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現在、出生前診断といえば事実上ダウン症の診断であるとのこと。市井の産科医院で説明不足のままに何となく検査が行われ、安易な中絶に結びついていると、著者は警鐘を鳴らしている。著者は自らの臨床経験から、自分の外来ではダウン症の出生前診断はしないと宣言している。その著者の実践にもとづいた考察や、臨床遺伝学の先達との対話・親御さんとの対話から、本書は構成されている。
中でも白眉は、ダウン症の子の父親となった医師へのインタビューであると私は思う。語られる内容は決して倫理学の最先端を切り開くような大仰なものではなく、平易で真っ当な淡々とした言葉なのだけれども、それでも胸を打つものがあった。まあ、私も同志ではあり、個人的な思い入れはどうしても入りますね。生まれたその場で判明するダウン症と、じわじわとベールを脱いでくる自閉症とでは、受容の過程は異なるものになるのですが、その点もまた興味深く拝読しました。
著者の大野先生は、ご自身の医院で生まれた赤ちゃんがダウン症であったとしても、危急の合併症が無い限りはお手元でお世話なさっているとのこと。この臨床実践には、小児科医として頭が下がる思いである。ここまで気合いを入れて自らリスクを取ろうとするお医者さんは滅多にいない。NICUにいるとダウン症の新生児が搬送されてくることもある。心臓病など危急の状態である子もあり、中にはNICU入院は無用の母児分離だったなあと総括したくなるほどに元気に帰る子もあり。先生今後とも赤ちゃんが例えダウン症でなかったとしても何か問題が生じたら今回みたいに迅速にご連絡下さいねと慇懃無礼な嫌みを、産科へ送る退院報告書に一筆付け加えてやりたくなることもあり。でも小児科医もけええっして誉められたものではない。かく言う私自身も怪しいものだし。
しかし私は職業は小児科医・家庭では自閉症児の父と、二面性の人であるから、誉めるばかりでは終わらないのである。
ダウン症に関する一般向けの文献には、彼らの気だての良さとか対人関係の良さとかが力説されがちである。本書でも著者の出会ったダウン症の子たちやその親御さんたちがどれほど素晴らしい人々であるかが力説されている。魂のレベルが高いなどという表現まである。すぐれた魂は周囲を圧倒する、のだそうだ。
ある意味、悲しい主張だよなと思う。誰かが出生前診断の結果として中絶されてしまわないようにする、その根拠としてその誰かの美点を挙げるというのは、案外と、当の相手の土俵に乗ってしまってるんじゃないかと思う。生きるのに理由は要らないはずだ。読者諸賢はご自身が生きていくことを正当化する理由を述べよと言われたら、そんなことを問題にされるだけでも不愉快になるのではないだろうか。生命について深く考えもしないまま何となく出生前診断をしてダウン症の可能性が示唆されたら即刻妊娠中絶という流れに抗するのに、ダウン症の人にはこういう美点があるのだからという理由付けをするのは、理由付けしてしまったというその点において、批判しようとしている相手と同レベルの議論なんじゃないかと思う。
しかしある程度は確信犯的にそのレベルまで降りてでも主張を通すのが実践的な道徳なのかもしれない。ダウン症だろうが自閉症だろうが「それが何か?」というのが真っ当な感覚だろうと私は思うのだが、それで澄ました顔をしていては、ダウン症は即刻中絶という考え方の人たちとの差は埋まりそうにない。それが戦略というものだと仰るのなら、それはそれで理解できるお話ではある。
しかしダウン症の人たちの対人関係能力の良さを褒め称えた、その返す刀で「人間関係調節能力の決して高くない人も少なくない現実や、こころもすさむような事件の数々を思い・・・」とやられると、正直、「またかよ」と溜め息をついてしまう。どうしてダウン症の関係者は自閉症をネガティブコントロール扱いにするかね。こちとらその「人間関係調節能力」が「決して高くない」どころかもう障害レベルに低い息子を育ててるんですけど。じゃあ大野先生は「こころもすさむような事件」を起こすような人格障害が出生前診断できるようになったらそういう胎児は人工妊娠中絶しはるのですか?と意地悪くも尋ねてみたくなりますね。
意地悪い気分にさせられる要素としてもう一つ、「そうは言ってもあんたが育てる訳じゃない」って、言っちゃって良いかな。これを言っちゃうと私の人格が疑われるんだろうな。書いてる本人でさえ、ああ俺は卑しいことを書いてるなと思ってますから。でもねえ、あんまり大野先生の論調の首尾一貫ぶりと言いますか、迷い無さぶりというか、そこに一種のナイーブさを感じ取ってしまいます。つくづく卑しいね俺は。
自閉症児の親として思うことだが、障害児を育てるのは人生にとってそれほど悪い選択ではない。まさに「胸躍る一生があなたを待っている」というものである。しかしその良さを分かるのにはそれなりの苦労が要る。まるで実体験のない、例えば身内に障害者なんて居ない(実はたいてい探せば居るもんだが)初産のご夫婦に、障害児を育てることの奥深さを語ってもなかなか分からんだろうと思う。世の中の真実には、教科書に書いてあることを読めば分かるものもあれば、座学よりももう少し深い体験をしないと分からないものもある。やっぱり当事者は苦労するものですよ。当事者ではない人に障害児のすばらしさを手放しに喜ばれても、その人から視線をちょっと逸らして寂しげにふっと笑う程度の応対しかできないような、そういう苦労はやっぱりあります。現実にはね。いろいろと。