身内の不始末に対する責任と謝罪

やはり私にも責任があるように思えるを敷衍します。
今回の記事に関しては、他のブログへの批判の意図はありません。くれぐれもその点だけはご留意の上で以下の文章をお読み頂きたいと思います。
私は、医者の立場でブログを書いているという共通点をもって、この女医さんを「身内」だと思っています。少なからず愚痴を書いている者として、また自分の狭量さを自覚している者として、身内としてもかなり近い位置にいるのではないかと思います。少なくとも、私がこの女医さんに関して全くの「他者」の立場から言及することには、些かの厚顔さ下品さを自覚し、羞恥の念を覚えざるを得ません。「お天道様が許さない」という抵抗感があります。


身内か他者かというのは二者択一のものではなく、「私は(対象者に関して)誰それにとってよりは身内だが他の誰それにとってよりは他者である」という、「身内の度合い」の濃さ薄さで定量的に語られるものではないかと今回思いました。この概念で言えば、私はこの「身内の度合い」(身内度、とでも略しましょうか)が大多数の皆様よりもかなり濃いと思っています。
身内の不始末に関して、身内の者は「他者」に対して責任を持っていると思います。これはもう「世間はそういうもの」という程度の単純な根拠なのですが、全ての議論の始まりの「定義」とか「公理」とかいう類の言説ではないかと思います。
であれば、身内として第一にやるべき事は、まずは自分より「身内度」の薄い人たちに対して謝ることではないかと思います。不始末の分析や批判批難をするにしてもその後のことじゃないかと、私は思います。身内としての謝罪を省いていきなり問題の分析に取りかかると、読者の皆様は違和感を感じられるのではないかと思います。問題の矮小化を目指しているという印象を持たれたり、あるいはことさらに攻撃し自分のブログとの差異を強調することで自らを正当化しようとしているように思われたり。いや、既に批判しているブログに物申す意図じゃないですよ。あくまでも、自分が彼女のブログを非難するのを躊躇った理由を、後付ですが考察しているのです。
そういう根拠で、私はこのニュースを目に留められた、医療の「業界外」の皆様に、まず私は彼女を身内と思っている旨を表明し、今回の身内の不始末を重ねてお詫びしたいと思います。重ね重ね、今回の事件を機にお近くで頑張っている医師やその他の医療に関わる人たちに対する信頼が損なわれないよう、皆様のご寛恕を請わせて頂きたく存じます。虫の良いお願いとは自覚しております。
問題の女医さんに対しては、それはもう言いたいことは沢山あります。ですがやはり(謝罪の後であれ)私はここでは述べません。
幾ら謝罪して謝罪しつくせるものでもなく、謝罪の次の段階に後ろめたさを感じずに移ることはできそうにないというのが理由の一つです。
二つめの理由は、身内同志の話はやはり身内でするものだろうということです。(その割は同僚とか上司の悪口を書き散らしているじゃないかという自家撞着は自覚しております。今後は改めます。)コミュニケーションは本来の相手に行うものだと思います。いかにも聞こえよがしに他者の目前で身内に語り、その言葉をもって他者の寛恕を買おうとするのは、例えば海外で不始末をした身内を空港に出迎えてマスコミの面前で殴ってみせるような、錯覚混じりの作為的な痛さを感じます。
畢竟、身内の不始末に関して行うべきことは、身内とともに頭を下げることのみではないかと思うのです。
(いわゆる医療過誤の説明責任についてはさらにもう一段階ありますがここでは触れません。)
夏目漱石の「坊ちゃん」には生徒の悪戯を自分の責任のようにして謝る校長に坊ちゃんが呆れるシーンがありますが、読者の皆様にも、私が偽善的に「良い恰好」して心にもない「責任」を持ち出してきたんじゃないかという印象をお持ちの方も居られるかと思います。
そもそも「責任」に言及することで「良い格好」ができるということは、「責任を認める」という態度に世間一般の皆様はポジティブな評価を幾ばくか下さるということかと思います。実際、私もこうして自分の「責任」に言及することで、余録を期待していないわけではありません。
その余録とは、「こどものおいしゃさん」を脱却する手がかりを得ることです。自分が何を言っても状況は変わらんもんねと居直っては、発言に影響力のない「こども」の立場をいつまでも逃れることが出来ません。まずは自分に影響力がある「ことにして」、その影響力に伴う責任を引き受けるという態度をとること。その努力をまず自らがすることで、はじめて、ああ此奴の言うことを子供の戯れ言扱いにせずちょっとは真面目に耳をかしてやろうかと、読者の皆様に仰って頂くスタートラインに立てるのではないかと思います。
我ながら、けっこう、小狡いですね。
医療系ブログという「括り」は厳然として存在します。自分は「医療系ブログ」を書いていると思っている人が、私のブログをお読みになって、賛同されるにせよ反発されるにせよ、引力なり斥力なり働いて、その読者がお書きになるブログの軌道に修正が加わり、そのブログに影響されてまた次の読者が方向を変え、と、段階を経て距離が遠くなる毎に私の寄与分は減っていくのだろうけれども、影響力はそれなりに伝播するものだろうと思います。そうして一群のブログが全体としての方向性を持ち、共有する「雰囲気」とか「次元」とか「お作法」とかといった漠然としたものが変化していくのだと思います。その空気をいま在る形にしたこれまでの経緯に、私の「こどものおいしゃさん日記」が責任をもたないとは言えません。自分のブログが、数歩離れたら無限遠まで離れたのも同様になる程度の矮小な影響力しかありませんなどと認めてしまっては、そしたらブログなど悪戯してないで文献の一本も余計に読めよという話にしかなりませんから。

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