この夏から秋にかけて、先の太平洋戦争に関する書物やテレビ番組を色々とみた。最初はNHKで8月に放送された「零戦ニ欠陥アリ ~設計者たちの記録」を観た。装甲が皆無であるとは知っていたが、急降下時に速度を上げすぎると操縦が不安定になるという欠陥は初耳だった。
ついで「零のかなたへ」なるテレビドラマを観た。現代の漫才師が交通事故のはずみに昭和20年8月の特別攻撃隊基地にタイムスリップするという設定。これまで特攻隊を扱った番組はテレビであれ映画であれ種々の理由で忌避してきたので、映像で特攻隊員の姿を見るのは初めてであった。この物語はそれなりに評判を集めていると噂に聞いたので敢えて観ることにした。
やはり、「零戦ニ欠陥アリ」の予備知識のお陰か、「それ嘘だろ」と突っ込みたくなる点が多くあった。
ドラマでは出撃した全員が突入に至り命中してたけど、20年8月の時点で、戦闘機の護衛も無しに特別攻撃機が米艦へ無事に到達できるものかよと思う。制空権なんて全部向こうがもってるのに。実際には米軍機に撃墜される恐れがあるため本土基地での飛行訓練もままならなかったと聞く。あるいは、もともと高速で降下する際の不安定さが最大の弱点であった零戦に、練度の低い操縦士と重い爆弾を積んで敵艦に体当たりさせるって、全員が全員命中するわけないじゃないかとも思う。海面に突っ込んでしまった機体も数多いのではないか。あるいは一直線のコースしか取れないために容易に艦上から機銃で狙えたりとかするんじゃないか。
出撃間際に米戦闘機が飛行場に攻撃してきたときに、特別攻撃機がそのまま離陸して撃墜するというシーンもあった。タイムスリップした漫才師たちの心情の転機にもなる重要なシーンだったけど、特攻機はそもそも機銃や銃弾は積んでいなかった。計器類に至るまで取り外していたはずだ。ドラマでは爆弾を捨てた形跡もなかったけど(あれば爆発して滑走路に穴があいたはず)、爆弾を積んだまま離陸直後に急上昇して当時の米機に追いつけるほどの出力は零戦にはない。むしろ、急激に機首を上げた場合、失速して墜落する危険のほうが遙かに大きいのではないか。しかもその零戦の機銃弾数発で米軍機が炎上してたけども、装甲の厚い米軍機が零戦の機銃弾が数発当たっただけで爆発炎上するはずがない。そもそも、ろくに飛行訓練もしていない学徒兵が重い爆弾をくくりつけた零戦で米軍機とまともにやり合って勝てるようならね、戦争に負けるわけが無いじゃないか。
フィリピンで撃墜王と言われた名パイロットが、志願して特攻隊員になり他をも誘っていたという逸話もあった。それってどうなの?残り少ない熟練パイロットを使い捨てるような作戦にそこまで積極的に志願できるものだろうか。俺を捨てるようじゃもう負け戦だと諦めて自分ひとり参加するというのなら分かるけど、他人まで誘うかな。これは嘘だろうとまでは言わないけれど、なんかあり得ないことのような気がする。
全体に、あり得ないくらい神風特別攻撃隊の作戦が上手くいっていたかのような錯覚を抱かせるドラマであった。隊員たちも体当たり攻撃の成功率に関してはあんまり疑念を持ってないようで、彼らの思索は体当たりが成功して一定の戦果が挙がることを前提として始まっていた。途中で撃墜される確率が例えば9割越えてますよという話になれば、隊員たちももうちょっとドラマには描かれなかったような事をあれこれと考えてたのではないかと思う。史実の上ではどうだったのだろう。隊員のみなさんは作戦の実情をどれくらいご存じだったのだろうか。現場はもうちょっとじたばたした状況じゃなかったのだろうか。そのジタバタをそのまま描いたとて彼らを冒涜することにはならないと思うのだが。こんなお気楽なドラマには、もうちょっと大変だったのだよと、むしろ彼らから時を越えてのクレームが付くのではないか。
タイムスリップして当時の特攻隊員の身体に入れ替わってしまうという設定で、漫才師たちもだんだんと元の特攻隊員の精神が入り交じってしまって、最終的には特攻隊員として出撃して行く。むろん、そうでもしないと漫才師がいきなり零戦を操縦できるという話の設定が成立しないからしかたない。しかし、彼らが妙に達観して飛び立っていったのも、必然的な帰結なのだろうか。当時の特攻隊員の同僚たちですらそれなりに死を思って苦悶の末に出撃して行く中にあって。私は、現代の漫才師でも十分納得して自発的に特攻へ行けるんですよと、そういうメッセージを番組に読んでしまった。あるいは特攻ってそういうリーズナブルな作戦なんですよと。爆弾かかえて敵に突っ込むって案外と抵抗無くできることですよと。なんかすごく特攻隊員の方々を馬鹿にしたお話じゃないかとも思うんですけど。しかも漫才師だけは突入シーンが無いんだよね。現代人が我が身に置き換えて観るべく配置された登場人物の死ぬシーンだけは描かれない。なんか欺瞞的な気がします。
それってどうなの?戦後60年に語る物語としてふさわしいの?むしろこれから米軍相手に自爆テロやりますよって人らが戦意鼓舞のために観るのに手頃なドラマじゃないかって気がするんですけど。海外メディアは自爆テロを報じるのに”Kamikaze”の語を常用してるんでしょ?あるいは逆に、元々は「誰だって死ぬのは恐いにきまっとるやろ」とか、「ことわられへんかっただけなんとちゃうん?」とか言ってた漫才師ですら最後には自ら飛び立ってしまうと言うところで、心理操作って恐いよというメッセージを籠めたんだろうか。そうは読めなかったけどな。
