読売新聞の8月5日の「編集手帳」より引用。
料理人の修業は鍋洗いから始まり、厨房(ちゅうぼう)では「鍋屋」と呼ばれた。底にソースが残っている。味見できれば先輩の技を盗める。盗ませてなるかと、渡される鍋には石鹸(せっけん)水が混ぜてあった。18歳の鍋屋は肩を落とした◆オムレツを焼いた。火の通り具合がむずかしい。「こんなものをお客様に出せるか、責任を取れ」。お前が食べろ、という。焼いても、焼いても失敗した。先輩の前で20個のオムレツを食べたことがある◆帝国ホテルの総料理長を務めた村上信夫さんは本紙に連載された聞き書き集「時代の証言者」(読売ぶっくれっと)の中で、せつなくも懐かしい修業の昔を回想している
けっ。
という一言で終わっては記事にならないから注釈的に書き足すことにする。読売新聞の編集手帳君には些か八つ当たり気味で酷かもしれないがご容赦賜りたい。
無批判にこういう記事が世に問われるたびに、「徒弟奉公ってワイルドで格好いいじゃないか」と勘違いするバカな年寄りがいて、「医者の修行も徒弟奉公だから」云々と言い出す。講義で、医局で、ブログで。
おそらく彼らは理不尽さを容認する自分が世間に通じていると思っている。世間知らずの尼ちゃん揃いの医者の世界にあって自分は世間を知ったタフな例外だと言いたいらしい。徒弟や丁稚奉公の8年なりというのは小学校を卒業してから徴兵までの年月なのだということすらご存じ無いくせに。単にその年代の若年労働力をタダ同然で収奪しようとするのが戦前まであった徒弟制度の真相である。
徒弟奉公を否定しては徒弟奉公をしてきた自分たちが尊敬されなくなるとでもご心配なのだろうか。別にご心配になるまでもなく、医者の修行が徒弟制度だと肯定的に書く論説は最初からいっさい信用しない。俺たちに後進を潰せるような余裕はない。後進が未熟なままもたついて時間を潰すことすら容認できない。知識も技術もこちらから口をこじ開けて突っ込んで無理矢理太らせるものである。
先生方がお手本にしたがってる職人さんの世界の一流どころでは今じゃあ新入りが一人前のキサゲをかけるようになるまで2年で到達するらしいですよ。
村上信夫氏の名誉のために下記の言葉を引用したい。http://www.french.ne.jp/mst/24/24-2.htmより。
怒鳴りつけるよりも良いところを褒めて悪いところを教えてあげればいい。私たちも昔はスパルタ式ですから、バカヤローって殴られる。いじけて仕事をしていたら決して良い仕事はできません。やはり楽しく料理を作るとおいしい料理ができます。
怒ると味つけが乱れますね。興奮すると舌が乱れます。料理を作るときは冷静に。昔のお坊さんが言ったように”平常心”で作らないといけないし、楽しんで作ったら良い料理ができます。
それからやっぱり勉強しなければ進歩はないですね。我々の先輩は師匠から習ったことをそのままやって工夫しない。なぜこうするのかと聞いても、昔からやってるからだとしか答えられない。やっぱり勉強してきちんとした説明ができないと若い人も納得できない。上に立つものはいくつになっても勉強しないといけないと思います。
そして教えることも小出しにしちゃいけない。どんどん公開するべきです。私は料理書も書いていますけれど、良いものは公開します。味の良い料理を作るということは、長い経験から生まれるものですから。