撤退するべきだったのかな

今回イラクから撤退するべきだったのかどうか、正直よく分からない。結論が出せない問題には言及しないという節度は必要かとも思う。一方で、何を考えて迷っているかという報告を挙げておくことも何らかの足しになるかも知れない。


損の得の言わず自国民を救うために兵を引けという考えが最も正当だとは思う。国益やメンツなどどうでもいいと敢えて言いきってしまうのが矜持と言うものだ。(ちなみに矜持と書いてやせ我慢と読む。誇りの重要な一形態である。武士は喰わねど高楊枝というのは美徳のうちに分類される心意気ではなかったか。)
自国民の生命を本当に大事にする国家だという名誉の立て方があろう。かなり大きい名誉だと思う。撤退を選択するのに仔理屈は要らん。シンプルに考えれば撤退は当然のことなのだ。
せっかく地震や台風の被災地を巡察中に知らせを受けたのだから、よっしゃあ自衛隊引き揚げてきてここの復興をやったるぜ!とかその場の勢いに乗って口走ってしまったら案外と上手くいったのかも知れない。他で言えばやけっぱちだと攻撃されても、あの場で言われて反対できる政敵はいない。ブッシュだって怒れんぜ。ある意味あのタイミングは天佑ではなかったのか?へっへっへ新潟3区はボロボロだぜ田中真紀子ざまあみろとかいう邪念でも邪魔したか?
しかし、撤兵することにした場合、人質一人の生命を救うために何人の人間が死ぬことになっただろうか。
堅固な陣地を遺したまま撤兵してその後に武装集団が居座ったりしたら、イラクの人たちにもとんでもない迷惑だろう。それこそ、自衛隊が遺した陣地のお陰で、無辜のイラク市民が何人も死ぬことになる。おそらく米国兵やオランダ兵も。であれば相応に破壊して更地にしないといけないだろうし、後で拾って利用可能な武器弾薬は全部回収しなければならんだろう。後始末は予想外に手間がかかるだろう。48時間では間に合わんかもしれん。
手間が多ければ乗じられる隙も大きくなると言うもの。まして自衛隊はこの規模での出兵も初めてなら撤退も初めてなのだ。戦闘なんてやったことないし。
軍隊は前進するときより後退するときの方が弱かったのではなかったか。確かに自衛隊は戦闘で消耗しているわけではないから必ずしも敗軍とは言えないが、襲う側にしてみれば、軍事的には本当に何もしないことが明らかとなった現在の方が、駐留開始時点よりも、襲うのに心理的抵抗は少なかろう。開始時点なら、まだ、こいつら切れたらアメリカとだって戦争やりかねん危ない奴らだという思い込みが残ってたかも知れない。今となっては、抵抗感どころか、折良く(折悪しく?)ラマダンでもあり意気軒昂ってところだろう。対する自衛隊は、なーにやってたんだろうな俺たち、という虚脱感の中で撤収中である。いわゆる「気合いの入り方」に彼我の差が随分とついてしまっている。
これでは自衛隊が一回の襲撃も受けず無事にクウェートまでたどり着けるかどうか怪しいものである。襲撃されたら応戦するものだろう。応戦しなければ自衛隊員に徒に死者が増えるだろう。しかし応戦すれば設立以来初めて自衛隊員が他国人を殺すことになる。
戦闘員が死ぬときに民間人も巻き込まれるのはあり得ない話ではない。いったい何人のイラク市民が今回の戦争の(あるいは「戦後」の)犠牲になってきたことか。
撤退の道で民間人相手の事故を一件でも起こそうものなら、50年もすれば撤退の腹いせに民間人を100人ほども虐殺したという逸話が現地でまことしやかに語られることになるだろう。カミカゼ攻撃をかけてきた民間人(の服装をした人)を一人でも攻撃したら、この100人という数字は1000人以上に膨れあがるだろう。人の噂とはそう言うものだ。
我ながら、冷酷でお利口さんな計算だとは思う。打算的として排撃されるべき態度ではあろう。でも、今回の人質を救うためなら自衛隊員とかイラク国民とかに二次被害を出しても構わんとはなかなか言えない。そういう計算の上での損益分岐点が那辺にあるかを狡猾に考えぬまま、名刺の裏に書けそうな簡潔な原理原則で動こうとするのでは、行動の奥行きの浅さにおいて、テロリストたちとあんまり変わらないような気もする。
そんなことを言って韜晦しているのは小泉さんや役人たちと変わらんとも言われればそのとおりだが。しかし、いつどんな状況でも適応可能な100%の解法があれば誰も苦労はしない。私だって医者なんて因果な商売は辞めて外務省に雇って貰う。そんな楽で美味しい仕事は他人に譲ってはおけない。
テロリストを犯罪集団とか許さんとか言葉で攻撃することに意味はない。こいつら何故こんな酷い事をするんだとこちらが考えることこそがテロリズムの目的だ。私たちが彼らをテロリストとして認識した、その時点で既にテロの目的は達せられている。
誘拐犯を信用できるのだろうか。誘拐犯との交渉では誘拐犯を信じるしかないというのが原則だとは聞くが、それでも疑えば疑うほどにますます怪しい。彼らが本当に人質を解放するかどうか。撤退する自衛隊に手を出さずに我慢できるかどうか。新たに人質を増やして要求をエスカレートさせないかどうか。
端的に言って、殺したくてうずうずしている奴らのように見えるのだ。主義主張以前に人を殺したくてわざわざ外国からイラクに入ってきた奴らなのではないかと疑う。敵が自分らの要求を容れてくれたらむしろ困るのではないか。強硬派の顔をするには人質を殺すことが最も効率のよい策だろうし。
私がテロリストなら、日本政府に言うことを聞かせる手応えを掴んだら、次は、米軍の撤退を米国に要求しろ、米軍が撤退しない場合は日本国政府が保有する米国債を捨て値で売り切れ、と要求するが。莫大な額の米国債を日本は保有している。撤兵の要求をのんだ日本なら本当に売るかもしれんという観測が立つだけで、米国債は暴落すると思う。無論日本も共倒れ。
まあ、ビンラーディンはそこまではしないかも知れないね。選挙に苦戦中のブッシュにとっては実に良いタイミングで顔を出してきたじゃないか。あれって応援演説だよな、一応。敵に回すにはブッシュの方がケリーよりも与しやすいと思ってのことだろうか。
テロリストたちの「大義」が、果たして旧関東軍の「八紘一宇」や「五族共和」以上に信用のおけるものかどうか、信頼するだけの根拠も担保もない。米国はイスラム世界に口を出すなと言うときに、彼らが言うところの「イスラム世界」というのはむかし日本が言った「大東亜共栄圏」と胡散臭さにおいてどれほど違うのか。大日本帝国だって大東亜共栄圏には口を挟むなと米国相手に吠えたものだが。
これまで伝聞してきたイスラム教の合理性と、このテロリストたちの非道さとが、私の頭の中ではどう考えても相容れないのである。そもそも無法なテロリズムを抑圧する教理を持たない宗教が現代までこれだけの規模で信仰され続けると言うことがあり得るのか?マルクス主義すら100年も持たなかったというのに。
じゃあどうすればよかったのか。
冒頭に書いたとおり、私には分からない。
結局、ここでクリアカットな解決法を探求するのは、肥壺に落ちた後になって、どうやってウンコまみれにならず家へ帰ろうかと考えているようなものではなかろうか。もう既にクビまでウンコに浸かってるっていうのに。いま考えるのに妥当なのは、どうすればウンコに溺れることなく壺からあがれるか、くっつけて歩くウンコをいかにして少なくするか、どうすれば帰り道を目立たず歩けるか、家に帰ったとしてどうやって風呂を汚さずに身体を洗うか、後々の人の噂をどうやり過ごすか、そのような類のことではなかろうか。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中