「ひまわりの祝祭」 藤原伊織 講談社

藤原 伊織 / 講談社(2000/06)
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日直の日曜日に病棟の本棚から失敬してきて読み始めたが止まらなくなった。
大事なものも呆気なく失われ、失われたものは取り戻せず、代償や癒やしなどありはしない。この「喪失の峻厳な不可逆性」がこの小説に一貫する主題である。確かに、掛け替えの無いものとは、そういうものである。
主人公はその優れた洞察力ゆえに、おそらく過ぎるほどにこのことを理解している。であればこそ最愛の人を失って後、喪失の中に沈潜するが如き無為な生活を希求し、挙げ句に愛する人への送り火として蕩尽とも言うべき新たな喪失を重ねる。主人公に限らず、登場人物は皆がなにがしかの喪失を抱えている。他より悲劇的な登場人物はあっても、喪失が埋め合わされる人は誰もいない。
しかし、読み終えてみれば、この物語にこれ以外の結末は考えられないと思う。主人公をはじめとする登場人物の造形が極めて緻密に完成されている。この人物ならこの場面ではこの行動しかとるはずがないじゃないかという、強固な説得力を持った必然が、一歩一歩積み重なるようにして、物語を進捗させていく。こう書けば本作はいかにも「キャラの立った」登場人物が場当たり的に演じるスラップスティックのようだが、ストーリー自体も緻密かつ重厚で、登場人物造形を受け止めてなお破綻がない。何より、人物造形にもストーリーにも、前述の峻厳な主題が一貫しているから、緻密であっても些末ではなく、無理や無駄あるいは「せこさ」が全く感じられない。
最近、ここまで完成度の高い小説を読んだ記憶はない。著者の作品を今まで読んだことがなかったとは私も惜しいことをしてきたものだと思う。

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