その譬えは正しくない

弐式沿岸警備日誌改の記事は全く正鵠を居ており、拝読して頭が下がる思いである。社交辞令ぬきにそう思います。最終段の、WEBの多様性を擁護する下りはとくにその通りです。説得力を持った記事を書くことが有用とのご指摘は反省させられます。
「殺人者」云々は私は本当にそう思ってるわけですが、やはりこの表現を医者として使うことが妥当ではないとの批判を他サイトで頂いたことなど考えると、やっぱり麻疹に対する認識は私と世間とでは乖離が大きいようです。(死亡率1000分の1+急性脳炎発症率1000分の1の疾患を他者に伝染させて、その他者が死んでしまったら、やっぱり未必の故意のからむ殺人だと思うのですがね。過失致死にとどまるのでしょうか。と、これはトラックバック先の記事と直接は関係ない話でした。)その認識の話から根気よくやっていかなければならないのでしょう。後進に教えられました。

 思い出しても見なさい。大学受験の時、あなたの親は何て祈っていたんだろうか。おそらく「うちの子が受かりますように」と思わない親はいないだろう。合格枠がある以上「うちの子が受かる」と「うち以外の子供が落ちる」は表裏一体のことなのだが、一方「世の中に受験失敗の悲しみを味わう子供が出ませんように」「うちのアホな子供より本当に優秀な人間がこの大学に受かって世のため人のためにになりますように」と祈る親御さんはほとんどいないだろう。親ってそういうもんだ。

この譬えだけは外してます。親心の解説としては当たってるけど、大学入試の競争で互いを蹴落とそうとする時のロジックで予防接種を考えることを肯定しているかと思います。もしもその大学が、「該当年度の受験者全体の成績をもって合格ラインを決定する」システムであったらどうでしょう。それも受験者の成績が良ければ合格ライン点数の絶対値が下がる方向で。今年はみんな凄く出来るから合格ラインを引き下げて全員合格だ!とか、今年はみんな成績悪いから受験者3万人いるけど満点とった3人しか入れねえよ!とかのラインの引き方をするとしたらどうでしょう。親心としては、みんな頑張ってくれと我が子以外の子も応援するのではないでしょうか。むしろ予防接種に関してはそのようなものだと思いますが。

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