30日の日直・当直勤務を終え、今日から2日までオフ。
本当はオフなんだけど、病棟に居る患者の過半数が私の受け持ちとあってはオフだよとはとても言えない。毎日回診に出てくる必要はあるだろう。現状では、オフの日とは「何事もなければ帰れる日」の事である。決して、「休んで良い日」ではない。
良くないよね。これは。
やっぱりシステムの透明性とかリーズナブルさとかは最大限確保するようにしないと新生児医療に今後は若手を呼べない。オフと言ったら普通はじっくり休養する日である。そう宣言して当直医に信頼が置ける日は強引に休んじゃったりする。私はね。若手はマメに出てくるから、私が当直の時に出てこられるとひょっとして此奴は俺を信用してないんかと邪推したりもする。でもオフの日にオフだからと言って休んだら怠け者扱いにされるってのが今の医者の仕事だ。そんなダブルバインドな気遣いを暗黙に要求する業界で真っ当な勉強ができるものか。真っ当な勉強が出来ない仕事に一生を賭けろと若い奴に言えるようなら私も腹黒い年寄りの仲間入りだ。
「自発的にサービス残業・サービス休日出勤・サービス泊まり込みすること」を医師の良心と考えるのは、私はそりゃあ悪意でそんなことをする奴は居ないだろうから良心なんだろうけどという程度の認識である。それよりはオンの時にいつでも超未熟児の緊急分娩に対応できるような体力を温存しておくほうが余程の医者の良心だと思う。疲れてると臍帯動脈の断端って見えにくいものだし600gの子の末梢静脈確保なんて徹夜明けの震える手で出来る仕事ではない。さらにはオフの時に安心して受け持ち患者を同僚に任せておける程度に、腕の良い同僚を確保して情報を共有してカルテをしっかり書いておくほうが余程の良心だと思う。一晩徹夜したところで26週0日700gの超未熟児は26週1日700gの超未熟児でしかないのである。38週まで徹夜するかそれともチームで診るかのどちらかなのだ。そしてこの子の38週がくるまでに少なくとも4人は新しく超未熟児が産まれるはずなのだ(それでもまだ他施設に比べたら少ない方だけど)。
今は凄く腕の良い若手(ひょっとしたら私以上なんじゃないか)が居るので、自分の受け持ち患者さんの親御さんには、「彼の言うことは私が言うことと思って下さい。常に同じ認識を共有するようにしております。それでもひょっとして違うことを言ったとしたらこっそり教えて下さい。まだ彼も若いので勇み足もあるでしょうから指導しておきます」と伝えてある。
昔、まだ神戸で初期研修中の1年目に、チーフレジデントとして救急で我々を教えてくれていた(ER1でのグリーン先生みたいな立場。性格的にはロス先生だったけど)3年目の先輩が一同を神戸の街に連れ出してくれたことがあった。一同、救急の過酷さに圧倒されていた頃であった。たしか元町あたりを歩いていた頃、遠くに救急車のサイレンが聞こえた。一同身構えたので先輩に「聞くな!今はお前らはオフだ!今はあれは関係ない音だ!オンはオン、オフはオフだ」と叱咤された。今に至るまで大事な教えだと思っている。
月: 2004年12月
お母さんプレイステーション
プレイステーション2本体を2年で遊び潰して買い換えました。どうもレンズが汚れたらしくてラチェット&クランク3がハングアップするようになってしまったので。一生懸命になにか読み込もうとディスクをキュルキュルと音を立てて回している気配ですが画面が暗転したまま先へ進めません。でも買い換えてはみたけれどそれでもハングアップの場所がずれただけだったので、あるいはディスクにかなりキズがついて読み取りにくくなっていて、買い換えてハングアップの場所がずれたのは読み取り時のエラー補正がどれくらいキズをカバーしてくれてるかの程度の差なのかもしれません。
本題。
電話相談事業の危険さ 2
電話相談には必然的に、無診察で治療してないかという疑問が付きまとう。一般診療では診察室に入ってくる足取りや顔色を見ることから既に診察は始まっている。言語で受け渡される情報は案外に少ないものである。
電話相談事業の危険さ 1
まさにご指摘の通りで、こんな事業は危なくて仕方がない。後述するがシステム自体が怪しいし、「説明会」の日程の決め方からしてその怪しいシステムを運用しようとしている京都府の担当者の力量もずいぶん怪しい。
京都府が小児救急の電話相談システムを立ち上げる
などと称して協力者を募ったら開業医の先生方にきれいに無視されたんだそうな。救急隊かどこかに親御さんからかかってくる電話を当番の医療機関に転送するというシステムらしいが。で、私立病院協会に話を持ち込んだところ、協会としては反対しないから個別に病院と交渉してくれってことになったらしい。そこでうちの病院にも話が来て、部長が乗り気になっている。
まあ、年間数千人は時間外小児救急を診てる病院だしね。イヤだっていったらかえって奇異かもしれないね。ただもう心配なのは、そんなものに手を挙げたが最後、お前のところの小児科当直はNICU当直だろうが!小児救急で二重儲けなんて不届き千万!新生児集中治療加算全額返却だあ!とかなんとか同じ京都府庁からお取り潰しの通達が来かねないってことで。とにかく相手は「お上」ですから。裏柳生の隠密からお家を守ろうとするくらいの用心深さが無いとね。
しかしまあ京都府のほうでも国から言われてるし予算使わないとまずいやって程度の認識らしい。やる気なんて全然なし。それが証拠によりにもよってわざわざ明日にその計画に協力しようと申し出た病院の関係者を集めて説明会をやるそうな。部長が出席するってんで明日は私は部長の代診で朝から晩まで外来詰めだ。ちなみにその後は当直だけど。でもねえ・・・協力しようと言う病院に嫌がらせかいって思います。明日は仕事納めですよ。年末年始の休業に入る直前の最終日ですよ。病院は大混雑に決まってるじゃないですか。そんなときに各病院の小児科の管理職を軒並み引き抜いていってどうするんですか。すっげえ迷惑です。たぶんこんな面倒くさい事業は「協力する病院がありまへん」とか何とか言って医療関係者のせいにしてお流れにしちまおうって魂胆だったところへ気の利かない病院が生真面目に手を挙げてきたりしたんで畜生って思ってるんでしょうね。
まあ部長は決して外来が上手じゃないし居眠りばっかりしてるから人数をこなそうという主旨なら私のほうがまだ速いけどさ、私は私で年末に入る前のNICUの最終的な確認仕事をさせていただきたいんですけどね。そりゃまあ病院勤務の小児科医に年末年始休暇なんてあるわけでなしって言われりゃ話が終わりますけどね。
だらだら潰した一日
今日は休日の自宅待機番。午前中は休日外来をやって、NICUの担当患者も少し診て、午後は自宅でうだうだ過ごす。何をしていたのか記憶にも留まらない時間が過ぎていった。
昨日は「戦場のピアニスト」を観た。ゲットーとか強制収容所とかの話は聞いていたがあんな風だったとは知らなかった。実に無造作に人が殺されていった。殺される側としても、殺される人間が何故殺されねばならぬのかの理由もなくいきなり列の前に出され銃殺されるのでは、むちゃくちゃな理由であれなにか理由があるのよりも恐怖が募る。その恣意性が抵抗力を見事に殺いでいっていた。
「夜と霧」でも書かれていた「人は絶望で死ぬ」という言説も納得がいった。あの先の見えない状況ではたしかに希望を失ったら生きてはいけない。でも私は病院を奪われ家族を奪われてそれでもなお生きようとしていけるだろうか。いつまで逃げ延びていれば救われるのか、先も全く見えない状況の中で。
俺はあの主人公のような状況でお前は何だと聞かれて「医者です」と答えられるだろうか。彼が「ピアニストです」と答えたように。そして何か弾いてみろと言われて己の命を救うような素晴らしい演奏ができるだろうか。
おそらく医者が職業だと思っているうちは無理なのだ。
未熟児の親御さん向けの本
買ったんだけど・・・厚い。
ペーパーバック1冊なのにアマゾンが「ペリカン便で送ったよ」とメールをくれるので、まーた例のでかい箱に本一冊だけ入れて送ってくるんだなと思ってたら、分厚かった。500ページくらいある。一瞬、コロコロコミックを思い出してしまった。凄いね。向こうの親御さんたちはこんなもの読んでNICUにやってこられるのだね。
書誌情報はライフログに挙げておきますね。まだ全部は読めてません(だって英語だし)。
謝礼
医療関係者への謝礼
そういえば貰った記憶があんまりないなあ。NICUを退院される赤ちゃんの親御さんたちは看護婦さんにどうぞと言ってお菓子をたんまり下さることはあっても、私にはくれませんね。我が子が誰に世話になってるかちゃんと見抜いておられます。
一番のお礼といったら、「先生、この子を抱いてお写真一枚とらせてください」ってやつですかね。「ブラックジャックによろしく」の心臓外科の先生がやってたような写真。私の手元には残らないけれども。でも、さぞや得意げな顔をして写ってるんだろうなと思います。やっぱ、仕事を認めていただいてるってのがいいんです。
以下、本旨を外れるかもしれないけれど。
娘の喘息発作
娘が夜中に喘息発作で寝られなくなり救急を受診した。受診というか、自分で診て吸入をさせて帰ってきた。それでも初診料と時間外加算や処置料は病院に払う。複雑なことではある。病院の施設を使い看護師にも手伝って貰ったのだから(当直婦長に笑われてしまったけど)払うことに異論はないのだが、それなら時間外勤務手当を請求したら頂けたのだろうかとは今になって思う。どうなのだろう。
自宅を出るときには、救急行くほどかなと疑問であったが、実際に聴診器を当ててみるとけっこう酷い音がしていた。他家の子ならどうしてもっと早く来ないと思うほど。なるほどこんな風にして夜中の喘息の子は救急にやってくるのかと認識を改めたことであった。
翌日からアルデシン吸入をはじめた。アルデシンとメプチンのエアロゾルを自分で処方して調剤薬局に持って行く。当然「吸入法は先生に聞いてお出でですか」と聞かれる。俺がその先生なんだけどとは思うが、私は人が悪いので「ええ、一応」と答えて調剤薬局の薬剤師さんに初歩から説明して貰う。他家の子に処方したときには薬局でどのような説明を受けているのだろうという好奇心もあった。けっこうきちんとした説明を受けて、親としても医師としても安堵して帰った。
小児用のピークフローメーターを吹かせて、アルデシンを2吸入させた。まだ少し調子は悪そうにしているが、小児科医としては自閉症よりもまだ手のつけるとっかかりがあるので少しは気楽なような気がする。
ちなみに医師は自分自身の薬を自分で処方することは御法度である。家族の薬というのも厳密にはよくないかも知れない。でも内心、うちの病院の小児科医の中で喘息を一番きっちり診ているのは私だと思っているので(だってピークフローメーターを渡して毎日記録を指導しているのは私だけだよ:そりゃ病院のレベルが低いんだって言われそうだけど)、最高の医師に掛かって何が悪いとも思う。「アレルギー専門医」なんぞに診せた日には猫を殺せと言われるに決まっている。
DPCだそうな
先だっての小児科カンファレンスで、未熟児新生児学会から帰ってきた部長が「医療費包括化」の話をしていた。いま大学病院とかから導入されはじめているシステムである。我々のところのような中小規模私立病院はおそらく最後尾での導入になるのだろうと思う。大学病院で四苦八苦されておられる先生方のお話を戦々恐々として聞いているところである。まあ、私はまだ管理職じゃないしってんで半分くらい他人事気分だが。
訳の分からないのは、病院毎の報酬総額に何か訳の分からない基準による 0.7~1.4の範囲の係数が掛けられるということだ。これこれの疾患を拝見しましたと例えば1000万円の支払いを請求したとしても、ある病院ではその請求に対して700万円しか保険からの支払いが無く、別の病院では同じ請求内容でも 1400万円支払いを受けるということだ。現実に大阪のある大学病院ではこの係数が0.7に設定されてしまってだいぶご苦労だとのこと。逆に石川県のある大学病院では1.4なのでけっこうほくほくだそうな(まあ、ほくほくったって以前ほどの左うちわではないんだろうけど)。
この係数を決める基準はそれまでの収益だそうなと部長は言う。今年は頑張るぞーとか言って熱心に働いて前年度比の例えば1.5倍とかの請求を出したとしても、それなら君のところの係数は1.0から0.8まで減らしましょうかねと言われてしまったらやる気がどーんと落ちる。逆にまあ適当にやってて前年度比2割引の成績しかあげられなくっても、それなら係数を1.2くらいにしましょうかと言って頂けたらあまり痛くない。
医療費包括化の主目的はむろん医療費総額の削減にあるのだから、こうすることで病院毎の支払い総額を頭打ちにし、しかも頑張って稼ぐ病院のやる気を削ぎおとしつつのほほんと怠ける病院を奨励することでなおさら医療費の伸びを防ぐというのは、目的には適うやり方なのだろうねと思う。凄く浅はかで賢しらな奴が考えることだろうと思うけど。
「一物二価」ってのは商売では決してやっちゃいかんことだよと、私は幼い頃に父に教えられた。今まで父の教訓が外れた例はないので(その割に父は貧乏だったが)、今回もたぶんこれは厚生労働省がやっちゃいかんことをやってるんだろうなと思う。同じ診療内容で病院間の報酬の格差が2倍あるんだから。
でも金融庁も羨ましいだろうね。銀行毎に係数を付けて、君のところは言うことよく聞くから係数1.4で預金総額を4割り増しね、とか、君のところ不良債権を片づける努力がぜんぜん足りないから係数0.8ね、とか言われたら銀行は震え上がるだろうね。お役所の言うことをよく聞くようになるだろうな。行政側は無敵になるね。ついでに贈収賄の温床にもなるだろうけど。預ける方はたまらない。銀行を間違えたら預金が2割減とか。そういう話じゃないのかな。
不透明で恣意的なシステムで支配下のものの生殺与奪の権を握り、しかも報酬ややる気をあの手この手でじわじわと削いで行く、まるで厚生労働省は徳川幕府である。そのうち参勤交代が復活するかも分からない。全国の病院の院長の家族は全員東京に住むべしとか、隔年で東京と地元を往復しろとか、往復の時には道中の各地で一流旅館を貸し切って散財しろとか、病院の格で部下を何人連れてこいとか。いきなり国替えとかあったりして、突然病院スタッフまるまる岩手県あたりに飛ばされたりとか。
医療費包括化をDPCと略するらしいが、これはおそらくDekirudake Poor & Cheap の略なんだろうね。