4月3日
終日OFFである。当直・自宅待機・オフ・当直と続くシリーズのオフがちょうど日曜に当たった。時間内勤務の出勤義務がないのでお休み。
妻も私も積ん読本をため込んでいる。お互いに本に関する出費には口を出さないという不文律みたいなものがある。
ちなみに互いの出費を云々言い始めたら、価格も高く当たり外れも大きい医学書を買い込まねばならぬ私のほうが圧倒的に不利である。
互いがため込んだ積ん読本をいつの間にか相方が読んでいると言うこともよくある。今回は妻が買い込んでいた「海辺のカフカ」を一日かけて読んだ。新刊で発売された当初に妻が買い込んでいたらしいけど、巷に溢れた広告や書評やがなかば強引に目に入るうち、何だか辟易してきて、夫婦とも手を付けぬまま本棚に突っ込んで保留扱いになっていた。
15歳の少年がこれほど賢いものだろうかとは思う。少なくとも私はもっと混沌としていた。15歳の頃何をしていたかほとんど憶えていない。たとえ小説であっても、同世代の少年がこんな風に賢くあることができるというモデルを提示されていたらどうだっただろうかと思う。当時の自分や自分の回りの少年たちが馬鹿ばかりだったという訳じゃない。私は混沌とした馬鹿にすぎなかったが、回りのみんなは全国ブランドの果物を産する農家の息子たちばかりで、実直でタフで世間知に溢れていた。親たちは子が勉強しすぎて跡を継がなくなることを懸念していた。家に畑が無くて勉強はちょっと出来て体力はまるで無くてという私が、当時の混沌を抜け出すためには、こんな小説を読むのも良かったんじゃないかと思う。
うちの書庫には本棚と猫の便所とキャットタワーや猫布団が置いてあって、普段は人よりも猫の居場所になっている。にゃん太郎はキャットタワーよりも本棚の上のほうがすきなようだが。最近は春めいてきて床暖房のない書庫でも快適に過ごせる。床に座り込んで「海辺のカフカ」を読んでいると息子がやってくる。例によって掃除を始める。床に散らばった本を本棚に入れ、猫布団をちゃぶ台の上にぽんぽんと積み重ねて、床に掃除機をかける。キャットタワーにこびりついた猫の毛や綿ぼこりは粘着ローラーを転がして取り除く。割と手際は良いのだが、床の隅の埃を吸えていないので、掃除機のノズルを尖ったものに付け替えることを教えてみる。吸い具合がよくて理解できた模様である。自閉症児が視覚的に掃除の効果を理解できるほどに埃を積もらせるなよとも自嘲する。
この子は(世間の抱く「自閉症」のイメージに反して)「独りで居る」ことが耐えられない人なので、片づかない部屋も自分一人で入って片づけようとまではしない。誰かが居ると嬉々としてやってきて掃除を始める。小説中に出てくる「ナカタさん」の姿が息子にダブる。ナカタさんは自閉症ではないけれど、息子のモデルをこの小説に求めるならナカタさんかなあと思う。こんなふうに日常生活も職業も自立していけてたらいいなと。
