本音云々の批判は自分へのことかと思ってしまいます。

琥珀色の戯言 – 本音を書くな
この元記事が批判してる相手って私なのかな。けっこう厳しい批判だし宛先が不明確ってのは気になります。私宛てのような気もするし、しかし私宛てにしては紙一重以上に外されているような気もして、他に誰か念頭に置かれた方があるような。現時点で「本音」に関連する話題って全部自分に引きつけて考えてしまって、夜郎自大だってのは重々承知なんだけど。書いた人が意図的にぼかしてあることを「私宛てでしょうか?」と質問するのはなんか自白を迫ってるみたいで厭だし。まあ、読者諸賢には(むろんfujiponさん含む)反論反撃というよりは、お題を頂いて考えてみましたって事でご一読頂ければと思います。

【Aさん:いやあ、俺は動物の飼育係をやってるんだけど、ぶっちゃけ、ゾウって嫌いなんだよね、動きがのろいし、臭いしさ。
Bさん:Aさん、いやしくも飼育係たるもの、そのような動物の飼育係としての「本音」をサイトに書くべきではないと思います。そのような記述は、飼育係全体へのイメージの低下を招きますので、公のWEBに書くのは不適切です。】
 僕は思うんだけど、この場合、Bさんのコメントって、BさんはAさんに直接メールすればすむことなんじゃないかい?あるいは、「飼育係がみんな、ゾウを嫌いなわけじゃありません。」と自分のサイトで言えば済むことなのでは?

このAさんの言葉には私もそれほど違和感を覚えません。医者だって「いやあ、俺は医者何年やってても血の臭いに慣れなくてね」程度の言葉は、あり得るんじゃないかなと思います。あんまり腹が立ちません。感覚的な物言いなので突き詰めれば矛盾があるかもしれませんし、腹は立たなくとも頭では否定するべき事って世の中にはいろいろあることですから、頭での検討は別途必要です。そういう保留は置きますけれど、私の腹というか感覚では、動物園の飼育係であっても「私はゾウが嫌いだ」と、すんなり書いていいと思います。それに対してBさんのコメントは大仰すぎるかと思います。
しかし、我田引水的にこの言葉に付け加えて
【Aさん:いやあ、俺は動物の飼育係をやってるんだけど、ぶっちゃけ、ゾウって嫌いなんだよね、動きがのろいし、臭いしさ。なんでゾウなんかにエサ代使うかね勿体ない。俺らの稼ぎから出てるんだろ?
と言われると不愉快になってきます。私はこの時点でBさんのコメントに賛成になります。自作の言い換えでも「いやあ、俺は医者何年やってても血の臭いに慣れなくてね。夜中に怪我して血ぃ流しながら救急に来るような奴になんで俺が払った税金や保険料を割くんだ。」と付けると話が違います。太字の言明は、同業の他者が関わることをも否定し、結果的には言及の対象(ゾウだったり患者さんだったり)の生存権を否定しているからです。とまあ、もっともらしい理由を付ければそういうことになりますが、これも私はけっこう感覚的にものを言ってます。一読して反射的にムカッとくるかどうかの境目が、私にとってはこの細字と太字のあいだにあります。生存権云々の理由は後から付けたもののような自覚があります。本質的な理由を聞かれたら「だって、そういうものだから」としか答えようがないとも思えます。
では単純に好き嫌いだけの言明なら善いかというと、そうでもないです。医者が患者さんのカテゴリーに対して単純に好き嫌いを言うことは、無前提に許されるわけではないと思います。動物園の飼育係よりも制限が厳しいです。
極めて当然のことですが(書いてて読者諸賢を馬鹿にしているような感すらあります:申し訳ありません)、患者さんとゾウは違います。医者と飼育係も違います。
読者諸賢は当然ながら人間です。輪廻転生でもしないかぎり自身や身内がゾウになることはありません。こんな飼育係が担当になったらどうしようなどとご心配になる読者はまずありません。
ですが、このご時世に、自分或いは身内がホームレス或いはそれに準じた不遇をかこつ可能性が些かも無いと言い切れる読者は、なかなか無いのではないかと思います。ホームレスまで想像を逞しくされない読者でも、ホームレスへの医療費を出し惜しみする医者なら俺も粗末に扱われるかもしれんなと、お考えになる方は多いと思います。この御懸念は、「ゾウ嫌いな飼育係なら俺や身内も粗末に扱われるかもしれんな」との御懸念よりも現実味を帯びていると思います。
医者と飼育係が違うというのは特権意識を持った医者が飼育係という職業を腐している言い方だと、そういう愚かなご批判をされるような読者諸賢はまず無いと思いますが、あらぬ誤解や難癖を予防する意味でいろいろくどくど述べております。
ゾウが嫌いな飼育係は、べつにゾウの飼育係をする必要はありません。ゾウ以外の動物をお世話すればいいし、見るだけで厭ならゾウの居ない動物園に移ればいい。ゾウにとってはゾウが好きな人を担当に付けて貰えればよいだけのこと。それでみんなハッピーになるわけだし、全ての飼育係がゾウを好きになる必要はないです。そもそも動物園にはゾウを必ず飼わなければならないという法的義務や道徳的要請はありません。夜間の動物園にゾウが突然搬入されてきて当直のインコ担当飼育係が「ゾウ嫌いなのに」とか言いながら緊急に世話をしなければならなくなるということも、たぶん、ないでしょう。
ですが医師はこの患者さん嫌いだと言っても診なければなりません。その場にその患者さんの疾患を診れる医師が自分しか居なければ、自分が診るしかありません。飼育係と違って、他に替わりが居ないという状況は医者には珍しくありません。それは患者さんにとっても同じ事で、この医者しか居ないんだから選びようがないという状況はしょっちゅうあるでしょう。お互い現実的には選択不可能なんだから、医者は好きの嫌いのは禁句にしましょうやというのが、実践的な要請じゃないかなと思います。賢い選択というか、「お約束」というか。
そのような観点で、動物園の飼育係よりは、医者のほうが、好き嫌いを言うことに関して世間の寛容を得られにくいこともあろうよと、私は思います。
直接メールすれば済むことかについて。
たとえば私がメールを書くとして、真っ向から反論しても、「気持ちは分かるし俺も実はそう思ってるんだけど、世間的にはまずいから、いちおう、取り消しといてくれない?」と書いても、たぶん、あとで表に出てくる結末は同じだったと思います。彼女が「先の記事に一部不適切な箇所があり削除しました。ご不快にお思いになった方々には篤くお詫び申し上げます」とでも書かれた記事を載せて、本件はお終いになったでしょう。
でも、この両者は同じことでしょうか。
私にとっては全く違います。後者のような言説は私には不可能です。
読者諸賢にとっても全然違うでしょう。医者仲間にそれなりに自浄しようとする意思があるのか、それとも口裏合わせての自己防衛に専念するばかりなのか、この違いは大きいと思います。しかし対話が私信を用いて水面下で進められては、結局どちらだったのか読者には知る由もありません。自分の知らないところで話が進んだらしいという疎外感が好感を生むはずもありません。後でその対話の骨子でも彼女が報告したとしても、読者の皆様が持たれる印象から「猿芝居」とか「出来レース」とか「予定調和」とか「裏談合」とかいったイメージを払拭できる道理がありません。みんな不愉快だろうと思います。
そもそも私が噛みつかなければ世間の目にも触れずに済んだでしょうか。それは事なかれの先送りに過ぎないと思います。いつかは誰かの目につきます。なんでこんな発言がほっとかれるんだって話になるでしょう。あるいは、ああこんな事を言っても誰も文句言わないんだって事になって、それじゃあもうちょっと過激なことを言ってみようかって思う人が後に続くでしょう。そしていつかどこかで、また水戸の先生みたいな事件になる。少しずつ少しずつ積み重ねるなり差し引くなりして最後にドカーンと崩壊する、その崩壊の引き金を引いた人が負け。そういうゲームは色々ありますが、この場合は負けた人以外にも周囲が大きく巻き込まれます。
メールだと彼女自身にとっても実は不利益だと思います。メールだと、彼女には、表立って取りうる最終的態度として前言撤回か完全無視かの二つしか選択肢がありません。私信で寄せられた反論に表立って反駁して自説を補強する方法って私には思いつけません。私信の公開という掟破りでもしないかぎりは、彼女からの反論という選択肢はないのです。加えて、私信で寄せられた反論には、読者から「この反論は間違っている」という指摘が加えられる可能性がありません。そういう指摘があれば彼女にはずいぶん援護になるだろうに、他者の目のないところでは10年のうえから経験年数の違う私に彼女がまともに反駁できる道理はありません。
これは私にとっても問題です。私信で反論したのでは「君の反論は間違っている」というご指摘を読者諸賢から頂ける可能性がありません。その可能性を捨て去れるほどに自分の無謬性を信じこんでしまうほど、そこまでナイーブな愚か者にはなりたくないものだと自戒しています。
そういった関係者一同の事情から、今回のように不特定多数を相手にいったん表明されてしまった言説には、不特定多数の監視の下で進む議論でないと対応策が無いと思います。本質的な対処はメールじゃ無理です。不特定多数を相手にものを言うときにはそれだけの覚悟が要ると思います。
なお、前述の如く、医者の中に誰かこの人をみる物好きが一部あればよいというものではないと思いますので(現実的にそれでは間に合わない)、自分のブログで自分についてだけの釈明や決意表明をやるのでは、飼育係には十分でも医師には不十分です。読者の納得は得られないと思います。
 

「本音を書くな」と、わざわざアドバイスしているようで、実は、相手のためにもなっておらず、かえってそれが「その集団の一般的な本音」だと世間に誤解を広げているのに、本人は「自分は良い事言った!自分は大人だ!」と大威張りしているというのは、なんだか痛々しいというかなんというか。もっと客観的に物事を観ましょうよ、それこそ、WEBは居酒屋じゃないんだからさ。

2年目の研修医という、つい先日までは治療方針選択の重圧など記事にしていた初々しい立場の人が、無造作にホームレスの方の治療費を税金から出すことに疑問を呈されたわけです。無我夢中の駆け出しの人がやっと周りが見えてきたときに考えることってのは、本人は自分の気づきだと思ってても、大抵は周囲の受け売りに過ぎません。受け売りだからってそれで免罪されるってこともありませんが。研修医の先生が一人、あのように無造作に発言されるだけで、「その集団の一般的な本音」だと「誤解」されるには、世間的にはもう十分だと思います。駆け出しがこんな事を言うなんて、よっぽど指導陣は普段からこんなことばっかり言ってるんだろうな、とか。あるいはその指導陣を取り巻く医師業界は・・・・とか、延々広がっていきますね。
世間ってそういうもんじゃないですかね。思い込みで徒に世間を怖がりすぎでしょうか。そういえば「いつだってもっと悪くなる余地はある」ってのは臨床の教訓ですから、確かに、これ以上誰が何を言っても状況が悪くなることはない、という投げ遣りな言動はよくないかも知れない。
言ってみれば、よりにもよってもっともピンポイントな人が、言ってはならないことを言っちゃったんです。病院全体の雰囲気としてホームレス切り捨て論その他の公序良俗に反する議論が跋扈しているとの風評が最も立ちやすいのは、他の誰にも増して、そういうことを研修医が言っちゃった時だと思います。多分に、世間から叩かれ始めたとき、ベテラン医師が言ったのなら彼一人のクビで済むけど、研修医なら指導担当部長と病院長まで引責する羽目になるんじゃないかな。そこで問われるのは指導責任だけじゃないと思いますよ。君ら自身が普段からそういう言動してやいないかと、上層部をはじめとした病院全体の姿勢を問われると思います。
風評って客観的な評価を元に立つもんじゃないです。そう考えるに足るだけの蓋然性を持ちそうな理屈が立ち、世間の従来の理解に合うものなら、要は「世間が聞きたいと思っていた内容」なら、風評はあっという間に広がるものだと思います。ブログ書く暇もないほど熱心に働いておられる同業者に、凄く迷惑だと思います。

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