プラネテスDVDの全9巻を見終えた。
西暦2070年代、月には十万人規模の都市があり、月や地球を周回する軌道上には軌道ステーションが設置され多くの宇宙船が発着している。月や地球の周囲には耐用期限の尽きた人工衛星や宇宙船の破片(切り離された燃料タンクやなんか)をはじめとする宇宙のゴミ「デブリ」が多数周回している。たとえボルト1個程度の大きさのデブリでも、衛星軌道では秒速数キロメートルで飛んでいるので、運用中の宇宙船や衛星に当たると大事故を起こす。事故はさらに多くのデブリを生み、多くのデブリがさらに多くの事故を起こすので、デブリ対策が時代の喫緊の課題として要請されている。主人公のハチマキは、何故か常に鉢巻きをしているのでそういうあだ名なのだが、そういう時代に船外活動員としてデブリ回収に従事している。
アニメ版はコミック原作とは別作品と言ってよいくらい改編されているが、出来映えは甲乙つけがたい。コミックを読んでポジティブな評価をしている人ならアニメ版を観る価値は十分にある。逆も然りでDVDシリーズを観てポジティブな評価をした人ならコミックをお読みになるべきである。
コミック原作では軌道上に沢山のデブリ処理班があり、ハチマキたちはデブリ回収船の中で寝泊まりしながらコンテナが一杯になるまでデブリを拾っていく。デブリの発見は各回収船の機器で行っている。回収船のメンテナンスもちょっとした修理くらいなら修理屋の宇宙船が横付けして現場で終わらせてしまう。デブリ回収に従事するハチマキたちは「デブリ屋」であり、デブリ回収は「金になる」仕事である。対してアニメでは、ハチマキたちは大企業の赤字部門「デブリ課」に配属されたサラリーマンである。当然の如く安月給で、あまり出来高は報酬に関係ないらしい。もっぱら軌道ステーションで寝泊まりし、デブリ課のオフィスに「出勤」してから現場に出かけてゆく。回収船とデブリの軌道はステーションの「管制課」(ちなみにエリート部署である)が把握解析し、回収船に対して刻々と指示を出す。いわばコミックは分散型でワイルドでバザール型、アニメ版は中央集権型あるいは伽藍型。
「伽藍とバザール」を引き合いに出すまでもなく、システムとしてタフで能率良くて痛快なのはコミック原作のほうである。
どちらが「現実に即して」いるのだろう。あの軌道高度なら地球を1周するのに数時間というところだろうから(それにしても凄い速度ではあるよね)衛星軌道上の大抵の位置には日帰りで到達できるということかもしれない。一方で軌道を相当きれいに合致させないとデブリと回収船の相対速度は秒速数キロメートルに達するので、デブリの回収は、接近するだけでも極めて高度な技術を要する仕事だと思う。少なくとも最初期には、国家や超大企業レベルの経済力の裏打ちが必要だ。
恐らく、アニメ版設定のような中央集権型あるいは伽藍型の様式を経て、コミックに描かれたような分散型あるいはバザール型の時代が来るのだろう。十分な能力を持った観測機器が、小型化され耐久性も増し安価になって各回収船に積み込めるようになり、かつデブリの回収に何らかの形で経済的なインセンティブを得られるようになると(要するに「儲かる仕事」になると)、デブリ回収は大企業が赤字部門にやらせてお茶を濁すアリバイ的片手間仕事から、上から下まで有能な連中が詰まった組織が競って進出する沃野へと変化する。多くの回収船が、そろって一日一回はステーションに収束する単調な軌道をとるのではなく、何日も掛けて軌道修正を繰り返し多様な軌道に展開するようになると、デブリがどういう軌道を取っていてもどこかの船が接近できるようになる。あと何時間か何日かうちにこのデブリを回収しないと重要な衛星やステーション本体に衝突するぞというような緊急時にも柔軟に対応できるようになる。やはりバザール型の時代がきてようやく本物だ。
アニメ版には大企業につきものの夾雑物が出演する。こんな奴らがのうのうと居るってだけでも伽藍型時代の恐竜ぶりが際だつってものだ。定年間際の無能な課長、宴会芸以外に何もしない係長補佐。稼働しているデブリ処理班はたった1班4人なのに、中間管理職2人のぶんも稼がなければならないなんて、そりゃあ赤字なわけだと気の毒になる。この課長は何を根拠に軌道上に居続けるプライドを保ってるんだろう。課長以上の重役たちも、自分のメンツや保身と派閥争いにしか興味がない、下賤で口の臭そうなデブ男ばかり。そのなかで鮮やかにのし上がっていく人物もいて愉快だったり、潰されてゆく人もいて可哀想だったり。
