携帯機inspiron300mのACアダプタを紛失してしまった。重さ1.3kgのinspironは同じ体重の極低出生体重児なみに腹を減らすのが早く、何時の間にやらすっかり放電して気を失っているので立ち上げようがない。まあデータ満載の記憶デバイスを紛失したと言うのよりはなんぼかマシだしと、あの蒲萄はすっぱいに決まってる的な言説を弄して自分を宥めておく。どうせ自宅の居間の混沌のなかに埋もれているはずなので、明日帰ったら掃除ついでに片付けだ。
こうして書き込みができているのは医局にiMacを置いてあったお陰である。不意に電源が落ちることが度重なり皆の堪忍が切れてNICUを廃棄処分になりかけたのを拾ってきたもの。救っておくものだねと思う。もしもこのiMacもないままACアダプタを本当に買い直すことになってしまったら、手元に届くまでの数日なり数週間なりが医局からネットに繋げずちょっと難儀したところだ(遊んでいるわけじゃなくて仕事にもメールとか使うんです)。
ハードディスクを掃除するついでにVineLinuxを入れてみた。MacOSのままだとファイアウォールソフトを入れろとかなんとか上が五月蝿いので。昔からVineは日本語環境に優れていると聞いてはいたが、.emacsをいじらなくても秀麗なフォントで日本語が書けるので驚いた。TeXもyahtmlもお仕着せでインストールしてくれてある。なんで昔からvineを使ってなかったかなと後悔するほどの快適さ。
月: 2005年5月
正しく弔うこと
yamakaw さまへの返書
丁寧なご回答をありがとうございました。貴地での具体的な状況は私の想像を絶するものでした。心臓血管外科医が他院の応援に行くときは心臓血管外科手術の術者をやるものだと、無根拠に決め込んでいました。帝王切開の加勢までなさって頂いていましたか。なんと我々の分野がそこまでお世話になっていたとはと驚きました。お礼の申しようもないです。
新生児科医としてはその帝切に新生児の蘇生ができる小児科スタッフは立ち会ってるのかなと、新たな危惧を感じてもいるのですが、これはabsinth先生に応答責任を求める事柄ではありませんね。失敬。
傍目八目とは言いますが
ちょっと怒ってみるを拝読して、口を出させて頂きたくなりました。
小児救急や新生児の問題はまだ世間に認知されてるだけマシなんだなというのが率直な感想ではありました。この人知れぬ激務には敬意を表します。日夜こうして世の中の幸福の総量を嵩上げしつつあるお仕事に感謝したいと思います。あとはお体に気をつけてと続くのが一般的なご挨拶なのでしょうが、それで済むなら他人事です。医師免許持ってる人間が一日3時間も寝てない人たちに「身体に気をつけて」と申し上げるのはあたかも映画「火垂るの墓」で兄妹に「滋養をとれ」と指導した医者にも似て些か職業的誠意を欠くように思います。それに、absinth先生の大学病院にもNICUはあるんだろうし、NICUではたとえば超低出生体重児の動脈管がインダシンでは閉じず心臓血管外科に頼んで結紮術を行うってのはそう稀な話でもなし、大学病院なら完全大血管転位とか三尖弁閉鎖とかの赤ちゃんも入院して来られるのでしょうし、心臓血管外科がこの為体ではどうするんだよと考えたら、新生児科としても隣科の内部事情だと澄ましては居られません。
私の目にはabsinth先生の置かれた状況の問題点はかなり明白なように思います。なにをどう改善したらいいかも、はっきり、分かり切ったことだと断言させて頂きたいところです。傍目八目もしょせん八目に過ぎないのですが、その八目の読みを述べ立てさせて頂きたいと思います。その通りに打てるかどうか、その現実的な可能性云々はさておいても。
足りないんじゃない。多すぎるのです。些事が。切り捨てるべき事柄が。
まず何故に外の病院へ応援に行くんだと不思議です。応援に行くって事は、つまりは、行ける範囲に心臓血管外科の手術ができる病院があるってことですか?ここにまず矛盾を感じます。
それはつまり中途半端な規模の心臓血管外科が近所に乱立しすぎてるってことじゃないでしょうか。片端から潰して医者を引き揚げてくるべきです。たとえばの話、absinth先生の施設から車で日帰りの距離に、病床10床常勤1名で隔週1回だけの手術には非常勤の応援が要る心臓血管外科なんかがあったとしたら、はっきりと無駄です。定食屋と称しつつ飯とみそ汁以外の料理が出せない食堂みたいに無駄です。その常勤一人が大学にいれば並列の手術をもう一列増やせるってことはないのでしょうか。誰かがもう1時間余計に休めるってことはないのでしょうか。
半端な心臓血管外科を潰せというのは、地域医療を切り捨てよという主張ではありません。地域に広く浅く展開するのが地域医療だという御意見の方は、極端な例として、医局みんなで一人一軒ずつ診療所を開業した状態を考えてみられたらよいのです。手術の一つもそれではままならないでしょう。現実にはスケールメリットというものがどうしようもなく存在していて、たとえばの話、病床20床に常勤4人の施設が2つあるよりは40床8人の施設が1つのほうがこなせる仕事の量は遙かに多いのです(教育のレベルも高くなるというのは本学心臓血管外科米田教授の主張でありabsinth先生もご存じの如くです)。現在の医療経済においては、地域医療の充実が急務であるが故にこそ、半端な施設に存続を許す余地はありません。医者一人の診療所と無限に巨大な病院との間のどこかに、その地域での規模の適正値があるはずなのですが、おそらくabsinth先生がご活躍の地域に適正な規模はabsinth先生ご勤務の大学病院よりも大きく、施設の適性数は地域に現存する数よりも少ないのではないでしょうか。
スケールメリットに関して言えば、それは病院に限らず、例えば障害者の共同作業所や重度心身障害児者の入所施設など収入が利用者数に比例する施設にはほぼ普遍的に存在する。卑近なところでは僕らのNICUもまた、ちっこいNICUが林立するよりは大きいセンターが一つのほうが、その地域の周産期医療の成績も新生児科医の「経験値」も格段によくなるものなのだ。
外来も止めるべきです。3時間の睡眠も確保できない心臓外科医が外来で何をしてるんですか。そもそも循環器の患者さんの外来フォローは循環器内科がやる仕事じゃないでしょうかと、内科系の端くれとしては思えてなりません。病棟仕事も同じです。手術室で集中治療科に引き渡すか、術後管理が終わりしだい循環器内科に差し戻すか、どちらかなんじゃないでしょうか。心臓血管外科医が術後管理を過ぎて退院までの慢性期管理や外来フォローまでやるってのは、産科医が超低出生体重児の発達健診に手を出してくる様な(そんな産科医は居ないですけどさ)状況に一種通じるものがないでしょうか。足りない手はその手でしかできない仕事に集中するべきだと思います。
そもそもね、なんでabsinth先生が胃カメラなんてやってるんですか?こればっかりはabsinth先生にもちょっと呆れたなあ。緊急手術か胃カメラか、どっちかを止める手配から、まずは取りかかられるべきかと愚考致します。それと、雇いたくても枠がないという問題に限っては「社会と繋がる」問題じゃないような気もします。もはや独立行政法人の時代です。雇用の問題は院内で完結するべき問題じゃないかと思うのですが。人件費ぶんを稼げば枠なんか幾らでも追加できるじゃないかと思うのは、私が余計なしがらみの介在する余地もないほどちっぽけな私立病院の医師だからですか?
腸重積
今日の子はちょっと怖かった。嘔吐を主徴とする腸重積なんて初めてだ。大抵は異様な不機嫌さとか間歇的な腹痛とか、それなりの症状があるものだと思っていた。たしかに腸重積もイレウスの一種ではあり嘔吐してもなんら不思議ではないのだが。またウイルス性胃腸炎の合併症として腸重積を生じたのであれば、どこからどこまでが胃腸炎の症状でどこからが腸重積の症状か、わかりにくいこともあろうかとは思うのだが。ウイルス性胃腸炎なんて初発症状はたいてい嘔吐に決まってるのだから。それでも、だ。もう10年やってて、腹痛ではなく嘔吐で来る腸重積なんて記憶にない。理屈のうえではそんなこともあるだろうよと思うけれど、感覚的なレベルでなにか違和感がある。
今日の子は不機嫌になるかわりにとろとろと眠っていた。顔色は比較的良好に見えた。腹部触診ではぐんにゃりと緊張を失った腹壁がいかにも胃腸炎だった。腸蠕動音は若干亢進していたが決して金属様には聞こえなかった。腫瘤などまったく触知できなかった。それでも、超音波を当てると、ぼこっとpseudo-kidney像が映った。右腎が二つあるってんでなければこれは腸重積だ。でも、その典型的な超音波所見を前にしてさえ、この子の桜色の顔色との食い違いがどうしても納得できなかった。
腸重積の子が意識障害を呈することもあるというのは、それなりに本で読んで知ってはいた。その記事を書いた先達は実は私の研修医時代の先輩であったからなおのこと、しっかり読ませていただいていた。こりゃあ寝てるんじゃなくて病的な意識障害だとは思い至ることもできた。やれやれだ。この子の理学的所見で、私の知識と符合したのはほとんどこの一点だけだった。でもよ、腹部の病気で一致してるのが神経所見だけって、ちょっと過酷に過ぎるような気もする。
注腸造影は確かに腸重積だった。高圧浣腸でなんとか整復もできた。他にどうしても外せない用があってこの処置は当直医と若手にお願いしたのだが。私は実質、エコーを病棟に運び込んで子どものおなかに当てて考え込んだのみ。勉強になると言えばこれほど勉強になるケースはなかった。しかし何にもしてねえな。
この子が腸重積なら過去にも俺は多数の腸重積の子を見落としていたんじゃないかという不安が湧いてきた。片っ端から嘔吐の子に超音波を当てるってのも過剰診療だとは思う。冬場なんて一日30人くらい超音波検査をすることになる。超音波は第2の聴診器とも言うし、怪しいときにはどんどん使うというのも戦略ではあるかもしれないけれども。
まとまらない。
新生児搬送中の事故は労災じゃないのか
新生児科医のメーリングリストでは先般の事故の話題で盛り上がっているが、どうやら新生児搬送中の事故が労災扱いになるかどうか微妙な病院というのもあるらしい。
恐れ入ったものである。そういう病院の管理者は、新生児搬送は新生児科医が職務を放棄して遊びに行っているものと考えているらしい。
労災の適用がされないような用件で勤務時間内なり当直帯なりの拘束時間に医師が病院を離れているのなら、管理者としては黙認せず処罰するべきなのじゃないだろうか。労災ってそういうもんじゃないんですか?私が世間知らずなだけか?仕事してて健康を害したら須く労災なのだと思っていたのだが。甘いんですか?
小児救急外来で徹夜しての過労死も、職務上の過労とは認められなかった過去がある。最近は見直されているといわれるが。つまり、当直ならほんの軽作業しかしていないはずだ(だって労働基準法にはしっかりそう書いてあるから):それなら当直で過労にはならないはずだ、との論理で。世間にはいろいろと小児科医の理解を超えた事があると見える。
そういうものか
妻が「これどうするの?捨てるの?」と出してきてくれた「週刊医学界新聞」を、気まぐれに開封してみたら、春日武彦先生がこういう事をお書きであった。
カスガ先生の答えのない悩み相談室
そういうものかもしれないな、と思う。世間の通念への、かなり強烈なアンチテーゼ。
責任 レヴィナス的な
S.Y.’s Blogを拝読して、内田先生のエントリーを思い出した。「内田樹の研究室」の最近のエントリー「忙しい週末」で、内田先生は最近の40代を評して、
彼らはやはり日本が国民国家として安定期にはいった時代にお育ちになったので、「かなり効果的法治されている」ことや「通貨が安定していること」や「言論の自由が保障されていること」などを「自明の与件」とされていて、それを「ありがたい」(文字通りに「存在する可能性が低い」)と思う習慣がない。
そのような与件そのものを維持するためには「水面下の、無償のサービス」(村上春樹さんのいうところの「雪かき仕事」)がなくてはすまされない、ということについてあまりご配慮いただけない。
だから、この世代の特徴は、社会問題を論じるときに「悪いのは誰だ?」という他責的構文で語ることをつねとされていて、「この社会問題に関して、私が引き受けるべき責任は何であろう?」というふうに自省されることが少ないということである。
このように書いておられる。まだ30代の私自身にも耳に痛いご指摘ではある。
shy1221さんの記事を拝読して、産科医師の不足という事態に対して妊婦さんやその夫君に「この社会問題に関して、私が引き受けるべき責任は何であろう?」と自省されることがどれほどあるのだろうかと考えた。例えばshy1221さんがご引用になった報道記事内で怒っておられる妊婦さんには、そのような発想があったのだろうか。この報道記事で見る限りには、ご自身を無垢無責任の立場に置いておられるようだが、産科にせよ小児科にせよ患者さんがご発言なさる際にご自身をそのような立場に擬することが多ければ多いほどに、診療が世知辛くなり「やってられねーよ畜生」という呟きが多くなるようにも思う。
実際、産科の仕事は大変だと思う。新生児科医なんてお産トラブルのレスキューで喰ってるようなヤクザな仕事をしていると、お産なんて恐いことをよくもまあ平然と世の人々は行っておられるものだと思うことがある。恐い面ばかり沢山見てますからね。こんな恐いことを一件一件のりきっていく仕事を、上手くいって当たり前の仕事だと単純に思いこまれるのはかなりしんどいと思う。
この報道記事での産科の先生方が実際に「やってられねーよ」でお辞めになったのか、それとも他の事情があるのかは、知りようもないのだけれども。
新生児搬送中の救急車が事故にあった
愛知県で、新生児を搬送中の救急車に側面から他の車が衝突したとのこと。緊急の搬送で赤信号の交差点に進入した救急車に、青信号側の車が突っ込んでいったという。新生児医療のメーリングリストに情報が流れた。赤ちゃんは無事だったとのことだが、新生児科医が重傷を負って入院中であるとの由。明日は我が身だ。
新生児搬送中は保育器に向かい合って、進行方向とは横向きに座っている。搬送元から出発前に、搬送中にあれこれ処置しなくて済むように最大限の始末をすませておくのだが、それでもシートベルトをしっかり締めて座っていられるほどのゆとりはない。何もしなくて済むのならもともと同乗してる意味が無いじゃないか。
緊急搬送中は赤信号でも車を止めることはない。いちおう徐行はするし交差点への進入など要所要所でモーターサイレンをひときわ大きく鳴らすが(「ピーポーピーポー」の最中に「ウー」とか挟むやつ)、基本的に停車はしない。いやもう停車するほどのゆとりがあるなら緊急の走行ではなくて鈍行で行くこともありますよ。信号もきっちり守って。ゆとりがないから世間様にご迷惑と知りつつも緊急走行してるんで。はい。
車を運転する皆様には、青信号の交差点でも耳を澄ませてほしい。重さ1トン以上の鉄のかたまりを時速数十キロメートルで走らせているのだということの意味をかみしめて運転してほしい。基本的に、お気楽な作業ではないはずなのだ。感覚を研ぎ澄ませてほしい。そんな無茶な要求だろうか、90デシベルからの音量のある救急車のサイレンを聞き逃すなというのは。
ちなみに救急車に乗っていると、素人の運転する軽自動車のほうが、プロの運転する4トンのトラックよりも、よほど鈍重で、回避に手間を食わされる。
経腸栄養剤の固形化
PEGで胃瘻を作った子に、経腸栄養剤の固形化を試みている。
開始後ほどなく嘔吐が減り、胃瘻周囲からの漏出も減り、それまで泥状便で便秘がちだったのが有形便を自力排便できるようになった。投与の手間も、液状のラコールだと2時間かけて滴下していたものが、30分ほどで終了するようになった。1日3回ないし4回の経腸栄養を行うのでこの時間差は大きい。もうイルリガートルには戻れませんね。
短所としては投与にある程度の握力が必要と言うことで、私や付き添いのお母さんには少々辛い。担当看護師はもともとテニスガールだったらしく平然と投与できているらしいが。容器の問題である。大口径のカテーテルチップのシリンジを用いれば力は少なくて済むが経費が馬鹿にならない(ゆくゆくは在宅に持ち込まねばならないし)。今はドレッシングボトルを用いている。なにかケーキの調理などでどろどろした材料を押し出すような道具があればよいのだが。今後の検討課題。
調理は栄養科に頼んだら管理栄養士さんが直々に調理してくれて、1日分の固形化栄養剤をまとめて病棟に上げてくれる。冷蔵しておき、投与時に常温に戻して注入する。最初は、私が持ち込んだ資料だけではどうしても固まりませんがと仰って困惑気味だったが、リンク先の蟹江先生の資料通りにまず私が自宅の台所で作ってみて、こんな風にと固まったのを栄養科にレシピとともに持ち込んだところ、さすがはプロで、朝から持ち込んで昼には安定供給が開始された。
大病院だとこういう作業を栄養科が気安く引き受けてくれることはないのだろうなと思う。ああだこうだと理由を付けて断られることになるのだろう。恐らくは当院の規模が、職員全体の顔が見える程度に程良く小さいというのが幸いだったのだろうと思う。もとより小児科の私の顔をホスピスの面々すら知っている位だし(ついでに私が如何に偏屈であるかと言うことも知れ渡っているかも知れないが)。
ライターかマッチか持ってませんか
夜間に手ずからグラム染色をする必要に迫られた。火炎固定をしようにも検査室に火の元がない。細菌検査を外注したときにガスバーナーも始末したらしい。深夜の病院で火を探して歩くはめになった。当直の事務員さんも、夜間救急の順番待ちの患者さんもお持ちでなかった。当直の放射線技師はたまたま非喫煙者だった。看護師にはけっこう喫煙者が多いのだが、深夜勤務の病棟に持ち込んできている強者はなかった。結局はホスピスに入院中の患者さんからライターを拝借した。詰め所にたばことセットで預かってあったもの。
ちなみにグラム染色というのは細菌検査の基本。