私は国旗国歌を排せよとは思わない。国旗国歌を排斥することで日本国の歴史や政治に関する負の面に対して責任を免れるとは思いたくない。国旗を揚げると言われたら起立するし国歌を歌えと言われたら歌う。前記事に書いた理由で決して愉快なことではないけれども、日の丸君が代を攻撃したら日の丸君が代につながる歴史的責任から免罪されるなんて思ってるようなナイーブな奴だという自覚や誹謗の方がよほど辛い。
端的に言えば国立大学の医学部で学んで医師免許と国民皆保険制度のお陰で飯を喰ってるんだから国家から受けた恩恵の方がマイナスより遙かに大きいわけだし(私自身の実人生で国家から何かマイナスを被った具体例があっただろうか)。日本国のなかでもわりと陽の当たる人生を歩ませて頂いた立場としては、国旗国歌に抵抗を感じる人の抵抗感の由縁である歴史的な因縁を拒絶するわけにも行くまい。
ただ、国旗国歌が教育の現場で最高度の優先順位を要する懸案事項だとも思えない。せいぜい、数ある重要事項の一つという程度の位置づけが妥当なところではないかと思う。
卒業式で気になるのは卒業生の今後では無かろうか。会場の旗の揚がりようとか式次第の進行ぶりとかではなくて。
都立高校を卒業したまま行く先の無い連中ってけっこう多くなかったか?
フリーターとか言う名前を付けて貰って社会に認知されたような気分になっておられるかも知れないが、その名前を付けたのはリクルート社の関係者ではなかったか。フリーターが増え「自分探し」をする人が増えれば増えるだけ儲かる分野の企業である。
うちのNICUに入院した赤ちゃんには、医療ソーシャルワーカーが全家庭に面接し、家庭の状況に応じた社会資源の紹介を行う。
その面接票に「非課税世帯・父フリーター20歳・母無職」とか書かれてると、赤ちゃんの将来に自分では関与できない問題が見えて気分が重くなる。そりゃまあ新生児科医に出来る事って限られてるとは思いますけどね。でもねえ・・・この世知辛い世の中で定職無くて子ども育てるってけっこう辛い。
両親とも働いてないと保育園は預かってくれないけど保育園が子どもを預かってくれないと就職も断られるでしょうよってのはほんの一例。
20歳フリーターが作った赤ちゃんが13歳とか15歳とかになった頃にこのフリーター君は33歳とか35歳とかで定職に就けてるか?けっこう厳しいんじゃないか?中学生の息子が30台フリーター(「本当の自分」探し中)の父を素直に尊敬できるかどうか。世間では30台にもなってフリーターなんてあんまり尊敬してくれないと思うけどな。
しかしこの息子も定職に就いた大人というモデルを身近に欠いたままでは自分の将来像を描けるかどうか。フリーター再生産になるんじゃないかな。
書きつづればキリがないけれども、いったい東京都では、君が代を素直に歌うフリーター卒業生と、定職に就き次世代を育てる堅実な卒業生と、理想的な卒業生のモデルを考える際にどちらに軸足を置いているのだろう。
端的な話、都立高校卒業24歳フリーターなんて人が自分探しの彷徨中にイラクに立ち寄って人質になってしまったら、石原さんや米長さんには「自己責任だ」なんてうそぶくことは許されないと思う。国旗国歌に拘っているうちに何か教え足りなかったことがあったんじゃねえかと反省することになるだろう。