おたくじみたコンピュータ談義で今日の本題を忘れるところだった。
内田樹先生の著書やブログで「胆力」についてたびたび拝読してきた。例えば「内田樹の研究室:ゼミが始まったのだが・・・(2004年04月21日)」には下記の記載がある。
古来、胆力のある人間は、危機に臨んだとき、まず「ふだんどおりのこと」ができるかどうかを自己点検した。
まずご飯を食べるとか、とりあえず昼寝をするとか、ね。
別にこれは「次ぎにいつご飯が食べられるか分からないから、食べだめをしておく」とかそういう実利的な理由によるのではない。
状況がじたばたしてきたときに、「ふだんどおりのこと」をするためには、状況といっしょにじたばたするよりもはるかに多くの配慮と節度と感受性が必要だからである。
人間は、自分のそのような能力を点検し、磨き上げるために「危機的な状況」をむしろ積極的に「利用」してきたのである。
「ふだんどおりのこと」をしようとしたときに、その「ふだん」の行動を決める新生児科医というフレームワークがあんまりものを語ってくれなかったので予想外に狼狽えたのだが、しかし考えてみれば、あの場面では日本中の新生児科医誰でも一様に私のように言葉を失って黙り込むと言い切れるだろうか。
以外と、「肝の据わった」新生児科医ならそれなりの落ち着いた対応ができたのではないか?それがどのような言動になって現れるのか私には想像もつかないのが情けないが。