積極的な治療を望まなかった外国籍の家族

ネオネイタルケア2004年8月号の特集は「NICU最前線:ファミリーケアの実際」というもの。その1番目に載った論文が、「積極的な治療を望まなかった外国籍の家族 言葉の壁を越えることはできるのか 川畑咲子・大森意索(東京都立墨東病院)」であった。
日本滞在中の中国人ご夫婦が重度の先天性神経筋疾患をもって生まれてきた赤ちゃんに積極的治療(気管内挿管とか)を拒否された事例、インド人ご夫婦が23週の超未熟児で脳室内出血や気胸を起こし心身障害必発の赤ちゃんに対する治療継続を再三拒否された事例、この2例を紹介して、文化に関する彼我の差を報告しておられる。


中国人ご夫婦の事例では、呼吸が不安定な赤ちゃんに対して、挿管による気道確保は徹底拒否されておられるのに、その他の細々としたケアの仕方が悪いとご夫婦はスタッフに苦情不満を述べ続けられたらしい。行間に筆者らスタッフの憤懣を読み取れるような気がしたのは感情移入か?呼吸の安定と栄養の改善は全疾患の治療の基礎だと私は思っているので、このような事例に遭遇したら私もかなり苛々すると思う。中国の文化では自分の不利益になることは徹底的に拒否することになっていて日本のような遠慮を美徳とはしないと筆者は報告している。利益不利益以前に論理の筋が通らないじゃないか、いったい君ら夫婦は子供を生かしたいの殺したいの?と聞いてみたい気にさえなる。都立病院なんだから制度上のトップは石原都知事なんだろうけど、彼はこういう事例に対して何を言うだろうな。指示不支持は別として好奇心としては聞いてみたいな。
徹底治療以外の治療方針を十把一絡げに見殺し手抜き治療と一括するのは軽はずみだと、理屈の上では分かりますけどね。ご両親にしてみれば、殺してくれと言ってるのに病院が強引に生かし続けてるんだから病院は文句を言わず自分らの言うとおり精一杯ケアするのが当然という思いがあるのかも知れない。到底自分達の事情では(祖国の障害者福祉の状況とか)育てていけないし、一人っ子政策のもとでは障害を持たない第2子を望むこともできないんじゃないだろうか。第1子が障害児であった場合の例外措置ってあるんですかね。障害児を抱えて福祉の恩恵にあずかるどころか子供が二人以上居るってんで迫害を受けかねないのではそりゃあ育てられないのも分かります。
まあそれに都立墨東なみの治療を中国でって難しいですよ。医療経済的にも。
中国の人たちは一人っ子政策のもとで障害児を授かったらどうするのかと、中国の政策事情の元での生命倫理を考えているのでしょうか。そこまで大上段に構えなくとも、妊娠中から、この子が障害を持っていたらどうすると予め考えておられるのでしょうか。不自由な事情の元でこそ人間は知恵を絞らねばなりません。中国の役人が、彼の国では法が人を裁くのではなく人が法を捌くのだとうそぶくシーンを何かで読んだ記憶がありますが・・・やっぱり殺しておいて死産扱いにするんですかね。あるいは経済的にリーズナブルな範囲のことをして終わりを待つのでしょうか。
文化が違えど子供を殺せと言って心の痛まぬ親があろうかと、その一線くらいは信じたいんですけどね。
インドのご夫婦の事例に問題点ははっきりしています。23週の切迫早産で母体搬送直後に経膣分娩っていう事例。23週なんて決して甘い週数じゃないのに、私の拙い経験でも緊急母体搬送即日分娩っていう子たちはさらに予後が悪いです。何日かでもうちの産科で妊娠維持できた後で計画的に帝王切開で生まれた子たちよりは脳障害の発生率が段違いに悪いです。このインド人の超未熟児も3日で脳室内出血を起こしご両親が治療拒否に至ったわけですが、はたして・・・・・母体搬送送り出し側の産科はこのインド人ご夫婦にどのような説明をしていたのでしょうか。
23週の超未熟児に障害のリスクなし等と説明してたら詐欺ですよ。感覚的には・・・そうですね、証券屋が株取引に際して損するリスクがないと説明するようなものです。それも業績の安定した大企業の株ではなくベンチャーの得体の知れない株中心の取引でね。
こどもの障害を親として引き受ける覚悟がなくては・・覚悟とまでは行かなくとも、せめて障害を残す可能性が高いよくらいは23週の超未熟児の母体搬送に挑む前に説明しておいてくれなくては・・・自分の病院から早く消えて欲しい一心で口八丁つかって都立墨東に送り込んだってんでは墨東も立場がない。論文の内容から察するにこのご夫婦はおそらく、23週の超未熟児がどれだけ予後が厳しいかと説明を受けていたら赤ちゃんの蘇生そのものを拒否されておられたことでしょう。蘇生を拒否するのならなにも母体搬送することもなし、やはり、そのまま送り出しもとの産科で分娩して、ご両親の元で短い時間を静かに過ごすという選択になったのではないでしょうか。それはそれで良いんじゃないかなと思います。文化の差と言っても、この状況ではもう助からないから静かに見送りましょうという選択を構造的に頭から拒否する文化ってそうそう無いような気がしますがね。みんな、心の中では、見送る選択もあるかもと思って居るんじゃないかな。そういう選択肢を思いつきさえしていればね。送り出し側の産科医師に至っては、思いつかなかったとしたらちょっとナイーブすぎるんじゃないかと思うし。事情を知った人間が言い出しにくいことを言い出す責任を果たさなかったという問題のように思いますね。このご夫婦が日本人であっても、これは問題となる事例だと思いますね。
ちなみに、判例では、重症の患者さんを他所へ紹介したが紹介先で不幸な転帰をとった(亡くなったとか重度の障害が残ったとか)いうときも、紹介元での処置は意外に問題にされません。責められるのは専ら紹介を受けた側で、紹介元は、適切と思われる紹介先へ紹介したんだから自分達の責任は果たした、あとは紹介先の問題だとシラを切って切り抜けることができます。裁判官はそういうものだと仰るそうです。業界の内部にいると釈然としないんですがね。だから中小以下の規模の医療施設では、やばいと思ったときには以下に迅速に自分の手元から放り出すかが勝負みたいになってしまいます。送り出すことで頭が一杯になるんですね。まあ、そうしてくれた方が助かることが多いんですがね(何で血管全部潰してから紹介してくるんだよとか思うことあるし)、生きているうちに手を放せばまるっきり紹介元は免責されるってのは行き過ぎのような気もしますね。
まあ、単純に割り切れないのは、一般的には予後の悪いことのおおい超未熟児たちも、中には、とんでもなく良好な発達予後を呈する子があるってことでね。みんな一纏めに見送ればいいとは言えない。それに、障害を残す残さないが幸せ不幸せと一対一に直結するわけでもないしね。障害を残すから殺してしまえと決め撃ちされると、今度は、障害児の父としての私が騒ぎ始めることになるし。

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