「母乳育児のすべて」藤村 正哲, 米国小児科学会, 平林 円 / メディカ出版

以前の母乳に関する記事に沢山の反響を頂いたので、母乳に関して私が読んだ書物の中で最良のものを1冊挙げておきます。本書を読んで、私も母乳にかなり熱心にこだわるようになりました。
米国小児科学会による原書ですから権威としてはこれ以上のものはありません。しかし、決して難解ではありません。ベッキーとかアリョーシャとかいった婦人が出てきて母乳育児に関する典型的な取って付けたような疑問を呟いてはため息をつき、そこへ詳細な説明が挿入され、ベッキーが疑問氷解して明るくなるという各章の構成が、いかにも米国式実用書スタイルです。不器用な学者が慣れないジョークをまじえながら一生懸命説明しているといった印象で、一種微笑ましい感じがします。
例えば私のブログよりも遙かに腰が低いです。見習わなきゃならない。
翻訳も現職の小児科医が行ったにしては上出来だと思います。そりゃあ、翻訳家に転職できるほどの腕じゃないですよ。英文科の先生がお読みになったら苦笑されるかもしれません。けれども基礎知識のない翻訳者が字面をうつしただけでは医学的な間違いがどうしても避けられないし、母乳育児の話題は特に学術的に正確でないといけないと思いますので、多少ぎこちない翻訳でも是非とも小児科医がやらなきゃなりません。

先天性風疹症候群に対する適切な診療ってどういうの?

「医療事故がとまらない」 毎日新聞医療問題取材班・集英社新書の85ページより引用

東京都足立区のある産婦人科医院の医師も同じリピーターだった。1987年、母親が妊娠初期に風しんにかかったのに適切な診療を怠ったため、生まれた女児に重度の障害が残り、東京地裁から1992年に約1000万円の賠償を命じられた。この医師は1988年にも出産時の監視を怠り、新生児に重度障害を与え、6500万円で和解が成立している。

「第2章 リピーターと呼ばれる医師たち」の冒頭で、リピーター医師ってこういう医師だよと紹介する部分にある記載だが、この一節が妙に引っかかっている。先天性風疹症候群に対する「適切な診療」ってどういうものだろう。毎日新聞の取材班によれば、それを「怠ったため」に「生まれた女児に重度の障害が残」るようなものらしいが。しかし私の手元にある文献にはそのような治療法は記載されていない。私の知識の中にもそういう治療法はない。この文章を読む限り、毎日新聞の記者さんはそういう治療法をご存じのように見受けられるが、それなら凄いニュースである。何故そちらのほうを記事にしないのだろう。「先天性風疹症候群に画期的な治療法が開発された」って、1面トップの価値があると思います。
裁判でもそのような存在も定かではない治療をしなかったことを責めているのではないと思う。医師が「適切な診療」をしていれば「重度の障害」が生じなかったというのなら、約1000万円という金額は、たとえばこの医師が他の事件で支払った6500万円に比べても低額に過ぎる。重度の障害の責任を問うには1000万円など見舞金に過ぎない額だ。原告勝訴と言うのも躊躇われるような涙金だ。半分以上を弁護士に持って行かれたんじゃないかな。
それでもタダではなかったというのは、恐らくは診断と説明の過程に、患者さん側の訴えを無下に退ける訳にもいかないような不備が指摘されたのだろうと思う。
でもそういうのって「リピーター医師」にカウントされる話なのだろうか。確かに医療として不適切だったのかも知れないけれど、本書でこの引用部分に続く1章ぶんの記載を参考に考えても、リピーター医師ってもっと「誰が見ても」の低レベルなミスを多々繰り返す医師をさす言葉なんじゃないかと思う。この事件で1000万円に値した医師側の不備って具体的にはどんな不備だったのだろう。誰が見てもそりゃあ低レベルミスだよと言えるような不備だったのだろうか。
治療ではないが障害は残さないという方法ならある。人工妊娠中絶である。ただし日本では、こういう胎児の疾病を理由とした(「胎児適応」と呼ばれるが)人工妊娠中絶は法的に許されていない。実際には出生前診断の普及の裏で胎児適応の人工妊娠中絶が行われていないはずがないのだが、表向きはすべて経済的理由で届け出られているはずだ。
もしも毎日新聞取材班が、「診断を早期に行えば人工妊娠中絶が出来た」と御主張なさっておられるとしたら、それは不法行為をしなかったことをもってこの産科医を責めていることになる。法治国家の大新聞の主張としては妥当でないように思われる。
何やかや、もやもやした疑問が残る。ぜひ、この記載での「適切な診療」という言葉は具体的にはどのような診療だったとお考えなのか、毎日新聞取材班の皆様にお伺いしたいところである。