自分の書いたものを読むのも好き

私は自分の書いた文章を読むのも好きだ。書くのが嫌いなら最初から書かないだろう。書くのは好きだけど自作を読むのが嫌いなら片端から書いて保存せずにファイルを捨てればよい。
時にはあえてそうすることもある。「王様の耳はロバの耳」と叫びたいことは私にだってある。
自分の書いた文章と言っても、私自身にとってもこのブログはyamakawという他者の書くブログである。彼はときどき私にも意外な事を書く。yamakaw君そんなことを考えていたのかと自分でコメントつけたくなる事もある。むろん、彼の語ることには私は責任をとる。
内田先生の著書で拝読してなるほどと思ったのだが、私もまた自分という他者の言葉を聞くという形でしか自分の考えている事を知り得ない。頭の中で考えている段階で、既に、私は自分という他者が頭の中に語り出す言葉を聞き続けている。思考の訓練が中途半端なもので、その語りだした言葉をさらに物理的に書き出してみると、頭の中に聞いた言葉とは何となく違うことを言っているように感じられる。まして、過去に書いたブログ記事から私に語りかけるyamakaw君は、過去の私の分身であって、今の私とは異なる。彼はあくまでyamakaw君であって今の自分じゃない。
読み返しても、決して自分の文章だから陳腐だとは思えない。こう申し上げては読者諸賢に失礼かも知れないが、このブログを私以上に愛読している方はそうそう居られないのではないかと思う。自己陶酔に浸っているばかりじゃない。自分の記事を読みながら、自分の思考のフレームを探っているつもりである。書いたこととともに、ここで自分が書かなかったことは何かと考える。思いつけなかったのか、あえて無視したのか、耐え難くて書けなかったのか。

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