レイ・チャールズを何故に賞賛するか

ええ、他所で映画「ブルース・ブラザース」に出演したアーティストの中ではレイ・チャールズが最高だとコメントしました。なんかいかにも私がR&Bとかソウルとかに自信を持ったような書きぶりで、中にはご機嫌を損ねた読者の方も居られたかと思って追記。

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嘆くことの是非(1)

生まれ来る子の障害を覚悟できるか
各テーマ系列ごとの追跡を容易にするべく自己トラックバックの多用を試みています。以下本論。
のっけから若い医学生に忠告めいたことを申し上げたい。
人の心はべくとべからずとを基軸にして動くものではない。そんなふうには出来ていない。
嘆く行為は嘆かれる対象を傷つけるものであろう。我が子の有り様を嘆いてはならぬ。それが分からぬ親はない。
しかしそれでも嘆いてしまうのが人の心というものだ。倫理学と心理学が全く別物の学問であることに思いを致さねばならぬ。
べくとべからずとの軸は、人の心を支える回転軸にはならず、むしろ斜交いに人の心に突っ込まれ、その自在な回転を止める働きをする。
臨床にあって患者さんの心を考えるときは、この、べく-べからず軸をいかに挿入するかではなく、斜交いに何本も突っ込まれたこの邪魔者をいかに解除していくかと考えていくことだと思う。

生まれ来る子の障害を覚悟できるか

 取り敢えず出発点としての現実を認識することから始めよう。生まれ来る子に障害のある可能性を念頭に置いている人が実際にはどの程度居られるのか。Johnnyselfさんがご指摘のように、決して多くはないと思う。
 少なくとも、この問題に正対する人は少ないはずだ。だが、正対していないけど・・・という人はかなり多いのではないかと思う。
 外来に訪れる妊婦さんやご家族にアンケートすることを考えよう。「生まれ来る子に障害のある可能性を考えたことがありますか?」
相当慎重な質問が必要であろう。「縁起でもない質問」であるからだ。大抵の方は挑発されたように感じるだろう。怒り出す人も多いと思う。
この質問が社会的に禁忌とされている理由は、「みんな薄々は考えているから」ではないかと思う。考えるだに恐ろしい事態であるが、有効な打開策が見あたらず、考えても結論が出ない。結論のでない問題を未解決のままに抱えておくのは心理的に負担が大きい。耐えきれる人は予想外に少ないのではないか。耐えきれないために、そんな問題は無かったことにする。合理性には欠ける対処法だが、しかし心理的負担を糊塗するには有効な方法だ。
処理できない問題に対する対応として「問題の存在そのものを否定する」というのはごく一般的に見られる心理だ。鳥や牛の伝染病対策にせよ、原発の管理にせよ、なんでこんな放置の仕方をと後になって指弾される類の失態の裏には、迂闊さに加えて、この否認の心理が働いているのだと常々思っている。
最初のアンケートに戻れば、おそらくうちの病院の産科外来と、市内で大繁盛している産科医院外来とでは、答えは有意に異なると思う。潜水艦との違いは魚雷の有無だけというアメニティの当院産科にそれでもお出で下さる方々は、NICU併設という点に安心をお求めの方々であるからだ。逆に一般産科医院の外来では、妊婦さん相手にそんな質問をしたら、回答が得られる間もなく業務妨害で警察を呼ばれる羽目になるだろう。否認したがってるのは妊婦さんだけではない。
たとえアンケートの結果が違っても、それは、決してアメニティの良い産科に行く妊婦さんたちの思慮が足りないということを意味しない。検討に際して真に興味深いのは、回答の表面に現れた数字の違いではなく、回答を出すまでの妊婦さんたちの態度だと思う。その数字がどれほど妊婦さんたちの真意を反映しているか。調査方法を具体的にどうするかは心理学者の知恵が要るが(アンケートではなくインタビューにして回答者の態度を観察するとか)。
まだ書きたいことの4分の1も書けていないのだが、ここまで書いたら産科当直から母体搬送の連絡があった。NICUで待機します。

暇な小児科医ですみません

こういう働き方をする小児科医が居る一方で、当直だけどNICU落ち着いてるよとか言って午後の回診を4時半に終えたら一眠りして7時から夕飯を食って、テレビを見てスーダンの難民は大変だなと嘆息して、それからブログの文案を錬って、とアホな当直の仕方をしている医者も居ます。これから文献も読みます。
なんか申し訳ないな。すみませんです。
まあ、元来、NICU当直で泊まっている人間が救急外来が忙しくて睡眠30分なんて抜かした日には、NICUに専念すべきNICU担当に何やらせてるねんという監査が入って病院が終わるので(一日あたり7~8万円×6人×数年分の一括返還なんて求められたらもうお終いです)、NICUが暇なら大手を振って暇で居るんですけど。

「ショーシャンクの空に」

今日はセカンドオンコールの番。日当直が忙しくなったときに呼ばれる役回り。とりあえず午前九時から出勤して救急外来と一般病棟回診をする。でも一般病棟は入院1人だけだし外来も閑散としているし、日当直の若手が小一時間でNICUの朝回診を済ませてくれたので救急も任せて帰ってきた。
午後からレンタルDVDで「ショーシャンクの空に」を観た。
気分が鬱々としているときには、逆境で希望を捨てず耐え抜いて逆転する物語が快い。
原作はスティーブン・キングの「刑務所のリタ・ヘイワース」です。たしか学生時代に読みました。新潮文庫の「ゴールデンボーイ」に載ってます。春夏秋冬と四季に合わせて中編を四作というシリーズで、2作ずつ2冊になっていて、中にはかの有名な「スタンド・バイ・ミー」もあります。ちなみにホラーではありません。スタンド・バイ・ミーもホラーではなかったでしょ。
キングのストーリーテリングの天才ぶりは本作でももう面目躍如です。出演者たちも、ティム・ロビンズもさることながら、モーガン・フリーマンがまた良かった。「ドライビング・ミス・デイジー」で運転手の役をやった俳優さんです。彼を出演させるために登場人物設定を変えて黒人にしてしまったとのこと。
結末は原作を読んだので知ってるんですけれど、それでも最後まで観てしまいました。けっこう気分が晴れました。映画一本で紛れる程度の落ち込みでがたがた言っては、本格的に鬱で苦しんでおられる方々には申し訳ないような気もしますけど、でも良くできた映画ってのは気分を洗ってくれますね。

誇り高く

一度、ご自分のお子さんをじっくり見ていただきたい。そして、その子はあなたが待っていた別の子ではないことを、しっかりとかみしめてほしい。自分に言い聞かせてみよう。「この子は、私が期待していた子、予想していた子とは、別の子だ。子どもがお腹にいるあいだ、そしてあの陣痛のあいだ、思い描いた子とは、別の子だ。大きくなったらあれもいっしょにしよう、これもいっしょにやろう、と思っていたのとは、別の子だ。あの子は生まれてこなかった。この子は、あの子ではない」それから、静かにその場を離れ、気のすむまで嘆けばよい――ただしその子のいない場所で。それは、あなた自身のために必要な喪の作業なのだから。あなたは、失った子への思いを手放すことを学ばなければならないのだから。
そうして、もう一人の子を失ったことを受け入れられるようになってきたなら、戻ってきて、自閉の子どもをもう一度よく見ていただきたい。今度は自分にこういい聞かせてみよう。「この子は、私が待っていた子、予想していた子とは別の子だ。何かの事故で、空から私の目の前に落ちてきた異星人の子どもだ。この子はいったいどんな子なんだろう。どんな大人になるんだろう。でも確かに子どもにはちがいない。同じ種族の親と生き別れ、見知らぬ星にたった一人で不時着した、宇宙の子。だれかが世話をしなければいけない、だれかが導いてやらなくてはいけない、だれかが通訳してやらなければいけない、そしてだれかが権利を守ってやらなければいけない幼い生き物。この異星人の子は私の目の前に落ちてきたのだもの、その気になれば私が引き受けたっていいはずだ」
もしもこの話を読んで勇気がわいたという人がいたら、どうかわれわれの仲間になってほしい。勇気と決意とをもって、希望と喜びを手に、われわれのもとに集まってほしい。胸踊る一生があなたを待っている。


ニキ・リンコさんのウェブサイトから「我らの存在を嘆くな」の最終章を引用しました。リンクが切れていたのを修復しましたから、是非とも全文をお読み下さい。みなさま。
我が家はおそらくは代々の自閉症スペクトラムの家系です。ご先祖の話は変わり者の話ばかり。ただ3代前までの我が家は結核への対処の方がよほど大変で、少々社会性に欠ける性格などもう構ってる暇はなかったのでした。私と息子の違いは恐らくは質の違いではなくて程度の違いだけです。
息子と暮らす生活がそれほど悲惨なものとは思いません。日々が平穏に過ぎていきます。
200年前くらい、我が家が大村藩の下級武士だった時代なら、案外と、こいつもお城と屋敷を往復してそれなりのお勤めをしてたのかもしれないなって思ったりします。私とて迂闊に医学部に進まず会社勤めなんてしてたら今頃とおっくにリストラされてるでしょうね。どうも私は周囲にいる「普通の」人たちとはなにか違うらしいから。それは子どもの頃から薄々感じてはいるのですが何が違うのかは分からない。小学校や中学校の級友たちは折に触れ指摘してくれたんですけどね。好意的だったり苛めやからかい半分だったり態度は様々であったにしても。医学部の試験では記憶力は問われたけど社会性なんぞ誰も試験しないんでボロは出なかったし、その後も究極的に構造化された環境であるNICUに潜り込むことが出来たんで、まあそれなりには暮らしてます。
まあ、喰って行けてるんだからそれでいいじゃないか。誇り高くいこうや。
親父の私は身構えてますが、息子はそんな無用の概念には興味なく、リアルロボットの次のパーツのことで頭が一杯です。シンプルな生き方。よほど魅力的な人生を送れるような気もする。ちょっと羨ましいかも知れない。