歴史群像7月号別冊「鉄道でゆく北海道の旅」を垂涎の思いで繰り返し読んでいます。風光明媚な写真がおいでおいでと誘っています。何せ私は長崎のリアス式海岸のちまちました入り江で育ったものでね。雄大な風景ってのにあこがれます。
中に「北海道はこんなに広い」という警告記事がありました。実際の広さをわきまえてないと思わぬ無理を生じますとのこと。函館から稚内までの距離は大阪から牛津までの距離と同じだそうだ。牛津って長崎本線の駅ですがな。佐賀県内ですわ。しかもその間はほとんど単線非電化区間だとのこと。大阪から牛津なんてスケールの距離ををキハで動くのか。すごいな。
だからこそ行ってみる価値がある、とも思えるのですけれど。
日: 2005年8月1日
ににんがしっ! にさんがろくっ!
毎日行われる病院の朝礼をサボり続けています。
キリスト教の病院だから、賛美歌を歌い牧師が聖書の一節を読むというのは頷ける話です。院長から平職員までのなかの誰かが何かスピーチするってのも、まあ良いでしょう。院長も言いたいことが積もっているんならブログでも書けばいいじゃないかと思わなくもないですが。
この朝礼で叶わないのは、冒頭の「病院の基本理念」の出席者全員での唱和です。なんだか、少年ジャンプに連載されていた「魁!男塾」にあった「九九の唱和」がどうしても連想されましてね。いい大人がまじめにやってるんかな?と思います。アホらしくって背中がむずむずします。止めましょうやと申し上げるのもばかばかしいし、申し上げても病院上層部にはまず理解してもらえないか、下手に理解されたら私の首が危なくなるか。こういう感覚的な批判って逆鱗に触れやすいですからね。
この唱和は昔からやってきた事じゃなくて、病院機能評価の際に、審査に来られた人が職員を捕まえて「病院の理念を言ってみろ」と仰った際にもすらすらと答えられるようにという配慮の元で始まりました。いや、ほんとに聞かれるらしいですよ。病院機能評価というのはじつに色々なことを問題にするものだなと思います。職員を捕まえて「あの患者さんが急に意識を失って倒れたら君はどうする?」なんて聞いたときにすらすらと答えられたらそりゃあ偉い病院だよと思いますがね。いったい看護助手のおばちゃんが「病院の理念」を暗唱できるってのが良い病院に必須の条件なんでしょうか。患者さんはそんなこと問題にするのかな。問題になさいます?
真面目にやってるとしたら、朝礼のこの段階でうちの病院職員の頭が日常の「普通の頭」から非日常の「病院職員の頭」に切り替わるんだと思います。この切り替えが患者さんのためになることなのかどうか、ちと、疑問ではあります。
いや、現実の話ですよ。カフカの小説じゃないですよ。