国旗や国歌に関して

私は国旗国歌を排せよとは思わない。国旗国歌を排斥することで日本国の歴史や政治に関する負の面に対して責任を免れるとは思いたくない。国旗を揚げると言われたら起立するし国歌を歌えと言われたら歌う。前記事に書いた理由で決して愉快なことではないけれども、日の丸君が代を攻撃したら日の丸君が代につながる歴史的責任から免罪されるなんて思ってるようなナイーブな奴だという自覚や誹謗の方がよほど辛い。
端的に言えば国立大学の医学部で学んで医師免許と国民皆保険制度のお陰で飯を喰ってるんだから国家から受けた恩恵の方がマイナスより遙かに大きいわけだし(私自身の実人生で国家から何かマイナスを被った具体例があっただろうか)。日本国のなかでもわりと陽の当たる人生を歩ませて頂いた立場としては、国旗国歌に抵抗を感じる人の抵抗感の由縁である歴史的な因縁を拒絶するわけにも行くまい。
ただ、国旗国歌が教育の現場で最高度の優先順位を要する懸案事項だとも思えない。せいぜい、数ある重要事項の一つという程度の位置づけが妥当なところではないかと思う。

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国歌斉唱と含羞

含羞という言葉を、前回のコメントに対する返答に用いた。
内田先生のブログにあった、自国の国歌を歌うという行為に関連する含羞という表現が、いままで自分の中にわだかまっていたものをぴたりと表現して下さったような気がして、物事が腑に落ちるときの爽快感とともに記憶していた。

それは自尊心に膨れ上がり、自信にあふれ、自慢話をしまくるだけでは足りず、「自分をたたえる歌」を歌い、「自分の旗」をつくって振り回す人間を見たとき、あまり尊敬する気にならないのと同じ感情の働きです。

自分の日記に「さわやか日記」という表題を選ぶ行為。たとえ自分の棋風が「さわやか流」と呼ばれるものであったとしても。他人に誉められる言葉をそのまま自分の日記に使える感覚が、なにかNHKのど自慢をみているような(間違えて日曜の昼下がりに床屋に行ったら地獄を見るんだ)、むずがゆい思いをさせる。一種お気の毒な、痛々しいような、とうてい見ていられないナイーブさ。

まあ、私が特に攻撃せずにいられない悪徳って全て「ナイーブ」で総括できるような気もするのだが・・・私が最も恐れるナイーブさは自分自身のナイーブさなんだろうなとも思ってたりして・・・まあそれは自戒するとして。もとより「こどものおいしゃさん」という自称は内田先生の仰る「子供」を相当意識した自戒のタイトルです。

そのナイーブな心理と、国旗国歌が最大の懸案と思いこんでしまう心理と、それを事もあろうに国旗国歌に一番傷つけられたであろうお方の前で口走ってしまう無神経さと、なにか根が通じるものがあるように思います。一人の人間がやったことに全く根の共通しないことはないだろうと言われたら論が終わってしまいますけどね。