医師としての適性

「医師としての適性」がよく話題になる。昨日から、当直の合間に、それを巡る議論(医学生の書いたブログ記事を巡ってお前なんか適性ないから医者になるなと言う罵倒が投げかけられたもの)を読んでいた。
 一般的にも論じられるし、このブログも私自身の医師としての適性の検討を主要なテーマの一つとしている(実はそうだったのですよ)。胆力というのも、あるいは、その適性のうちかもしれない。
 しかし、医師ってそんな大層なものかとも思う。
 誤解しないで頂きたい。どんな愚か者でも医師がつとまると主張したいわけではない。他の職業だってそれほど甘くないでしょうと言いたいのだ。つまり、こう問いたいのである。
「あなたのご職業は、医者がつとまらなかった人間でもやっていけるお仕事ですか?」
 無前提にイエスと答える人が果たしてどれくらいおられるだろう。皆が皆ノーと仰る訳でもなかろうが(寛容な人も世の中にはおられることだろうし)しかし、大抵の方は、イエスと仰って頂くにも一瞬の躊躇はあるのではないかと思う。いかにも適性を欠いた医者を一人思い浮かべて頂きたい。そして、ご自身の職業が、彼または彼女に勤まるかどうか、ご一考頂きたい。
「舐めるな」というのが一般的な御意見ではなかろうか。
 私には、医者が勤まらない人間が他の職業で大成できるとは、にわかには考えがたい。
 むろん、挫折の後でご苦労されて他の道で大成された方も居られるだろうから、一概に全否定はしない。
 ただ、実感としては、「医者も勤まらない人間に何が出来るの?」というのが偽らざるところである。医師不適格とされるような人に、他に適した職業があるとは思えないのである。私自身にしても、医師の適性が豊かだとは決して思っていないのだが、他に出来る仕事がありそうにないので、医師の末席を汚させて頂いている。医者は無理だけどこれなら出来ますなんて今の私に言われたら該当の職業の人に大変に失礼なようにも思う。
「医師としての適性」が問題とされる文脈で、問題とされている「適性」は、基礎学力とか徹夜に耐える体力とかではなくて、もっと人格の根源に由来する種々の事柄だと思う。
おそらく「医師としての適性」の無さを指摘されるのは、人格に欠陥があると指摘されるに等しい打撃だと思う。例えば音痴だからピアノの調律師の適性はないよと言われるのとは意味合いが違うと思う。適性に欠けるから医師以外の仕事を探せと勧告されるのは、勧告される当人にとって医師以外に適職があるはずだからというよりも、これ以上周囲に迷惑を掛けないよう医師だけは辞めてくれと言う懇請である場合が多いのだろうと思う。
しかしこの「医師としての適性」として要請される種々の要素とは、恐らくは他の職業でも必須とされる項目ではないかと思う。それを備えていないと他の職業でも到底やっていけないとか、それを備えていれば医者でも大成するけれど他の職業でも立派にやっていけますとか。多分、適性を欠くとして医師を辞めた人間に、他で再起する道はかなり細いのではないかと思う。
 こう考えてきたら、医者って凄い仕事だなとも思えてきた。他の職業と全く同等に。大層なものか?という前言はある意味不完全な考えのようだ。撤回しては話の発端が分からなくなるので、まあ、発句として消さずに置くことにする。
 

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