利
一昨日に突然母体搬送されてきてその日に出生した22週の超早産の赤ちゃんに、2日間付き添っていました。昨日の午後に大量の肺出血をおこし、この未明に亡くなりました。
この子の誕生から死まで約37時間のうち、33時間ほどをNICUで共に過ごしました。人の一生を通しで最初から最後まで見届けました。つくづく因業な商売です。
この子の一生は何だったのだろう。私は問わねばなりません。私は傍観者ではないから。私がこの子を生かすと決めたのですから。分娩に立ち会い、分娩の衝撃で止まりかけたこの子の心臓を動かしたのは私ですから。自分が神だとか人だとか言ってられません。私にはこの子の生に責任があります。
自分は何のためにこの子を生かしたのだろうと、私は問わねばなりません。集中治療というのは決して痛くも痒くもないものではありません。耐え抜けば良い結果が待っているという前提があってこその母子分離であり気管内挿管であり動脈静脈ラインであり経管栄養です。孤独な保育器の中での集中治療しか経験しない生というのが、果たしてこの子にとって最善の生であったのかどうか、私は問わねばなりません。
代替案としてどのような生があったか。蘇生を最初から試みないという選択肢があったかもしれません。分娩後、そのままお母様に抱いて頂き、お父様やお兄さんお姉さん(1人ずついらっしゃいました)の見守る中で、ひっそりと数時間、ご家族で静かに過ごして頂くという選択肢があったかもしれません。私もそれなりに悪党ですから、それが刑事事件に発展するようなヘマはしません。それなりの経験を積んだ新生児科医としての私には、蘇生は不可能と判断しましたと証言する権威があるはずです。そもそも、22週というのはそれくらい厳しい週数なのです。
この子に挿管したとき、長期生存し退院してご両親の元で楽しく暮らせるようになると言う見込みを私はどれくらい持っていたのでしょう。正直申し上げれば、うちのNICUで生き延びた子のうち最も早産の子でさえも24週です。22週はおろか、23週でも生存退院した子はありません。傍観者の立場で冷徹に(幾分かシニカルに)考えるなら私如きが手を出すべき週数ではありませんでした。でも京都のNICUに人工呼吸管理可能な空床を持っていたのは私らだけでした。京都府外へこの母体搬送を送り出すのは無理でした。途中で墜落分娩してそのまま亡くなるのが目に見えていましたから。
立場上、分娩に立ち会う小児科医は赤ちゃんを生かしに来るのです。母体搬送の紹介元の産科開業医の先生も、赤ちゃんのご両親も、搬送を受けた当院の産科勤務医も、みんな、私が赤ちゃんを生かしに来るものと思っています。それが当然であると思っています。このシステムの流れに乗ってしまうなら、私にとって一番楽なのは、蘇生して全力を挙げて集中治療を施し、結果は赤ちゃんと天に任せるという、まさに今回私らがとった方針でした。
私に何ができたでしょう?
ひょっとしたら、分娩前に産科医に断ってちょっとご両親とお話させて頂けたかも知れません。うちの病院のNICUでの在胎週数別での生存率をお話ししたうえで、蘇生を控えるという選択肢があると提案させて頂けたかも知れません。おそらくご両親はそのような選択肢があるとは思いつきさえしておられなかったことでしょう。その選択肢を提示してこそのインフォームド・コンセントというものでしょう。
しかしそれで私の責任が軽減されるのか?
それは虫の良すぎる話です。
ちょうどクリスマスの頃に生まれる予定であったこの子が、いきなりこの夏の暑い盛りに超早産児として生まれてくると、ご両親が予期していたはずがありません。母体搬送の当日まで、今日中に分娩することになるとは思いもつかなかったはずです。
それに、親として、我が子を蘇生するかしないかの選択を迫られるという状況を、そんな過酷な選択がこの世にあり得るという可能性すら、医療関係者でもない若いご夫婦が今日の今日まで想像すらしたことがあったかどうか。
あるわけがありません。
この状況のご両親に、後々までそれが最善だったと納得できるような選択ができるほどに、冷静な判断力や余裕が残っていたわけがありません。そのご両親に、この、いずれを選んでも辛い選択を強いるのが、そして子の生死に責任を取らせるのが、先進的な医療倫理と称する代物なのでしょうか。それは単に私が何も知らないご両親に責任を投げているだけではないでしょうか。
どのみち、この責任を私が肩から降ろすことはあり得ないのです。私は傲岸に虚勢を張って、自分達は(親御さんも含めて)最善の選択をし最善の医療をこの子に施したとの、物語を語ったつもりです。せめてその物語がご両親を癒やしてほしいと思います。
研修医時代の師匠が、ワシは大嘘つきやからなあ、と笑っておられた意味が、最近分かってきたように思います。

ご出産おめでとうございます。

「萌える」ナース とは?
超未熟児の分娩は緊急のことが多いです。ちょっと出血したかな?と思って産科を受診したらその足でNICUのある病院へ送り込まれ当日中に緊急帝王切開になるというのが、よくあるコース。お母さんも予定外ならお父さんもなお予定外。仕事先にいきなり連絡があって「奥さんが産科に入院していまから緊急帝王切開です。」なんて言われた日には驚愕でしょうね。おいおい今日産科に行くって言ってたか?ってなものでしょうね。
数年前うちのNICUで緊急帝王切開で26週898gの超未熟児が出生した折、まだ驚きから覚めやらぬままにNICUに入室されたお父さんに、開口一番、「ご出産おめでとうございます」と挨拶したナースがおりました。超未熟児の入室直後の常で、人工呼吸器を調整してサーファクタント使って静脈ライン2本(末梢と中心と)と動脈ラインを確保して、と、準夜の大忙しの時間帯に私と彼女で奮闘して、彼女もへろへろに疲れていました。
後々まで、お父さんはそのときの感動を語っておられました。お父さんにとって、この赤ちゃんがこの瞬間に我が子になり、降って湧いた災難の源ではなくなったということでした。この子の病状はこの後も難渋を極め、今も歩くときにはすこし足を引きずりますが、元気に育っています。