だったらどう説得したんだろう

高校野球の全国大会で広島県の代表が、8月6日の8時15分に黙祷をしようと他県の代表に呼びかけようとしたところ、大会関係者に止められたということ。その際に大会関係者が「原爆は広島だけのこと」「みんなを巻き込むのはよくない」と発言したと、某全国新聞に報じられた。
そんなことは言ってないという大会主催者からの抗議があって確認したところ、そのような発言はなかったということが分かったとのことで、この某全国新聞社が謝罪したとのこと。ちなみにこの新聞社は別シーズンの全国大会に関連が深い。
妙にリアリティに溢れた記事だと思ったんだけどね。
いかにもありそうなお話だなと思ったし。
まあ、仰ってないということだから、仰ってないんでしょうけれど、ね。
それにしても、この理屈立て以外のどのような論理でもって、高校生たちを説得したんだか、ぜひ聞いてみたいものだ。私にはどうにも思いつけない。いや、根も葉もない話にしては妙に出来過ぎてるとか、大会関係者が強硬に出たら毎日新聞も選手たちも逆らえないだろうとか、選手たちだって言ったの言わないのの七面倒な話などさっさと忘れて試合に集中したいだろうしとか、そういう無根拠な推定はしてませんよ。ただ、思考の訓練としてね、この場合自分なら何と言うかな、ってね。
実際、他府県に出てみると原爆って俺たちが思ってた以上に広島や長崎だけのことだしね。
京都では時々、3発目はお前らだったんだぞと、嫌みの一つも言いたくなったりしますからね。
でもまあ、8月9日と言えばソ連の対日参戦の日じゃないかと、旧満州でご苦労なさった人に言われたら(例えば私の母とかね)、返す言葉もない。酷い目にあったのが自分らばかりだと主張しているように思われては理解も連帯もあったものじゃないしね。

私の年では自己嫌悪も許されない

仕事の段取りが悪くて、やれやれ俺はダメだなと自己嫌悪。これ自体はよくある話なのだが、今日、ふと、自己嫌悪そのものが俺にはもう許されない悪徳なのではないかと思った。
今の自分がダメだと思うのは今以上の自分を想定しているからだ。高校生ならともかくも30台も後半に入った俺が「今以上の自分」に現状の自分以上のリアリティを感じててどうするんだよと思う。それは未熟者にのみ許容される特権である。
10年目過ぎた医者には、自分はまだ未熟者ですと述べる権利はない。単純に文学的な謙遜ならまだしも、暫しの猶予を頂ければご満足頂ける程度に成長しますから本日のところはご勘弁を等と言っても、誰もそんな言い草を許してはくれない。臨床にはそんなロートルな未熟者を飼い殺しておくゆとりはない。後進にポストを空けてくれよと言われるのがオチだ。私も自分より年上の医師に、直接は言わないまでも内心そう思って舌打ちすることが屡々であった。そう言われ得る年代になってそう言われる程度に無能なら、言われることを甘受するのがフェアというものだ。
今さら自分の将来への成長分を自分の価値として現在の評価に組み入れるような(例えば今のところはろくに配当も出せないようなドットコム企業があと何年かしたら云々言って投資を得ようとするような)マネが許される年齢ではなくなった。自分の評価は現在の自分のスペックでしか得られない。結構厳しい。