「特攻と日本人」を読み終えたところへ、小泉首相の靖国参拝のニュースが入った。型どおりに中国と韓国から批難され、米国からは「靖国参拝と6カ国教義は別だということを関係諸国はちゃんとわかってるはずだ」と国務省の誰かが高踏的な口調で述べた。東アジアで日本と中国韓国があんまり親密になっては米国の立場がなくなるので、日本政府は中国や韓国の神経をときどき逆撫でしておく必要がある。内田先生のブログに書いてあったとおりの筋書きである。
小泉さんを無思慮な直情径行の人と予断してはならない(そう予断して大変な目にあった人が今回の選挙で数多く居た)。彼の行動は老獪な政治家のそれだ。首相の靖国参拝も、日米関係の問題として考えれば全く筋が通ったことなのだ。靖国参拝は米国の国益に適うことなのである。小泉さんは日米友好のために靖国へ参拝しているのである。そうでもなければ、A級戦犯を祀った神社を首相が参拝するのを、米国が黙認するはずがない。彼らをA級戦犯と断じた東京裁判の中心になったのは米国である。東京裁判の結果を受け入れますって言うから講和したんじゃないかよと言われて当然なのである。米国民にとっても、イオウジマやオキナワというのはそれなりの犠牲を払った土地として記憶されていると聞く。米国の退役軍人会の面々から「コイズミがトージョーを神として拝むのはけしからん」と批難の声が上がらないのは本来不自然だ。原爆の正当化に関してはあれだけ神経質な面々なのに。その声が上がらないのは上がらないようにする意図がどこかで働いているのである。
首相は毎夏の原爆忌において米国非難の色彩をいかに薄めるかには可哀想なくらい神経質になっている。原爆忌を報じるニュースに登場する小泉さんの顔色の悪さは目に余る。まるでブレジネフ時代のチェコ首相がプラハの春の犠牲者を追悼する集会(ブレジネフ時代にそんな集会を開催できたとしてのことだが)に出席して挨拶をしているかのような怯え方である。特攻の記念館で泣く人が原爆の犠牲者には無神経というのでは判断力の一貫性を欠く。思想の左右を問う前に責任能力を問わねばならぬ。首相も大変だよなと同情する。私は以前ほどには、小泉さんの靖国参拝を非難する気分になれなくなっている。
