やっと手をあわせてきた

昨日の土曜日、ようやく仕事の間を見つけて、亡くなった子のお宅へ行き、遺影に手をあわせてきました。遺影の笑顔に接して、亡くなったという事実を直視せざるを得なくなった感がありました。


当直や自宅待機の日程拘束が詰まっているとか、500~600g台の超低出生体重児が1週間おきに二人も生まれてしまったとか、色々とあって動けなかったのですが、いざ遺影に手をあわせてみると、肩が軽くなった感がありました。重さの絶対値が減ったわけではなく肩の上で担ぎやすい配置になった感じ。
しかしご両親には合わせる顔がありませんでした。いったい、突然お子さんを亡くしたご両親に会わせる適切な顔というものがあるのかどうか。そんな「適切さ」などかえって邪悪であるという考え方もあるでしょう。しかし、とにかく顔を出して合掌しさえすれば良いんだと言った開き直りもまた不適切でしょう。他の態度に比較してより適切な態度というものがあると思います。それ以上の解が無いと理論的に証明可能な解ではなく、現時点において取りうる解の中で適切さが最大である解を求めること。それは医療の現場において私たちがもっとも得意とする発想の形態です。
ご両親の重荷を消し去ろうとする解はすべて虚偽だと思います。じっさい、「まだ若いんだから忘れてしまいなさい」云々の小賢しい助言はご両親の心を著しく傷つけると報告されています。結局、約2000年前にナザレの大工が言った「荷物が重そうだね。俺がそっちの端を持ってやるよ。」という言葉以上の解を私は知りません。
それにしても私はもう少しあの場でマシな言動ができなかったものか。ひたすら、ご両親の思い出話を聞くのみでした。
ひょっとして、私はこの子に関して、患者という視点しか持ち得ていなかったのではないかと思いました。確かに病状は難儀な子で、患者として考えるだけでもずいぶん膨大なことを考えなければならなかったのですが、しかしこの子を一人の「こども」として語る思い出話の種を私は一つも持ち合わせて居なかったんじゃないかと思いました。寂しいことでした。
新生児科医は子どもの全身を考え、将来の発達を考え、家庭の状況など社会的背景も考え、云々と、子どもの全体を考えるのが任務だと思っています。三流から二流に昇格するのはアベリーとかボルペとか熟読してたくさんの「症例」に当たって技術と知識を磨くことで可能ですが、二流と一流の差はどれだけ子どもを全体的にみれるかだと思います。仕事にそういうフレームワークをもっていればこそ、開業して一番成功するのは小児科医の中でも新生児科医だと言われます。
しかし、仕事のフレームワークに準拠する限り、子どもを「患児」と呼ぶ視点を逃れられないようにも思います。新生児科医にとどまる限り、子どものどこかを見落としてしまう。
新生児科医として一流になるのもずいぶん遠い道のりです。理想の一流新生児科医が見る視点というのは広大なもののはずで、見落としがあるからとその体系を全否定するのは誤りだと思います。社会は金銭だけでは語れないというのは真実でしょうけれども、だからといって銀行の仕事が片手間仕事だということにはなりません。
でも、見落としがあるよと言う事自体は忘れてはならんなと思いました。銀行に社会の全体を把握したような事を語られては虫が好かないのと同様で。
ご両親にあわせる顔がない、という思いをはじめとして、その場にいる自分のあり方に適切な解がないと思わせられたのは、新生児科の教科書には「患児」が亡くなったときのご自宅の遺影の前での作法など書いていないというようなマニュアル記載漏れ的で即物的なお話ではなく、自分たちのフレームワークでは見通せないこともあるのだよということを今さらのように思い出させられたからではないかと思います。自分たちの認識のフレームワークの根幹に関わることを見せつけられての動揺であったかなと思います。
学生時代に高橋和己の小説で、血を流さなければ得られない認識もあるのだという記載に出会いました。今さらですがこの言葉に近づいたような気もします。

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