ライブドアの堀江社長の言動に関して、とくに彼の「金で買えないものはない」云々の言葉に関して世間の反感が強いように見受けられます。例えば愛情とか尊敬とかは金で買えないという反論があるようで。
私も以前はそう思ってたんですけども。でも、私が以前に思ってたよりも金で買えるものは多そうだと、今は思っています。きっかけになったのは、ビル・ゲイツ氏が貧しい子供たちの予防接種に770億円相当の寄付をしたという報道に接して、急に彼を尊敬するようになったという経験でした。
金では買えないものがあるんだよという教訓を否定するものではありません。でも、はした金では買えなくても十分な高額なら買えるというものは、意外に多いんじゃないかと思います。人の愛情や尊敬は金では買えないと言われても、770億円でビルゲイツ氏は私の尊敬や愛情を買っちゃいましたよ。いまだに自分のノートパソコンをLinuxに換装せずWindowsXPのままにして、しかも文章を書くのに最近はemacsではなくword使ってますからね。パワーポイントも違法コピーせずちゃんと買ってインストールしましたし。Linux機を使う作業の最中に気分転換したくなったときもXbillなんかで遊ぶのは止めましたし。
愛情や尊敬と言った本当に貴重とされるものを金では買えないとしてしまうと、世間で愛情や尊敬を得ようとする努力が為されなくなるんじゃないかと思います。金にせよ手間にせよ自分が支払えるものでは本当に価値のあるものは購えないと諦めてしまって、結果として、自分が世界に対して貢献しようという意思さえ放棄してしまうような風潮に繋がるんじゃないかと思います。自分を、この世界に貢献できる可能性が無いと卑下して、寄生虫を自認したかのような無責任さで生きていくってのは、あまり魅力的な人生じゃないです。
欧米では一流どころの小児病院は運営予算の何割かが寄付金で賄われてたりします。小児病院のロビーとか目立つところには病院へ寄付した人の名前が金ぴかのプレートに彫刻されて掲示されてたりすると聞き及びます。そのプレートを見て向こうの人は素直に賞賛するのだそうです(その賞賛する風潮が新鮮に感じられたと、留学経験のある人に聞きました)。
寄付を下さった人に対して医療活動の内容をきちんと報告するとも聞きました。ヘボい事をしていると寄付が切り上げられたりするのでしょう。顔の見える寄付者にきちんと対面して報告できなければならないというのは、ろくな監査もないばらまき福祉予算に依存するよりも、余程健全なのかもしれません。多額の寄付が出来るほどのお金持ちってのは府庁や厚生労働省のお役人よりも物事を見る目がだいぶ厳格なのだろうなとも思います。
愛情や尊敬は金では買えないんだという思想の強い地域では、そういう金ぴかのネームプレートに彫り込んだ名前を見ると、成金が良い恰好しやがってとか、売名行為だとか、税金を払いたくないんだろうとか、いろいろ悪く言われそうです。そりゃあむろん税金対策の面もあるでしょうよ。そういう寄付は控除の対象になるんでしょうから。でも成金への悪口は何も生みません。悪口を書き連ねた紙を持って行っても医療機械屋さんは人工呼吸器を売ってくれる訳じゃありません。やっぱりお金を持っていかないと売ってくれないのは医療機械屋さんも製薬会社も普通の店と変わりありません。世の中の構造はそういう風になっていると言う事実は、よほどの世間知らずでもない限りは分かってるはずです。分かってるんなら寄付をする人に悪口を言うのは不当なことです。
まあ、日本では病院への寄付を事実上不可能にするような政策が出来上がってるのですけどね。思いがけなく寄付を頂くことになった病院でのお役所相手の苦労が、医師仲間のMLで語られたことがありました。
時には、こどもの生命とかいった、大変貴重で金では買えないとされるものが、毀損されようとしているのを、はした金程度の金額で救い出すことができちゃったりさえします。たとえば発展途上国でのワクチンとかね(安いですよ。ポリオワクチン一回20円とか)。
吉田神社の境内には神社に寄付をした人の名前が金額順に掲示されています。神様の御利益が金で買えるなら人間の愛情も尊敬も何だって買えるだろうよと私は思います。初詣の賽銭に私と娘や息子が使った金額でポリオワクチン2人分となると、賽銭箱にこの金を入れたらかえって神罰がくだるのじゃないかなと思います。
