未熟児とか貴重児とか

幻 想 の 断 片に言及して頂いたので。
研修医の時、はじめてNICUに配属になったとき、指導の先生に言われたのが、
「出生後はじめての面会ではお母さんはみんな泣くんだわ。『こんな風に産んで御免ね』といってな。」ということだった。むろんお母さんに客観的に責められる謂われなんてないし指導医もお母さんのせいだなんて言ってはいない。お母さんがそういう心境になると言う事実を知っておけという主旨の指導であった。
その後多くのお母さんに接してみると、実際には皆が皆保育器の前で泣いてはおられない様子である。しかし顔で笑って云々ということもある。面会の時には、お母さんが極めて傷つきやすい状況にあるということは念頭に置くよう努めている。ときに忘れてしまうのが至らぬところで、お母さんが面会に来られる時分には出産直後の重篤な状況をほぼ乗り切っていることが多くて、その安堵感からついつい大したことがないとでも言うかのような気合いの抜けた対応をしてしまって後で臍を噛むのだが。
分娩直後でお父さんが単独でのご面会の時には、お父さんの初めての仕事として、まずは「よくやった」とお母さんに仰って下さいと申し上げることもある。次の仕事は夫婦で名前を考えること、そして書類仕事にあちこち走ってもらうこと。
前述したお母さんはどういう言われ方をしても、突然にまた必要もないのに我が子がもと未熟児であったということを想起させられたら、「未熟児」という言葉でなくても「小さかったのね」でもその他どのような表現でも傷ついておられたと思う。保健所にとって幸運であったのは、このお母さんがそれなりの社会的地位を持っておられる方だったのに本気の反撃に出られなかったと言うことだ。保健所長の首と肩の連絡はこの瞬間きわめて危うい状況に置かれていたのである。いや、真面目な話ですよ。
Mari先生御言及の「貴重児」これはもうこの言葉を発する人間の倫理観を真面目に疑う単語である。Mari先生仰るように、貴重でない子どもが居るんかいと思う。そういう言葉を口に出せる程度の知性感性の紹介元だと、妊娠分娩管理もさぞや粗雑なんだろうなと勘ぐってしまう。
知性感性云々と言えばMari先生へのコメントには無礼な書き込みをしてしまった。直截な指摘のほうがダメージが少ないかなと思った・・・というのは言い訳に過ぎないが。申し訳ないことです。結局は誤解だったし(実は最初のうちはどういうセンスしてるんだろうこの人はと思っていた)。
はてなのブログサービスにはコメントを後で削除したり編集したりする機能がないのかな。私の立場ではいったん書き込んだものは修正不能である。でも修正できないってことを念頭に置いて油断のない言動をとるようにと言われたらぐうの音も出ません。返す返すもあれは平謝りです。申し訳ないことでした。

ミドリ電化をよろしく

医師国家試験の最大の盲点は試験のヤマが外れた云々のことではなかった。試験に受かった後、さらに数万円の登録料が必要だと言うことだった。そんな金のことは聞いてなかった。医学部教育は文部省(当時)の仕事だけど国家試験以降は厚生省(当時)の役割だからね。文部省の所管である医学部で何で厚生省のお仕事の広報をやらねばならんってところだったのだろう。
本屋の店員をやって貯めていたお金は使い切っていた。田舎の両親のスネは最大限まで囓りきっていた。せびれば無理して工面してくれたのだろうが、なんとなく気が引けた。結局のところ試験が終わったら当面は何もすることがないのだし、アルバイトで稼ぐことにした。今から思えば本屋に復帰すれば話も早かったのに、何となく新しいバイト先を探してしまった。見つけたのがミドリ電化の店員。電器屋ってのも悪くないと思った。発表前日まで勤めた。試験に受かるとは思ってたけど、結果を聞かれるのは何となく厭だなと思った。登録に必要なお金はちょうどそれくらいで工面できそうだったし。でも今から思えば菓子折の一つも持ってお礼に行くのが礼儀だったかも知れない。
おかげさまで無事登録も出来ました。ミドリ電化を皆様よろしく。私を医者にしたのが世の中にとって良かったのか悪かったのかの評価は人それぞれだろうけれども、国立大学の医学部教育を6年間施した人間が医師免許登録料が払えなくて医者になれませんでしたってのも馬鹿馬鹿しいよね。