私はナガサキに隣接する農村で育ち、原子爆弾に関する教育を他の都道府県(ヒロシマ除く)の子女よりは濃いめに受けた。
核実験が行われたとか原爆展が中止に追い込まれたとかいう報道に接するたび、あいつら原爆を全然反省してやがらねえなと思った。ナガサキのことを米国が謝罪したという話は聞いたことはないが、もし謝っていたとしても、舌の根が乾かぬうちに核実験を繰り返されたりしたら、謝られた気分には全然なれないだろう。何回謝れば気が済むんだとか言われたらなお腹が立つだろう。
別に謝って欲しいとも私は思っていない。原爆は確かに酷い話だったし想起させられたらムカムカするけれど、でもそれはまだ私の父も子供だったころの話だ。いまさら、今の米国のNICUに詰めて赤ちゃんを見守っている米国人新生児科医をとっつかまえて「謝れ」とか要求する気分にはなれない。彼らの原爆の惨禍に関する認識が私よりも甘いことを根拠に私のほうが倫理的優位に立っているとも思えない。結局のところ、酷い話だけれども過ぎた話なのだ。こちらから強いて持ち出す気にはなれない。向こうから蒸し返さなければね。
もともとこっちが売った喧嘩だという事情もある。開戦へと巧妙に追い込まれたという説もあるし、私もおそらくそれが真相だと思う。でもそれを公式に認めてしまうと、祖先を喧嘩っ早いちんぴら扱いにしているような気がする。選択肢の無い状況に追い込まれるというのは決して自慢できるお話ではない。
だけれども、もしも例えば米国大統領が太平洋戦争の勝利記念として、毎年8月6日にスミソニアン航空博物館に展示されている「エノラ・ゲイ」に詣でて、爆撃手の席に座り、朝8時15分きっかりに投下スイッチを入れるというのを、新たな習慣として始めたとする。これはかなり腹が立つだろうと思う。これは私人としてやってることなんだよと言われたとしても納得できないだろう。米国の政治家とか有力メディアだとかがこぞって、大統領が博物館に行って戦没者の冥福を祈るのは国内問題だから日本人があれこれ言うのは内政干渉だとか言い出したとしたら、此奴ら馬鹿扱いと卑怯者扱いのどちらを望んでいるのだろうかと訝しく思うだろう。
むろんブッシュは、ブッシュでさえと言おうか、それをやるほど馬鹿ではないし日米関係を軽く考えたりもしていない。
日本政府は東京大空襲の指揮をとった米空軍の将校に勲章を与えている。自国民を虐殺した敵国軍人に勲章を与えるってのは、彼が戦後どのような手柄を立てていたとしても(実際はそれほど大したことはしてないが)、国際的な標準から見たらかなり珍しい部類の行為だと思う。日本政府のこの論理によるならば、南京に攻め込んだ日本軍の指揮官も中国政府から叙勲があってしかるべきなんだろうが、さすがにこの珍奇な寛容さを見習う国は無いだろうと思う。その寛容さを貫徹するならば、今回中国で日本企業や商店を襲った面々にむしろ記念品くらい送るのが矛盾のない方針ではないか。
