言葉の強姦
他人に何か強制するときはせめて自分の顔とリスクでものを言え。
何を強制するにせよ、「自主的に・・・するよう」強制することは卑怯である。
他人に何か強制しておきながら、その強制する行為のリスクすら回避しようとする卑怯さ。
「自主的に」やったことだからとその結果をも強制された者に負わそうとする臆病さ。
自分の顔すら見せられない、意思とも呼びがたい矮小な根性。
気高さの一片もない。虫酸が走る。
圧倒的な強制も決してこわもてな顔をしているわけではない。
怯懦な小役人の小心さが総体となって、全体主義を推進するのだ。
日: 2004年11月3日
やっぱこの戦争はやっちゃいけなかったね、とは思う。
後知恵は猿知恵とはよく言ったものだが。
肥壺に落ちるべきじゃなかった。小泉さんもブッシュさんを煽ったりせずに忠告するべきだったのだ。格好良く飛び込もうとしてるようだけどそれは肥壺だよと。
私らも南京を一直線に目指し陥落させてはみたけれど、結局戦争には勝てず、徒に大虐殺の汚名ばかり着ただけだったと。点と線しか確保できない戦略では侵略しても泥沼に嵌るだけだよと。私らも蒋介石なんかと嘗めてかかってたら毛沢東というのが出てきて大変に苦戦したと。
靖国神社にあれだけ熱心に参拝してるんだからそれくらいの教訓話はしても罰は当たらんのじゃないか?そもそも当時の枢軸国で国体を護持してるのは我が国だけなんだから、そういう教訓話って我が国しかできないよ。
超大国ったって、相手は所詮は独立以来200年ほどの歴史しかない青二才国家である。
都会の大学に行った隣家の長男坊が、1年目の夏休みにすっかり鼻高々で帰省してきて、初めての大学の講義で聞きかじった社会理論をべらべらと喋るのを、一応うんうんと感心して見せる、貧乏で学が無さそうだけど実は知恵に溢れた隣家のおじさんといった役回りはできないものか。ワシも昔は青かったからのう、とか、若造の弁舌の合間に遠い目でふと語った言葉の意味を、青二才はその後の人生の曲折を経てやっと悟るのである。
映画なら高倉健の役回りかも知れない。小泉さんは歌舞伎やオペラばっかりじゃなくて健さんの映画も観るべきではなかろうか。過去のある無口な男ってのが、侵略戦争の過去を追った国の最も適切な恰好のつけ方ではなかろうか。