自閉症児を連れて結婚式に呼ばれる

身内の結婚式に一家で呼ばれた。自閉症児をつれて出てよいのかと不安でもあったが(相手の親戚が偏狭であったら最悪の場合破談に至るかもしれないじゃないか)、既に伝えてあるとのことで、甘えて出させて貰うことにした。媒酌人も新郎新婦もその公的生活での関係者ご一同も医療関係者であるから、自閉症児の振る舞いをみて素人並みに立腹されることはなかろうと腹を括った。
息子が耐え抜けるかどうか定かではなかったので、舅と義弟も招待して、いざというときの子守役をお願いしておいた。結婚する当事者は私の方に縁の深い人だから、私の身内は子守で中座する訳にはいかない。
神前の結婚式には連れて入らなかった。式の直前に舅に預けた。いざ会場に入ろうという直前に舅のもとへ連れて行ったので、引き渡しに手間を喰って一同を待たせてしまった。そこで反省の1点目、子守役の人へはさっさと引き継いでおくこと。そのためにも会場に入ってから出るまでのスケジュールを分刻みに確認しておくこと。このスケジュール確認の甘さが後々まで尾を引くことになった。
式に息子を連れて入らなかったのは正解だった。いったい何がどのように進行するのか私自身知らなかった。結婚式(披露宴ではなくて)に出たのは生まれて初めてである。身内の結婚式にそんなことを言っては失礼極まりないことではあるが、しかし、耐え難い儀式だった。馬鹿馬鹿しいとせせら笑う余裕もない。とにかく居たたまれない。理性の表層をぶち抜いて無意識のレベルで鳥肌が立つというか、視床下部あたりに直接刺激を入れて脳をかき回される感じというか。息子を抑えておくどころではない。自分が走り逃げないようにするので精一杯だ。身内の幸せを願うことと、この式に付き合うこととは、次元の違う話のように思える。私自身は研修医時代にどさくさ紛れで結婚してしまったので式など挙げられなかったが、今にして、あれで善かったと思う。新郎がパニックを起こして遁走しては目も当てられない。
或いは、その式の開始直前に福岡を震源とする地震の直撃を受けたからかも知れない。10年経つがいまだに揺れるのが恐い。
披露宴には連れて入った。あらかじめ息子の喰えるもの喰えないものについて伝えておいたので、料理にもそれなりに気を配って頂いてあった。息子もこういうときに生まれて初めてコーンスープを飲んでみたりして、良いところを見せてくれた。出されたものをぺろっと平らげるというのは、案外、学校給食の薫陶かも知れない。給食の時間は特殊学級で一等の優等生である。
問題点として、最近の披露宴では新郎新婦の生い立ちをスライド上映するのだが、その際に突然会場が暗くなったので、息子は半パニックになり騒ぎ始めた。「壊れちゃった」などと口走るものだから背筋が寒かった。彼は折り紙をさせておくとしばらく集中できるので、準備してあった紙を与えて凌いだ。会場が明るくなってご歓談の時間になったら、後は機嫌良くしていた。
会場が暗転するとは親も予想していなかった。息子にも暗くなることをあらかじめ伝えておけたらまだ不安も少なくてすんだはずだ。自閉症児の親として未熟なことであった。失敗失敗。式次第を聞き出しておいて、息子が何をすればよいかの課題を準備しておくこと、また暗くなると不安がるのは分かってるのだから暗くなるタイミングをあらかじめ息子に伝えておくこと。以上を反省したのだが、もう身内で息子を結婚式に呼んでくれそうな人は残っていないから、後悔先に立たずってことで、お粗末だった。
娘が白のドレスで着飾って、花嫁の付き添いやなんかしっかりこなしてカバーしてくれた。いつの間にか敬語で喋ることも憶えていて、父としてはいよいよ鼻が高かった。ただよく見るとドレスの胸元をハンバーグのソースで汚したりしていたのだが、それはまあ8歳のことでご愛敬。

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