紋切り型の言い回しというのがいろいろある。たとえば列車は電車でもシュッポッポ。シュッポシュッポ言いながら走ってる汽車って実物みたことあります?
私が最もよく耳にする紋切り型は、聴診器を当てられた赤ちゃんに向かって親御さんが「冷たいねー」と仰るもの。今どき昔ながらの冷たい金属聴診器なんて使ってる小児科医居るのか?と思う。私のはリットマン社の小児科用、もちろん「non-chill」加工のされた製品である。冷たい聴診器が冷たいと糾弾されていた時代よりは余程快適なはずである。常に暖めてるし。
根の深い紋切り型もある。障害児が可哀想かどうかに関わるもの。
障害があるから可哀想、というのは紋切り型。
ビルゲイツも広汎性発達障害であったから自閉症だからって可哀想とは限らないというのも、(さるサイトでそう主張してある記事を読んできたところだけれど)残念ながら、自閉症児の親としては紋切り型に聞こえる。障害があるから可哀想というよりは余程高水準だが、もう聞き飽きました。この言説はあくまでも、障害があるから可哀想という一番低次元の言説に対抗するカウンターパンチとしての存在にとどまって欲しい。独立して存在意義を求める言説にならないで欲しい。
うちの子はビルゲイツでもアインシュタインでもないもの。実際に、こういう特異的な能力を持つ自閉症の人って自閉症者全体の中では少数派である。特にアメリカの映画では自閉症者は特異的な能力を持つことになってるが、あれは認識がエキセントリックに過ぎる。「レインマン」でカードの並びを全部記憶したりとか、「マーキュリー・ライジング」で国家機密レベルの暗号を一目で解読したりとか、そういう特殊能力を一般の自閉症児者に期待されても困る。
優れた能力がある障害児の例を挙げて障害があるからって可哀想じゃないと言われると、何の取り柄も無さそうに見えるうちの息子はやっぱり可哀想なんかなと思ってしまう。
障害を補って余りある能力を持つ人もあるから障害即可哀想ではないというのは、もう障害児の親としては聞き飽きて余りある紋切り型である。障害があるから可哀想と言われるよりは遙かに良いですよ。特定の分野に才能があってそれを生かしてゆく人生の幸福さも分かります。特殊な才能があったらおおいにそれを生かしてゆかれたら宜しい。祝福します。でもね、冷徹な事実だけど、障害児も障害のない人同様、取り柄のない平凡人であることが多いのよ。障害さえなければ平凡な人生を送る幸せを享受できるのに、障害があったら特殊能力を持たないと可哀想扱いってのは、ちょっと差別的な考え方じゃないかと思う。
それと、これも冷徹な事実だけど、高機能自閉者はかなり「可哀想」な人生を送っている。
ビルゲイツ氏の社会性の無さはマイクロソフト社が世間にどれだけ波風立ててるかをみても一目瞭然だけれども、彼にプログラミングの才能がなかったら、いったい彼はどういう人生を送っていただろう。想像してみて下さい。今のマイクロソフト社のように振る舞う個人を。羨ましい人生を送っているだろうか。マイクロソフトの社長ではなかったビルゲイツ氏と立場を変わってみたいと思う人、だれか居ますか?
高機能自閉者が就労に成功する率は中機能自閉者(幾分かの精神発達遅滞を伴う)よりも低いと聞いている。その原因の多くは周囲の理解の無さにある。彼らの抱える問題を周囲の者が(あるときは自分自身でさえ)理解できないことによる対処の不完全さ。頭は良いはずなのに何故いちいち常識を外れた言動ばかりするんだという冷たい視線。書き出したらキリがないけど(私の自伝を聞きたい?)、ビルゲイツ氏でもアインシュタイン博士でも無かった大多数の広汎性発達障害の子には、それなりの対処をしないと、やっぱり可哀想なんです。
