患者放置の医師に禁固1年 薬剤間違え注射で京都地裁

患者放置の医師に禁固1年 薬剤間違え注射で京都地裁
種々の意味で気分が重くなる事件でした。隣の市で発生した事故で、判決の下った地裁は私の自宅から市バス一本でいける場所です。判決は執行猶予なしの実刑です。
本件の被害に遭われたお子さんの状況には、沖縄の人が使われる「ちむぐりさ」という言葉に尽きます。この子の状況を前にしては、被告医師の事など切り捨てて顧みずにおくべきなのかもしれません。でも、そうして医師に責任を着せて判断停止しているからこそ、本件の報道が何ら今後の医療事故防止に寄与する気がしないのかもしれないと、私は思います。そこで、色々、いま考えていることを書きだしてみたいと思います。あくまで、この被害を矮小化する意図はないということだけは、読者諸賢にはご承知いただきたいと思います。
何より、種々の意味で、この被告医師を庇ってくれる人は誰もいないのだろうなと思います。伝え聞くところによれば彼は婦人科医でした。病院上層部をはじめ、周囲の人たちからは、小児科など自分の専門外の診療は止めるようにと再三忠告されていた由でした。事故の後でこういう話がことさらに漏れ伝わってくると言うことからも、元勤務先の病院でも彼を庇おうとする意思はないのだろうなと推察しています。そりゃ酷だと私は思います。病院の管理責任については他の場で検討されているのでしょうか。准看護師が間違えただけで塩化カリウムが静注用に手に入ってしまう管理態勢って何だよと思います。静注しますと言われてはいそうですかと塩化カリウムを看護師に渡した薬剤師って何を考えていたんだろうとも思います。あるいは薬剤師の目の届かぬところに常備薬としてあらかじめ払い出しされていたのでしょうか。でも塩化カリウムを静注用に常備しておく必要って私にはどういう状況なんだか想像もつかないのですが。
被告医師の資質に問題がなかったわけではありません。塩化カルシウムの静脈注射なんて、現代の小児科医で蕁麻疹の治療にそんな処方をする人はいないと思います。報道によれば裁判では「心肺蘇生をせずに放置した」と言うことに主眼が置かれている印象をうけますが、彼の間違いの最大の点は、心肺蘇生をしなかったことではなく、蕁麻疹の治療に塩化カルシウムを処方してしまったことだったと、私は思います。それだけの知識しかなくて小児科に手を出すなど子どもを舐めとりはせんかという腹立ちすら、感じなくもないのです。お前さんがそういう時代遅れの処方をしたのが全ての間違いの始まりじゃないかと、関係者一同(私を含み)みな思ってることでしょう。例え間違ったのは看護師さんであったにしても、間違えなくとも無効な治療・間違えてしまって致命的な治療の、二進も三進もいかない指示を出された準看護師さんにいったいどういう責任を問えることでしょうか。であればこそこの被告医師がこれだけ冷淡に告発され、全ての責任を彼に帰すという結論が先にあって、根拠が後付け的に捻り出されて居るんだろうと思います。でも実際には塩化カルシウムの処方そのものは告訴に至るほどの誤りではなく(塩化カリウムとの間違いさえなければ事件性はなかったでしょう:何となれば彼がこの処方をするのは初めてではなかったはずで、この処方を問題にするならもっともっと数多くの「被害患者」が列挙されてきているはずです)、彼の責任をなんとか刑事事件で問おうとすれば、蘇生に迅速に取りかかれなかった点を責めるしかないのでしょう。無論、私もこの一件の責任が彼にあるという結論に誤りはないと思うのですが、その責任を問うのにこのような論立てしか出来ないようでは、刑事裁判というメカニズムには少々不備があるように思います。
心肺蘇生について言えば、齢70歳にも至ろうとする婦人科医で、そのような処方をする人に、迅速適格な心肺蘇生など求めるだけ無理だろうとは思います。多分に彼は驚愕に立ちつくすのみだったのでしょう。いや、たとえ熟達した救急専門医のチームが直ちに蘇生に当たったとて、塩化カリウム誤投与後の患者さんを後遺症なく救命することが可能であったかどうか。むろん、だから彼に蘇生をする義務はなかったなどと申すつもりはありませんが。そもそも苟も分娩に立ち会うことを生業としてきた立場にあって心肺蘇生にまるで動けないってのは、昔ならともかく今後は問題視するべきことなのでしょう。でもまあ現実問題として、この被告医師には心肺蘇生は能力的に無理だったのでしょう。
何故そんな彼が小児の診療に手を出してしまったのでしょうか。古き良き時代の、患者の求めを拒まぬ赤ひげ先生のような信条で、手広く診療に当たっておられたのでしょうか。今、彼もまた、闘わない奴らに笑われた気分なのでしょうか。彼にしてみれば専門外や時間外を理由に診療を断る若い連中が不甲斐なくて仕方なかったのかも知れません。自分の手は指一本汚そうとしない「評論家」に結果論だけで責め立てられている気分を味わっているのかも知れません。診療報酬はちゃっかり受け取っておきながら今さら引退勧告は出していたのにとは何だと、勤務先の病院に裏切られた心情になっているかもしれません。患者さんに対しても、診療を求めるときには請い願っておきながら結果が悪かったとみるや掌を返したように自分を極悪人呼ばわりしおってという憤慨もあるかもしれません。そういう彼の憤りの一つ一つが正当かどうかはさておいても、孤立無援に追い詰められた心情の帰結として、彼はことさらに頑なになり、頭を下げる機会を逸し、和解や民事で終わるかも知れなかった事件を、徒に刑事にまで発展させ、情状酌量されることもなく実刑判決に至ってしまったのかもしれません。

あるいは理解不可能なほどの誇大妄想の持ち主だった可能性もある。こうした考察も、根も葉もなく何も生まない単なる想像に過ぎないのかもしれない。

しかし彼にとって皮肉かつ過酷な現実として、彼の知識は時代遅れでした。彼は蕁麻疹に塩化カルシウムを投与するような大時代な知識をもって現代の小児救急に手を出すべきではありませんでした。加えて彼の自己認識や周囲への期待はナイーブに過ぎました。彼が診なくともあの市内には小児救急に対応可能な規模の病院はあります(所在地で言うなら同じ町内です)。周囲は彼が期待していたほどには彼に感謝していないようです。病院は彼を切り捨てて延命を図っています。報道などで知り得る限り、病院職員からも患者さんたちからも、彼に関して減刑嘆願が出されたという情報は聞き及びません。
私も医師として、常に彼と同じ立場に立たされる可能性のある人間として、どうしても我が身を彼の立場に置いて考えてしまいます。私が手酷いミスの結果として告訴された場合に周囲がどれだけかばってくれるだろうかと。私が被告人席に着いたら、どれくらいの人が私の減刑を嘆願してくれるだろうかと。病院はやはり私がもともと厄介者だったという情報をまことしやかにリークするのでしょうか。同僚がテレビの匿名インタビューで、あの先生は我が儘で独善的でした等と語るのでしょうか。顔にモザイクをかけて、奇妙にディストーションをかけた平板な声色で。

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