嘆くことの是非(1)

生まれ来る子の障害を覚悟できるか
各テーマ系列ごとの追跡を容易にするべく自己トラックバックの多用を試みています。以下本論。
のっけから若い医学生に忠告めいたことを申し上げたい。
人の心はべくとべからずとを基軸にして動くものではない。そんなふうには出来ていない。
嘆く行為は嘆かれる対象を傷つけるものであろう。我が子の有り様を嘆いてはならぬ。それが分からぬ親はない。
しかしそれでも嘆いてしまうのが人の心というものだ。倫理学と心理学が全く別物の学問であることに思いを致さねばならぬ。
べくとべからずとの軸は、人の心を支える回転軸にはならず、むしろ斜交いに人の心に突っ込まれ、その自在な回転を止める働きをする。
臨床にあって患者さんの心を考えるときは、この、べく-べからず軸をいかに挿入するかではなく、斜交いに何本も突っ込まれたこの邪魔者をいかに解除していくかと考えていくことだと思う。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中