謝らない2件

朝日新聞朝刊1面に、謝る気のない人々に関する記事が2件ならべて掲載されていた。1件目は奈良の少女誘拐殺害事件の被告、2件目は中華人民共和国政府。この版の組み方には政治的意図があるんだろうか。それとも期せずして皮肉になってしまったのだろうか。
デモ行進自体に関しては中国政府が謝る必要はないと、私は思う。民主主義においては容認されるべきことだと思う。謝る謝らないの議論が発生するのは破壊行為に対してだと思う。ただ私は、破壊行為に対して中国政府が謝らないことにも、かの政府はそんなものじゃないかなと思う。自国の国民が行った政治的行為に関して責任を取らないってことはこの政府は中国の全人民を代表しているわけじゃないんだなとは思うが。でも、そりゃそうだよ彼の政府はプロレタリアート独裁の政府で・・・と考えてみたら、成る程それも一理あることかと思う。まあ少なくとも、政府がその行為に対外的責任を取らない人間ってのは、その国のメインストリームに乗った人間じゃあないんだろうなと思う。
まあ、それはともかくも。


テレビで報道される、日本総領事館に投石する面々の表情には、真面目さや悲壮さがあまり読み取れなかった。むしろ咎めなく破壊行為に及べるという祝祭的な解放感が感じられた。例えば刑事犯として告発されるとか職場で懲戒されるとかのリスクがあってもこの面々は同じ事をするのだろうかと疑問に思った。そういうリスクを念頭に置きつつも止むにやまれず破壊行為に己を賭けるという覚悟を、報道される映像には微塵も感じることができなかった。
規範に反する行為に実際に及ぶかどうかの判断が、我が身に不利益が返ってくるかどうかによるという、そういう意思決定のあり方は、あまり尊敬する気になれない。崇高なメッセージを伝えるためなら規範に外れた非礼も許されるという考え方が世界の進歩や改善につながるとは全然思えない。むしろ、自分には正義のために他者を蹂躙する権利があると考える面々によって世界は邪悪な方向へ堕落してゆくのだと思う。
まして、非礼を行うに際して、内的な良心に反する苦渋ではなく祝祭的な解放感が表情に出るような人格では、たとえば、いたいけな美少女が眼前に現れ、現在も将来もこの少女を庇護する存在が誰もいないと知ったときに、どういう行動に出るだろうかと疑う。あまり想像したくない光景が展開するのではないかと思う。
ショーウインドウが破壊され飛散したガラス片の映像をみて、ナチ勃興期のユダヤ人襲撃とはこういうふうだったのかとも思った。まだ日本企業には日本国が後ろ盾に付いているぶんマシなのだろうけれども。ユダヤ人を襲撃した面々も、自分達としては崇高な愛国精神に基づいて止むにやまれぬ行動をしていたつもりだったのではないか。あの投石していた面々が制服を着せられたら突撃隊の出来上がりだ。突撃隊のファナティックな行動の波に乗って一気にナチズムは政権を取った。そして突撃隊の行動に溜飲を下げていたドイツ国民は、気が付いてみれば自分達自身が二進も三進も行かない泥沼にはまりこんでいた。
ヒトラーの政権が確固としたものになると、突撃隊の知恵のない野蛮さはむしろナチ上層部に疎まれるところとなり、突撃隊は早期に粛正され、親衛隊に取って代わられることになった。いま日本総領事館に投石している面々も、あまり中華人民共和国政府の庇護が永遠に続くとは思わぬほうが良いのではないかと、老婆心ながら御忠告申し上げたい。現時点でさえ、君らの政府は君らを人民のメインストリームとは認識しておらず、君らの行動に責任を取ろうともしていない。それは君たちが政府から切り捨てられる前兆なのではないか。君たちが愛国の美名の元に投げているその石が、いずれはやはり愛国の美名の元に君たち自身へ向けて飛んでくるかも知れないという可能性を考えてみたことはないのか。その時に愛国のためならばと甘んじてその石を受ける覚悟が君たちにはあるのか。君たちに受ける覚悟の無い石を、幾らこちらへ向けて投げられても、そんな腑抜けた石には何のメッセージも載っているとは思えない。

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