やっぱり、一つのミス、ですか。

琥珀色の戯言 – 「本音を書くな」と見解の相違
再々のご回答ありがとうございます。今回は私の言動に関してご言及いただきましたので、今度は私がお答えするべき番かと思います。

正直、先生が「やはりそれが医者の本音だということがわかって悲しかった」というふうにすぐに「転向」なさる程度の意識であれば、http://childdoc.exblog.jp/2185770#2185770_1で書かれたような、一研修医への激しい叱責は、あまりに度を過ぎたものだと僕は感じます。

言葉が過ぎたことは再々読者諸賢からもご指摘を賜っており、この点についてのご批判はもっともと思います。まずその点は認めます。
ですが、医者の多くがその本音を共有しているという認識を強めたということが何故「転向」なのかがよく分かりません。もともと、他に考えることがあるはずだろうとは申し上げましたが、他の医者は誰もそんなことは考えてないぞということを根拠に彼女を叱責した記憶はありませんから。
私がそういう認識を強めたとして、それは私の「一研修医への激しい叱責」の度が過ぎたというご意見を補強する論拠にはならないと思います。
周りの先輩の言動や雰囲気から何となく彼らがそう思ってることが察せられた、その尻馬に乗って、ほんらい絶対に言ってはならないはずのことをのほほんとブログに語ってしまうという、そういう油断して世間を舐めた態度を取られるのは、私には不愉快きわまりないです。言説の内容の不愉快さに態度の不愉快さが加わります。ですから私としては、彼女の周りの多くの医師もまた内心はそう考えているかもしれないと考えてみたとて、そして彼女はそれを受け売りしたに過ぎないと考えてみたとて、それが彼女への怒りを減殺する要素にはならないです。

あるいは、「そんな本音を書くな」とアドバイスされた方々には、なぜ、怒りの矛先が向かなかったのか?

ご指摘どおりです。何故でしょうね。今さら考えてみました。
いや、実際のところ向ける気にならなかったんですよ。彼らに怒るのはなんか不当なような気がしました。その助言を拝読して、悲しいなとは思いましたけれど。
怒らなかったのが間違ってるとは思えません。そういう助言をされた人たちがその「本音」にご自身で賛意を表明された訳ではありませんし。確かなのは、そういう助言をなさった人もまた「あの言葉は彼女の本音に属することである」「そういう事を多くの医者が本音として胸に秘めている」「それを正面から論破してはかえってご自身のほうが野暮な世間知らず(あるいはそれに相当する愚か者)扱いされる」とご認識であるという、そこまでではないかと思います。私とあんまりお立場に違いがあるとは思えないのです。悲しい現状認識が、なお悲しいことに他の諸先生により肯定されたといいますか。彼らと私の差は、単に、身内の将来の不遇を具体的に想像する立場にあるかどうか、それだけじゃないかと思います。
いや、当時そのように明確に考えてたわけじゃありませんよ。当時はただ、悲しいけれど彼らに怒る気は起こらなかった。それだけです。今さらのように矛盾のない物語を編み出しているだけじゃないかと仰られたら、そのご批判は甘受いたします。

【1つのミスを指導医に徹底的に責められ、自分の言い分はすべて「正論」で返されて逃げ場もなくなり、精神的に追い詰められて病院の屋上から飛び降りてしまおうとしている研修医の蒼ざめて引きつった表情】というのが、僕の心に浮かんできて、消すことができないのです。

やっぱり、「一つのミス」なんですかね?そのミスで迷惑被った患者さんへの言及は省略できるレベルの些細なミス。たとえ比喩レベルでも私はそこまであっさりした総括はできません。正直申し上げて、先のゾウと飼育係の比喩以来、なんとはなく問題を矮小化されてるような気がしてなりません。たぶん、誰を身内と考えるかということの、先生と私との相違なのだと思いますけれども。
1つのミスリハビリで歩行訓練中の患者さんに「もっとしゃきっと歩きなさいよ!」と聞こえよがしに吐き捨てたのを指導医に徹底的に責められ、「だってあんな怪我がほんとに痛いわけ無いじゃないですか」という自分の言い分はすべて「正論」で返されて逃げ場もなくなり、精神的に追い詰められて病院の屋上から飛び降りてしまおうとしている研修医の蒼ざめて引きつった表情】というくらいしか、今度の彼女の心象を想像するのに、私には考えられません。いや、飛び降りてしまえと申してはおりませんよ。自分がそこまで追いつめたんだろうなとは認めますということです。また当然のことですが自分が彼女を屋上へ追い上げたことを「彼女のためを思えば」とか言って恩を着せるつもりはないです。飛び降りずに屋上から歩いて戻ってきて欲しいと思いますよ。一歩一歩、自分の来し方を振り返りつつ。

他者を教え諭すにしても、やはり、ある種の「受容」が必要だと思います。ましてや、まだ「未熟」だと思うような相手になら、なおさらのことです。

ご指導痛み入ります。

僕の「想像」を、先生は「ありえないこと」とお笑いになられますか?

笑いはしませんが、悲しくなります。fujipon先生にして「1つのミス」レベルの話なのかなと。

見解の相違がこの辺にあるのではないかと。

琥珀色の戯言 – 本音を書くな 追記
迅速的確なご回答をありがとうございます。
恐らくfujipon先生と私とはこの点で意見を異にしているかと思いますが、私は、ホームレスへの医療(高度先進医療ではなく初期救急レベルの基礎的な医療)への公費負担反対というのは、実際にかなり多くの医師に共有された「本音」かと思っております。これは決してfujipon先生への批判とは受け取って頂きたくないのですが、これが共有された本音であることを否定するのは、あたかも世間に向けてシラを切るようなことではないかと、思います。
以前にもホームレスに関する論争が、あちこちの医療系内外のブログで行われました。あの時も医師の書くブログでホームレス切り捨て論が主張されたのが発端だったと記憶します。案外と医師の書くブログにその意見に賛同する主旨の記事が多くみられ、医療外の方々のブログでむしろ反対意見が多かったように記憶しています。その一連の議論が、ホームレスやニートをメインテーマに扱うサイトにも注目されました。参考までに私が念頭に置いているサイト(といいますか、念頭に置いたサイトのurlが集められているサイト)を列挙しておきます。
エキブロ・メディカル「ホームレスについて考える」
ミッドナイトホームレスブルーPlusOne「名古屋・白川公園でホームレステント撤去」
hotsumaのURLメモ
あの時は私は微温的な感想を一件書いて済ませました。特殊な思想と態度を持った一部医師の独走と信じたい気持ちで居ました。自分も医師のくせに他人事のような見解ですが、もともと小児科は本件では蚊帳の外です。さすがに生保の子は小児科に来るなといった意見は皆無ですし、ホームレスの子どもを公費で治療しましたと言ったところで、なんで子どもがホームレスなんて境遇にあるんだという御意見はあっても、ホームレスの子どもの医療費を公費で賄うなんて勿体ないという御意見は社会中どこを探しても無いと思います。ですから本件が医師の本音であるかどうかに関しては、私ら小児科はむしろ外部から推測する立場にいます。
ですから今回、研修医がホームレス切り捨てに関して肯定的に語ったのには衝撃を受けました。それは彼女がロールモデルとしている指導医たちにも共通する意見である可能性が強いと思いました。特定の医師が直接そんなことを彼女に吹き込んだとは断定できません。でも、彼女はあのようなことを言う医師像を理想的医師像として彼女なりに作り上げてきたのだろうとは言えます。そういう研修を受けてきたのだろうなと思うのは邪推じゃないでしょう。単純無思慮な感想としてか、世間的にはタブーな思想をあえて共有することで仲間意識を高める秘儀的思想としてか、なにさまそれほどまでにホームレス切り捨て論は医師の間に蔓延しているのだと、私は感じました。せめて、「若い頃にはあの落とし穴にはまっちゃうんだよな;克服できて一人前だわ」といった通過儀礼的錯誤として捉えられてあれば、まだマシなのですが。
何にせよ、ガス漏れを察知するには異変を生じるカナリヤは一羽で十分だと思います。
fujipon先生ご賢察の如く、彼女に対して寄せられた「そういう本音を人前で語るな」という助言には、悲しい思いをしました。やはりこれは多くの医師に共有された本音なのだなと感じました。不愉快というより、失望を伴った再確認という感が強かったです。それがホンネなら、また他にもいろいろ「ホンネ」があるようなら、それなら医師はホンネを語っちゃいけないなと思い、医師ブログとホンネの記事を書きました。時系列的にはそういう風に記憶しているのですが・・・それは私の記憶違いで、彼女に「そういうホンネを人前で語るな」との助言がされたのは私のこの記事の後だったでしょうか。サイトが消えると検証も困難で歯痒いですね。ともかく、そうだったとしたら、fujipon先生御言及の「誤解」(前述の如く私は強ち誤解とも言えないと思っています)の責任は私にありそうです。
一方で、「そういうホンネを語るな」という言説に、一定の、実践的な効果はありそうに思います。ホームレス切り捨てといった論は、議論のうえで論破することは可能です。論破どころか、反論を述べられた途端に、「はいはい先生の仰るとおりです」と簡単に折れられることが多いかと思います(必ずしもそうではないのは前回の議論がけっこう大激論になったことからも察せられますが)。でも心中は納得してない、というか、「まーた石頭が正論ふっかけてきやがったよ」と反感を籠めて舌を出されることが多かろうと思います。思うに、こういう酷い内容の論は、人種差別とか民族差別とかにも似て、愚論だけど強烈に聞くものの頭に刷り込まれてくる。たちの悪い耐性菌にも似て、いったん頭にこびりついたら駆逐は極めて困難で、せめて「そういう事を公に言うなよ」と諫めることで伝播を食い止め、世評への悪影響を防ぐという対策が、実践的には最善策なのかも知れません。むろん、ご指摘の如く、それがその集団のホンネだと暗に肯定してしまうというコストは伴いますから、費用対効果の考察は必要ですけれど。
それはそうと。
御言及の、ゾウ嫌いな飼育係Aさんと批判するBさんの対話ですが、Bさんの言動が妥当かどうかは、Aさんの言説の内容自体の倫理的な妥当さや所属集団がその言説を共有することの蓋然性と倫理性に依存すると思います。やっぱり、Aさんの言説内容の検討を抜きにしては語れないのではないかと思います。