S.Y.’s Blogを拝読して、内田先生のエントリーを思い出した。「内田樹の研究室」の最近のエントリー「忙しい週末」で、内田先生は最近の40代を評して、
彼らはやはり日本が国民国家として安定期にはいった時代にお育ちになったので、「かなり効果的法治されている」ことや「通貨が安定していること」や「言論の自由が保障されていること」などを「自明の与件」とされていて、それを「ありがたい」(文字通りに「存在する可能性が低い」)と思う習慣がない。
そのような与件そのものを維持するためには「水面下の、無償のサービス」(村上春樹さんのいうところの「雪かき仕事」)がなくてはすまされない、ということについてあまりご配慮いただけない。
だから、この世代の特徴は、社会問題を論じるときに「悪いのは誰だ?」という他責的構文で語ることをつねとされていて、「この社会問題に関して、私が引き受けるべき責任は何であろう?」というふうに自省されることが少ないということである。
このように書いておられる。まだ30代の私自身にも耳に痛いご指摘ではある。
shy1221さんの記事を拝読して、産科医師の不足という事態に対して妊婦さんやその夫君に「この社会問題に関して、私が引き受けるべき責任は何であろう?」と自省されることがどれほどあるのだろうかと考えた。例えばshy1221さんがご引用になった報道記事内で怒っておられる妊婦さんには、そのような発想があったのだろうか。この報道記事で見る限りには、ご自身を無垢無責任の立場に置いておられるようだが、産科にせよ小児科にせよ患者さんがご発言なさる際にご自身をそのような立場に擬することが多ければ多いほどに、診療が世知辛くなり「やってられねーよ畜生」という呟きが多くなるようにも思う。
実際、産科の仕事は大変だと思う。新生児科医なんてお産トラブルのレスキューで喰ってるようなヤクザな仕事をしていると、お産なんて恐いことをよくもまあ平然と世の人々は行っておられるものだと思うことがある。恐い面ばかり沢山見てますからね。こんな恐いことを一件一件のりきっていく仕事を、上手くいって当たり前の仕事だと単純に思いこまれるのはかなりしんどいと思う。
この報道記事での産科の先生方が実際に「やってられねーよ」でお辞めになったのか、それとも他の事情があるのかは、知りようもないのだけれども。