「都合」とはあまりに酷い言われようである。

一晩考えてみたのだが、やはりこれは申し上げておくべきではないかと思う。
昨日のコメントで、Octさんが「都合」という言葉を使われたことが、釈然としない。
「都合」という語は、相手ではなく自分の利害を優先して物事を決定する態度を暗に批難するときに使う語である。


私は、NICUのキャパシティを越える早産児出生の集中が、人為的にコントロール可能な原因で発生しているのなら、その原因をコントロールして集中を改善して欲しいと申し上げたつもりである。
これは果たして我々医療者側だけの利害を追求した言い草であろうか。
Octさんは、26週で破水して、陣痛抑制剤を点滴しつつ母体搬送を待つ身に、ご自身をおいて考えたことがおありだろうか。
ちなみにこの週数で出生してもNICU以外には生存できる場所はない。
その際に母体搬送を引き受けられるNICU施設が確保できるようあらかじめ配慮してあるということは、Octさんの利害に反することだろうか。医療者側だけの「都合」であろうか。
お考え頂きたい。
そもそも、医療者と患者さん(あるいは潜在的に患者の立場になりうるという意味での世間一般)の利害は、それほど(例えば新聞で喧伝されるほど)乖離対立するものであろうか。
私は、その根本においてはおおむね一致するものだと思うのだが。
医療機関に限らず、世間に存続している社会集団の利害が、世間の利害と根本的に相反するというのであれば、そういう社会集団を、普通は、犯罪集団と呼ぶ。
その医療の供給側の立場から、自らの仕事をよりよく行おうとする事が、患者さんの利害とまったく無関係あるいは逆行すると言うことがあり得るだろうか。あるいはこう問おうか。それを追求することが即ち患者さんの利害関係に逆行することだと言わんばかりの「都合」などという言葉で語られなければならぬことだろうか。

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