インフルエンザ流行ってますか?

インフルエンザが今冬はまだ流行らない。このまま今年はおとなしくしているつもりなのだろうか。例年、冬休みが終わるとインフルエンザが猛威をふるいはじめるものなのだが。
いつ第一波が来るかと不気味である。
それらしい患者さんには迅速検査をさせて頂いているが、流行の初期には余程の典型的な患者さんでないと陽性には出ない。一撃で39度以上に発熱して頭痛と倦怠感が激しくて、下腿に筋肉痛があって、咽頭発赤は軽めで。それが大流行の末期には、どう診ても普通感冒だろうと思えるような非典型的な人までインフルエンザ陽性と出るようになる。毎年。
やっぱり心の準備というものは私ら凡人には必要なので、自分の当直の夜にいきなり直撃ってのは厭だなと思う。
出勤してみたらNICUに新しいコンピューターが入荷されていた。いろいろ書類を書いたり症例検討用のスライド作ったり赤ちゃんの写真を保存したりするやつ。先代のiMacボンダイブルーはしょっちゅう熱暴走していたが、今回はDellのDimension4700Cである。ミドルタワーに冷却ファンがぶんぶん回っている。これで作業中にぶちっと切れられなくてもすむようになった。

地道で強靱な耐久力

ホームレスについて考える
 適度に微視的であることって大事だと思う。
 待合室の患者さんの数に圧倒されつつも淡々と一人一人拝見する。重態の患者さんの込み入った病状にも、一つ一つの問題点を地道に解きほぐして解決してゆく。一振りで全ての問題が消えて無くなるような魔法の杖は、臨床では期待しない。誰かがその杖や呪文を隠し持っているとは考えない。魔法を使えなくても地道な問題解決への参加を放棄しない。
 その地道さに耐える強靱な知的耐久力が、臨床には必須のはずだと、私は思う。焦らず、ゴールの見えない先の長さにへこたれず、明確な結論が出なくても、誰かのせいにすることで結論代わりとは考えず。
 ホームレスやなんかの社会問題も、病棟の窓から見える社会の風景は何となく一括りにしがちだけれど、でも医者なら臨床でものを考える態度で問題に当たるべきだと思う。どれだけ迂遠に見えようと私たちは患者さんを一人ずつしか治せない。福祉の分野でも、結局は現場で一軒一軒のケースを地道に対応していくことが、迂遠に見えて実は最も費用対効果の高いことなのではないかと思う。医者の私が、誰か魔法の杖を振って世間からホームレスを一掃してくれと願うのは、ダブルスタンダードってやつだ。魔法の杖を振らないことをもって行政の誰かの怠慢だとも言わない。私が言えないことを言えば、行政も魔法の杖もどきの施策を重ねて、その無効さを指弾されることになる。不毛である。

世界一ウイルスが嫌いな男の偉業

途上国の予防接種支援に770億円 ビル・ゲイツ氏財団
ちょっと前のニュースですが。ウイルスでは苦労なさっておられますしねなどと皮肉ってはいけません。どうせ金持ちの税金逃れだろとか言うのも不当です。その770億円はマイクロソフトに貫流されるひも付き援助だろっていう話も(たぶん)無いと思います。一介の皮肉屋としては

「この支援は、過去に行った投資の中で最良と確信している」

ってのはお言葉どおりだと思いますってくらいは言わせて貰ったりしますがね。
率直に、素晴らしい偉業だと思います。

身内の不始末に対する責任と謝罪

やはり私にも責任があるように思えるを敷衍します。
今回の記事に関しては、他のブログへの批判の意図はありません。くれぐれもその点だけはご留意の上で以下の文章をお読み頂きたいと思います。
私は、医者の立場でブログを書いているという共通点をもって、この女医さんを「身内」だと思っています。少なからず愚痴を書いている者として、また自分の狭量さを自覚している者として、身内としてもかなり近い位置にいるのではないかと思います。少なくとも、私がこの女医さんに関して全くの「他者」の立場から言及することには、些かの厚顔さ下品さを自覚し、羞恥の念を覚えざるを得ません。「お天道様が許さない」という抵抗感があります。

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やはり私にも責任があるように思える

遅ればせながら、患者さんを中傷した医師ブログについてに以下のメッセージを追加させてください。
今回問題とされたブログや報道をご覧になった皆様へ
医師の立場で医療に関するブログを書かせていただいている者の一人として、問題のブログに関して責任を感じます。申し訳なく思います。勝手な願いとは存じますが、せめて、御近くの医師に対する信頼が今回のことをきっかけに損なわれることがなければ、幸甚でございます。

娘が足を折った

足をひねって腓骨の剥離骨折だそうな。
昨日は当直だったから怪我をしたことさえ知らなかった。朝から整形外科の外来担当医に電話を頂いて、ギブス固定しときましたからと知らせて頂いた。剥離骨折にギブスまで要るのかとの論点はあろうが、しっかりした固定はすべての処置の基礎だと思うから、その当否を云々する意思はない。それにしてもどんな折れ方をしたのだろうと手の空いた折りにエックス線を見てみたが、剥離した骨片がきわめて微細で、整形外科医が書き込んだマークがないと全く分からなかった。こりゃあ俺が診ても診断つかんぞ。やれやれだ。昨日の夜のうちに救急に娘が来ていたらお父さんの面目丸潰れだった。
うちの小児科部長は小児外傷症例の9割は小児科医で間に合うが持論で、小児救急のプライマリはすべて小児科医が診ることになっているが、改めてプライマリ・ケアの難しさを思った。外傷も何もかもとりあえず引き受ける現状の方針が正しいのかどうか。
とりあえず、娘は3週間のギブス固定。当面は御転婆も出来ず読書三昧である。

遅ればせながら、患者さんを中傷した医師ブログについて

医師がブログで患者さんを中傷したので処罰されるというニュースがありたくさんの医療系ブログで言及されている。大方の意見は、公開の場での書き方としては浅慮に過ぎるというものであったと理解している。

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震災10年

震災から10年。朝から報道は震災一色。どんよりと気分が重かった。
あの地震の後、2月3月の状況を思い起こすにつけても、まだ新潟は被災地まっただ中なんだろうなと思う。インド洋沿岸のみなさんがどうしておられるか想像するのも恐い。
昭和30年頃の日本人はみんな戦争のことをちょうど今の私が震災のことを思い出すような生々しさで記憶していたのだろうか。であれば戦争を記憶している人々は私のかねてからの想像よりも長い期間にわたって生々しく戦争の記憶をお持ちになってこられたことなのだと思う。かつて私は歴史の本を読んではいとも簡単に戦争犯罪云々言っちゃってたけど、あの災害の中に駆け出しの医師として居たお前にも亡くなった方々六千人あまりの中の幾ばくかに責任があるのではないかと言われたら、あの時の無力感が未だ冷めやらず引きずり続けている私にはあまりに痛い。開き直って俺の何が悪かったと反論する事は私にはできない。只、そう言う事を問える君はおそらく私よりも背負うものが軽いね羨ましいものだねと、俯いて嘆息するのみだろう。
日常とは紙に描いた書き割りである。その紙が何かの拍子にうっかり破れてしまったら、その向こうに広がる空間には日常の風景が書き込まれているとは限らない。慌ててその紙を貼り付けて繕ったとて、破れ目の跡は残るものだし、破れ目から垣間見た非日常の世界が脳裏を去ることはない。(その破れ目から放り出されて日常へ帰る事が極めて困難になった子供たちがインド洋沿岸諸国には数多いと聞き、なお心が痛む)。
一度でもその向こう側を見てしまうと、自分の周囲の日常がそれまで信じていたよりも脆弱で危ういものに感じられてくる。その日常に対する虚無感と愛惜と、二つながらの感情を抱くことになる。自分のあり方にかかわらず当たり前に存続すると思っていた世界が、実は非力な自分ですら必死に参加して支えておかないと破綻しはじめるような有限の世界だったと気付かされる。
NICUに赤ちゃんを預けることになった親御さんたちは皆それぞれの家族の震災を生き延びようとされておられるところなのだろうと思う。ただそういう家族規模のマイクロ震災は発生していると言うことすら周囲には気付かれにくい。私らNICUをニッチとしている人間は、恒久的な災害現場で永遠に続く復興活動をやってるようなものなのだろうけど、自分達にとっては日常としか思えぬ場所がご家族にはまるで非日常の現場なのだと、それも祝祭的な場ではなく災害現場なのだと、忘れぬようにしたいものだと思う。
あの日私は神戸にいた。私のよりどころの一つである。

映画

新京極の弥生座で「犬夜叉」と「ハム太郎」みてきました。娘と一緒。あと何年かすればお父さんと一緒なんて絶対厭だと言いはじめるんだからと妻に言われました。そういうものか。
ハム太郎では松浦亜弥さんが大活躍でした。声優さんの中でも一番台詞多かったんじゃないかな。ハム太郎よりも台詞多かったですよ(ロコちゃんより多いのは当然ですね)。上手でした。松浦さんのファンなら彼女の声に浸りに行ってもよいのじゃないかと思います。
子ども相手でも直球勝負で言いたいことをきちんと伝える映画って良いなと思います。教育のためとか啓蒙のためとかではなく、制作者が本当に伝えたいことを子どもの目を真っ直ぐ見て伝えようとする映画だったと思います。2作とも。そういう「真面目さ」を私は昔からずいぶん茶化してきましたが、大事なことだよなあと今さら思います。おじさん化してきたのでしょう。
おじさん化といえば、ハム太郎に出演するまいど君の親父ギャグなど、ファンには「お約束」のシーンはいくつも出ていたのですが、最近そのマンネリに素直に笑えるようになってしまいました。そのうちバナナの皮で転ぶギャグを見ても笑えるようになるかも知れません。かなり危機的におじさん化してます。大人になりきらないうちの「おじさん化」ってのが危機でなくて何でしょう・・・そのうち「演歌っていいよなあ・・・」とか言い出すかもしれません。
帰り道、お腹が減ったねと言ってピザ食べ放題屋さんに寄ってきましたが、こういうときこそ「大人の行く店」にきっちり寄って娘の度肝を抜いておかないと中学生くらいになって親を舐めだしたときに同級生の彼氏の小遣い程度で行けるデートコースで舞い上がっちゃうことになるのかなとか、後で思いました。
頭が寒いよねと新京極の帽子屋で毛糸の帽子を新調しました。頭蓋骨の下に大腿骨二本ぶっちがいの海賊マークの帽子もあって、松本零士さんみたいで良いなあと思いました。ただ病院にはかぶって行けませんよね(医者がそういう帽子かぶって出勤してきたら引くよね)。「ブラックジャック」って海賊旗という意味もあるんだからという言い訳は通じないよね。