あちこち読んで、「自業自得」について思うことの断章を。応える人は応えてください(答えなくてもいいけど)。大半の読者諸賢は応えないだろうから、自分宛の記事じゃないんだなと思って無視して下さい。今日は万人宛の記事じゃないです。すみません。
・成人相手の諸先生は「自業自得」の生活習慣病について治療すべきかどうか迷うらしい。少なくとも治療するのに自分を納得させる理由を欲しがるくらいには。現代では道徳的に正しく暮らす人間でないと生存権が認められないらしい。自らの生活に清く正しく美しくない点を自覚なさっている人は、患者さんとして診察室にはいるときは直立不動、右手を斜め上方に真っ直ぐ挙げて「はいる!」と叫んだほうがよいかもしれません。そうすれば多少は真面目な診療をして「頂ける」かもしれませんぜ。
・今の仕事に迷うのなら標榜を変えて新生児医療に来ればいいのに。NICUは「自業自得」などと言う偉そうな言葉からかなり遠い。同じ悩むにしてももう少し血の通ったことで悩めますぜ。
・かつては自閉症も育て方の問題、親の「自業自得」の問題だった。恐らく当時の医者たちは、肺ガンの原因を喫煙に求めるのと同じくらいに、自閉症は親の責任でなるものだと思っていた。思うだけではなく、実際に親を責めた。当時の医師が自閉症を治療するべきかと迷ったかどうかは知らない。当時の医者は今みたいに世間に自分の迷いを手軽に表明する手段は持たなかったし。まあ、子自身の「自業自得」とは思ってなかっただろうし、診療拒否はしなかったかもしれないね。でも、あんまり目立った成果が(当時のこととて)あがらなくても、それを親御さんに指摘されたら当時の医者はかなり怒っただろうね。お前のせいで子がこうなったのを治療してやってるのに文句を言うとは何事だ!とか。想像だけでそう言っちゃうのはアンフェアかな。けっこう真実味のある空想だと思うけど。まあともかく、今では自閉症の原因を育て方に求める考え方が(少なくとも児童精神科の主流では)廃れてしまってるけど、もしもの話、それが廃れてなくて『こんな育て方を間違った親子のために貴重な医療資源を割くなんて』と医者に逡巡されたら、私は納得できないな。
・たばこ40本とか酒1升とか初診で白状してしまう生真面目な正直さに、嗅ぎ慣れた匂いを感じたりするんですけど。それとも、実は80本と2升なのを過少申告したのだろうか。
・そりゃあ我々とて聖人君子じゃあないし内心いろいろ思うことはあるんでしょうけどね。聖人君子だけで業界を構成しようったってただでさえ人手が足りないのに拍車がかかるだけだし、聖人君子も希少資源だから医療業界に優先配分というのも難しかろうし。でも内心思うことの中には決して人前に出してはいけない事もあるし、人前に出すならもう少し恥ずかしげに出さねばならない事ってのもあるでしょうよ。悩みを乗り越えて前進するぞっていう決意表明は嬉しいことなのかもしれんですがね、たとえばの話、「今日は午前4時に韓国人が受診してきた。こんな時間にあんないやな国の奴らの診療にあたるのかと思うと仕事が厭になりかけたが、それでも頑張るぞ」と言われて「よしよし頑張ってくれて嬉しいよ」と答えられますかね。私には無理だな。
