医療資源の分配において切り捨てられるのは誰なのか

「ある内科医の独り言」内の記事「医療資源はどう使うべきか」へトラックバック。私はおそらくここで言及されている「切り捨て」に関する議論の発端にかなり近い位置にいると思うので。
私が切り捨てと言う場合、患者さんを切り捨てる意図は毛頭無いつもりである。また有為の人材を医療の現場から徒に放逐する意図もない。
切り捨てたいのは半端な医療機関自体である。診療所よりは規模が大きくてリソースも診療所より多く喰らうが、しかし時代に求められるレベルの医療を提供するには規模が小さくて満足な成果が上がらない、しかも昨日の成果の少なさが今日の経験不足を呼び明日の成果の不満足さにつながる、そういう半端な医療機関である。これを整理統合して、それなりのレベルの医療が提供できるような規模の医療機関を作るべきなのである。
こと小児救急に話を引き寄せて語るなら、夜間に半径10km以内に小児科医が居るか居ないか分からないような病院が5軒あるのと、50kmあるいは100km走ることになってもそこへ行けば24時間診てくれる病院が1軒あるのと、患者さんにとってはどちらが善いだろうということである。遠距離でも診てくれる病院のほうが、近距離にあって診てくれない病院よりも、患者さんのためになる病院だと、私は思うが、間違っているだろうか。常勤の小児科医が2名しか居ないような医療機関には時間外診療は準夜帯すら無理だが、10名居れば単科当直はおろか夜勤シフトでの診療すら可能なのである(徳島赤十字病院は常勤7名でシフト制を実現している)。
再編で医療機関の数は減ることになる。その分の、日常的なプライマリ・ケアは開業の診療所が担うことになる。プライマリケア医には現在よりも守備範囲を広げた高度な診療が要求されることになる。でも開業のプライマリ・ケア医にとっても、24時間救急対応の可能な高度な医療センターがバックアップについている状態で存分に腕を振るう診療のほうが、規模が半端な故に無床の診療所並みの仕事しかできない病院とパイを奪い合う診療よりも、よほど魅力的ではないだろうか。
加えて、私には、どくちるさんが語り足りないこと、あるいは敢えて明記なさらなかったことがあるように思える。意図的なのか否かは定かではないし問題にするつもりもないが。
医療資源の配分と言うとき、直接に資源を配分されるのは医療機関だということである。分配の恩恵に与ったり、食いっぱぐれてひもじい思いをしたりするのは、直接には医療機関である。患者さんではない。医療資源の再分配が即刻直接に患者さんの切り捨てにつながるかのような言説は、切り捨てられかかった医療機関が自らの保身のためにする議論であるかのように聞こえる。決して、どくちるさんの記事がそんな言説に読めると言うわけではないのですけど。
医療機関も現代の資本主義社会の中で、自らが稼いだ診療報酬によって存続している。医療経済を国策的に縮小しようという時代に現時点まで生き延びてきた医療機関なら、相当強固に自己保存の意思を保っている。規模の半端さ故に時代の逆風をもろに受けている医療機関では尚のこと、自己保存の意思は軒昂なはずである。今のご時世、やる気を失った時点で潰されることになるのだから。
資本主義社会の中では医療機関もまずは自らが収益を上げて潤うことを目指す。自分達が地域社会の求める本質的な医療を供給していればこそここまで収益が上がるのだという論法で、収益を正当化し、マンパワーに始まる医療資源の優先的な配分をも要求し実際に手に入れるようになる。むろんこの論法は全体が方便である。診療報酬は自由競争で決定されているわけではない。診療報酬の体系の中で冷遇された分野の医療を地道に提供し続ける「儲からない」医療機関もあるし、宣伝を煽って要りもしないような内容の医療で大もうけする医療機関もある。しかし現代の資本主義社会は歴史的にこの方便を採用し医療にも適用してきた。歴史的な事実は文句を言っても変えようがない。そして儲けたいという人間の欲望そのものでドライブされる制度は、確かにそれなりに有効だったのも事実である。他の、もっと御上品な仮想的制度が採用されていれば為し得たであろうよりも、よほど効率的に医療資源を分配してきたと、私は思う。
この体系の中にあって医療従事者の良心を支えるのは、自分達の利益が自分達の患者さんの利益と一致しているという信念である。信念というか、語弊を恐れずに言えば、「物語」である。自分達に、他ではなくて自分達に、自分の所属する医療機関や医局や診療科に、有限の医療資源の中から相当分を配分することが、即ち患者さんの利益であり社会の利益であるという「物語」である。この物語を疑いはじめたら、自らの医療の正当性の根幹が揺らぐことになる。だからみんな、この物語を信じている。あるいは、疑いを挟まないという「お約束」にして、みんな律儀にその約束を守っている。我が儘者や変わり者が多いこの業界では、例外的なほどの律儀さで。
しかしそろそろ、私たちはこの物語が物語に過ぎないということを自覚した方がいいんじゃないかと思う。そうそうみんなが全面的に的はずれな医療をしてるわけではないんだから、全体的な傾向としてはこの物語はおおむね正しいんだろうけれども、決して検証無しのアプリオリな正しさとは言えないと思う。自分らの利益と患者さんの利益とは一旦は切り離して考えるべきだと思う。自らが現在の形態と方法で行っている医療活動に医療資源を振り分けることが本当に患者さんのための最適解であると言うことを、常に立証し続けねばならぬと思う。それを立証し得ないうちは、自らの利益に関しては自らの利益として語るべきである。患者さんの利益としてではなく。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中