乳幼児の嘔吐下痢が流行する季節となった。柿が赤くなると医者が青くなると称して10月は一般外来は閑散としているものなのだが、11月になって受診者数が増えてくると、その大半が嘔吐主訴となる。今日も来る子はみな青い顔をしていた。待合いで吐いた吐物の臭いを発散させている子もちらほらとあった。
昔は冬場の嘔吐下痢をすべてロタウイルスのせいにしていたのだが、最近は色々と別口のウイルスが見つかってきている。11月は小型球形ウイルスの季節。12月いっぱいまで嘔吐下痢を診て、入れ替わるようにインフルエンザの時期が来て、続いてロタの波が来る。
嘔吐下痢症の子の腹は、触ってみるとぐんにゃりと弾力を失っていて、押し込んだ手形が手を放しても残っているような感じがする。また、冷たい感じもする。単純に温度が低いと言うより、こちらの手のひらの熱をすっと奪われる感じ。暖めても暖めても熱を吸い込むばかりで全然暖まらない感じというか。物理系の人は比熱が高いと表現するのかな。昔の人はこれを称して「腹を冷やした」と表現したのだろうかとも思うことがある。
風邪の最盛期の体熱感と、治りかけの時期の体熱感とでは、体温計が同じ数字を示していても、体に触れるとなんとはなく熱さの感触が違う。最盛期の熱さには「芯」がある。治りかけの時はその芯が抜けている。聴診器を当てながらそっと左手を子どもの胸や腹に添えてみて、かえって聴診器よりも手から伝わる情報のほうが多いような感がある。
主観的なことなんですけどもね。でも達人になると、それこそ額に手を当てるだけで子どもの体の中が隅々まで見えるんじゃないかな。どうだろう。
月: 2005年11月
ミッドナイト最終話
ブラックジャックの日
前の記事の修正。手塚治虫氏は脳死臨調ではなく、厚生省(当時)の「生命と倫理に関する懇談会」のメンバーでした。失礼しました。
先日取り上げた最終話は、秋田文庫の「ミッドナイト」第4巻に出てました。ミッドナイト (4)
手塚 治虫 / 秋田書店
ISBN : 4253173802
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ブラックジャックは、従来は脳死ではないと判定していた患者を、再び検査することもなく「死んでいる」と宣言して移植のドナーにしていました。記憶にあった内容と細部では異なり、「たった今死んだんだ」ではなく、本書では「この患者はもうとっくに死んでいる」という台詞になっていましたが。
作品世界でブラックジャックがこのような行動を取るのは決して矛盾していません。無免許医ブラックジャックを縛るものは彼自身の内面にある倫理しかないのですから。無免許医であればこそ彼は保険診療にも医師法にも拘束されません。応召義務すら彼にはありません。
ブラックジャックを無免許医として設定したのは天才手塚の面目躍如たるところです。ブラックジャックが面白いのは、単に彼が天才外科医だからとか金にうるさいからとかではなくて、究極的な技量を持つ医者が社会的な束縛を受けなかったら何ができるかを極北まで追求できるからだと思います。あるいは、そのブラックジャックをさえも束縛するようなものがあるとすれば何か、を考えることが、かなり深遠で根源的な思想につながっていくからだと思います。
ただブラックジャックが社会的な束縛を一切受けない無免許医である故に、脳死と臓器移植を巡る議論で彼に登場されては困る向きもあるはずです。当時の脳死と臓器移植を巡る議論の文脈では、厚生省に公式に招かれた漫画家にこういう作品を発表されては、推進派はこういうことをやりたいのだなという憶測をまねき、まさにこういう事態が生じるのを避けねばならんのだという意見が勢いを増すでしょう。脳死移植を推進したい立場の人々にとっては、この作品はあまり人目に触れて欲しくないものであったはずです。
前の記事で私は手塚のミスと書きましたが、彼が一介の漫画家として完結している限りは、この最終話はミスではありません。些か尻切れトンボに連載が終わった感はありましたが。むしろ彼にミスを言うなら、脳死に関する当時の議論の如き、あらかじめ結末が決められた議論に巻き込まれてしまったことこそがミスだったと思います。
インフルエンザ脳症のガイドライン
11月25日
23時ころ帰宅。インフルエンザ脳症の診療ガイドラインが出ていると集中治療のMLで知り、国立感染症研究所の感染症情報センターWebsiteからダウンロードする。縮小印刷して手帳に貼り込む。こういう重要な情報を小児科以外の先生から聞いておもむろに入手というのはいささか遅きに失したような気もする。まだシーズン前だし間に合ったと言えば言えるのだが。ダウンロードが妙に重かったが、おそらく同じ投稿を読んで全国から一斉にダウンロードされてサーバがひいひい言ってるのだろうと思う。こういう重要な情報のリリースを見逃さないようにしようと、アンテナに登録する。お役所のサイトなのにアンテナ登録者も意外に多くて、こちらでも同じ事を考えた医者がたくさん居たって事だろうなと思う。
糊がないと妻に言ったら娘の部屋から香料入りのスティック糊を出してきてくれた。娘も妙な女の子グッズを使うようになってきた。
無駄な作業に終わることを祈りたい。こんな資料が役に立つ状況にはできれば遭遇したくない。春になってシーズンが終わった頃に、準備してたけど無駄だったねで笑えればそれが一番よい。でもうちのような場末の救急外来でも、過去にインフルエンザ脳症の子が受診したことはある。インフルエンザで熱性痙攣をおこし痙攣後の混迷からなかなか回復しないという子にどう対処したらよいのかという点も確かめておかねばならない。熱性痙攣後の混迷ならたいてい5~6時間もしたらけろっと目を覚ましてこられるのだけど、5~6時間を待つ間ただ祈るだけで済ませられるほどには、私は普段の心がけが宜しくない。
ぺたぺたと糊仕事をしながら、内田樹先生の「『責任を取る』という生き方」を読む。インフルエンザ脳症なんていかにも医療紛争に絡みやすいテーマの資料をいじりながら読むには、適時といえば適時、気が重いと言えば獅子咆哮弾でも撃ったかと思うほどに気が重い内容である。
内田先生がここで仰る「責任を取るという生き方」はしかし、自分一人だけが採用するのは困難だ。他責的・傍観者的な人たちに囲まれて自分一人が「責任を取ります」なんて言った日には、事あるときにスケープゴートにされるのが落ちだ。
いざというときにスケープゴートにされないためにも、普段から小出しに自責的になっておいて周囲の「社会的な承認や敬意や愛情を持続的に確保する」のが巧みな生き方なのだろう。だからって訳でもないのだろうけど、医者になって一年目二年目で大変にお世話になった先達から、「患者さんの身に起きることはすべて主治医の責任やからね」と繰り返し言われた。あれは道徳ではなくて処世術であったのかと、今さら思う。
がんばれ城島
「日本選手には、国債や原子物理学を語るような厳密な英会話ではなく、共通言語である『野球』が求められている」
そりゃそうだわ。
さらにバレンタイン監督からの御言葉
「形容詞や助動詞の使い方、動詞の時制を理解することは、米国でプレーする役に立たない。投手とチームメートについて学べるかどうかだ」
心強い御言葉です。城島はバレンタイン監督にとってみれば口八丁使ってでも追い出したい相手だろうしという利害関係を差し引いても、よい言葉です。
ブラックジャックの日
オフの休日(決して休日=オフではない)という稀な状況だった。たまの休日には、今日はいちにち休みだぜ何をしようかなとわくわく考えている内に日が暮れてくる。でも前日から予定を立ててタイムスケジュールを組んで有効に休むなんて、そりゃ休みっていうのか?と思う。とことん無駄に蕩尽してこその休みではないか。
というわけで、でもないが、ぼんやり一日、取り貯めた「ブラックジャック」のアニメを連続で観ていた。相変わらず、先生そのメス滅菌してあるんでしょうねとか、清潔の術技着けた後でマスクしちゃあ髪の毛で袖が汚れるでしょうにとか、いろいろ野暮な事も考えた。だがこうして観ると手塚治虫のストーリーテラーぶりがよくわかる。原作から改変された部分は必ず詰まらなくなっている。種々の大人の事情で改変せざるを得なかった部分って場所なんだろうから、詰まらなくなったからってアニメ制作陣を責めるのは理不尽ではあるのだが。
手塚はしかし大きなミスもやっている。晩年の作品「ミッドナイト」の最終回で、ブラックジャックは主人公ミッドナイトを救うべく、植物状態ではあったが決して脳死ではない患者に関して「この患者はたったいま死んだんだ!」と脳死判定することもなく断言し、ミッドナイトの脳をその患者に移植している。まさに和田移植そのまんまであった。レシピエントのミッドナイトが生き延びたことを別にすればだが。
このエピソードは少年チャンピオンの連載最終話である。本屋の店先で立ち読みして、こりゃ幾ら何でも拙いと思ったからよく憶えている。少年チャンピオンコミックスの「ミッドナイト」最終話は差し替えられてあった。社会的には脳死の議論真っ盛りのころで、脳死臨調に参加していた手塚治虫が描いたにしては不用意なお話だった。差し替えもやむを得ない。ただあの少年チャンピオンは購入しておくべきであった。貴重な資料だったのに。
私の記憶違いだろうか。記憶違いにしては生々しいのだが。15年以上まえの少年チャンピオンなど検索のしようもなくて、確かめようがない。なら書くなよって話になるかな。誰かご記憶の方いらっしゃいませんでしょうか。
スイングガールズ
小児アレルギー学会とかなんとかで二人欠勤の土曜日午前中。なのに予防接種外来にはてんこ盛りに予約を入れてある。インフルエンザワクチンの季節なんだから仕方のないことではある。マネージメント拙いねと言いつつ外来の応援に入る。
本来、私は土曜日はNICU担当で、ぼちぼちと週末の仕込みをしつつ来週の計画をぼんやり考えているうちに過ぎるはずの日なのだが、今日は多少は忙しい思いをした。土曜日は普段よりも受診者の年齢がすこし高く、疾患がより軽症で、「一週間引っ張ってたんですけど良くならなくて」の普段よりスローペースな受診が多い。お父さんが連れてきて状況のよく分からない子も多い。どうも勝手が違う。
帰ってから、録画してあった「スイングガールズ」を観た。愉快な映画だった。本仮屋ユイカさんがよい演技をしていた。NHKのドラマを観ててっきり大根だと決め込んでたのだが。
4ヶ月特訓の成果とはいえけっこう上達するもんだね。私も金管小僧だったので、特に彼女らが下手くそな時代の音には記憶が重なって面はゆかった。できれば抑圧しておきたい記憶ではある。マウスピースをぴいぴい鳴らしていたころの記憶。でも金管楽器の音がそれなりに鳴ったときって嬉しいんですよね。量が質に転換する一瞬ってのを身をもって体験できます。
テオフィリンが使いにくくなった
ぜんそく薬「テオフィリン」、乳幼児の使用制限へ
どうして学会が新しいガイドラインを出さないうちにこういう先走った報道をするかねとまず思った。今日は全国の小児科外来で「うちの子の喘息の薬は大丈夫でしょうか」とご心配の親御さんが殺到されたのではないだろうか。でも報道機関としては知り得たことを迅速に報道するのが使命ではあろう。この記事はかなり正確に事情を捉えてある。誤報とするべき情報は何もない。であれば読売新聞を責めるのは不当である。
この記事はたぶんに小児アレルギー学会の誰かが監修した記事である。業界の内部にいる目で読めば一目瞭然。とすればこの記事がこの時期に発表されるのは学会の意思なのか?学会前日の外来が大混乱ってのはまずくないか?福井で開催される学会に出向くのに前日から休診にしてる先生も多かろうけど、学会から帰ってみたら留守を頼んだ代診の先生が烈火の如く怒ってるってことになりますぜ。まあ私は小児アレルギー学会員じゃなし、この学会の運営方針に口を出す立場じゃないけどさ、敢えて言わせて貰えば、明日から小児アレルギー学会があるってのなら、その学会で討議した新ガイドラインを各医療機関に配布して周知徹底したうえで世間一般に公表するってのが順序のように思うけれども。特に私のような、小児アレルギー学会の会員ではないのに日常診療で喘息の子を診ないわけにはいかない立場としては、その筋の人らをさしおいて独自のことを申し上げるわけには行かないんだ。そういう先生、多いと思いますけどね。
でも何が怖いって、喘息診療で一番怖いのは喘息発作の呼吸障害で子どもが亡くなったり後遺症を負ったりすることなんだけれどもね。テオフィリン関連のけいれんとか脳症とかが怖くないとは申しませんけれども、学会には、テオフィリンを使わない急性発作の治療法に関しての対案を、ガイドラインとしてちゃんと出してくれることを求めたい。長期管理には吸入ステロイドが有効だとしても、いま目の前で発生している喘息発作を取り敢えず止めるには吸入ステロイドでは足りない。発作を止めなきゃ長期管理もあったものじゃあない。喘息発作は夜間に起きるものだし、夜間の救急外来で発作の治療に当たってるのは必ずしも小児アレルギー学会員ばかりとは限らない。むしろ新生児学会の会員であることがよほど多いんじゃないか?そういう非学会員にテオフィリンを使うなというのなら、他のこういう薬を使いなさいと、具体的な対案を公式に提示してほしい。是非にも。「テオフィリンは喘息治療に精通した医師が注意深く使用する」なんて書くだけでは駄目ですよ。それならと夜中の救急外来に学会員の諸先生方を呼び出しますよ。「テオフィリンを使う局面ですから喘息診療に精通した先生に投与をお願いします」とか言ってさ。
それと、新生児科としては、乳幼児に使用制限するからってNICUで未熟児無呼吸発作の子にテオフィリンの処方をするのまで制限しないでよねと願いたいところである。
抗議行動の噂のような嘘のような
京都発
京都迎賓館ではブッシュ氏滞在の折の職員3名の行動について内部調査を進めている。
仲居のAさん(34歳)は会談中のブッシュ・コイズミ両氏にとつぜん「お茶漬け」を届けた。予定外の配膳にブッシュ氏は驚かされた様子であったが、「ジュンイチロウ、君お得意のサープライズか?」と笑い、慣れぬ手つきで箸を使った由。Aさんは「純粋に最高級品のお茶漬けで歓迎したかった」と話しているという。
仲居のBさん(43歳)は迎賓館の玄関に座布団を放置したとして叱責されている。問題の座布団は約半分が上がり框を越えて垂れ下がる形で放置されていた。Bさんは「特に他意はなく単に置き忘れただけ」と話している。また庭師のCさん(55歳)は清掃用具を放置した理由を聞かれている。事情を聞かれたCさんは「箒を一本片づけ忘れただけだ」と答えているというが、問題の箒は迎賓館入り口に逆さに立てかけられてあったという。迎賓館担当者は、いずれも意図的に行われた行為ではないか慎重に調査を進めると話している。
いや、こういう抗議行動もありかなって思いました。京都だし。
偉い人が来ていたらしい
ブッシュさんが上洛していたらしい。私は当直していたしヘリの音は聞こえなかったけれども(NICUではHFOがばりばり言ってるし)、噂には京都じゅうに警察官が溢れていたと聞く。宮城県警のパトカーなんて初めて見たと妻が笑っていた。あちこち通行規制もされていたようで、たまたま今日の予約だった子が迷惑していた。
滞在時間はかなり短かったらしい。御所から金閣を経てヘリで帰ったという。金閣ってのが如何にもブッシュだと思った。なんか金閣に失礼だけど。でも秋の嵐山観たいとか保津峡下りたいとか言われても警備陣が泣いて止めるんだろうな。それに彼も小泉さんも都ではお上りさんだから、「一見さんお断り」の店には入れずで短い時間も持て余したに相違ない。御所まできたのなら同志社の学食くらい行ってみたら、大学時代の学業成績が振るわなかったのを自嘲しているブッシュ氏もちょっとは愉快だったかも。などと、こういう時ばかり都人ぶってみる。
「瀬島龍三 参謀の昭和史」
「瀬島龍三 参謀の昭和史」保阪正康・文春文庫を読む。一人の人間についてたった一冊の評伝からものを言ってはならんのだろうけれども、私はこの瀬島という人に自分を重ねてしまった。
この瀬島という人は生涯を通じて生粋の参謀であったのだと思う。彼の性根は心底から参謀であった。それも極めて優れた参謀であった。そのことが彼にとって幸福だったのかどうかは疑わしい。心底からの参謀である彼は、上司からの問いには真面目に取り組み正しい解答を出そうと奮闘するのだが、しかし上司の出す問いが状況に照らして正しく立てられた問いかどうかは彼の関心の埒外にある。大本営でも、シベリアの流刑地でも、伊藤忠商事でも、第二臨調でも。
彼は自ら問いを立てることはない。問われたことに答えるのみである。答えた内容が実行に移された結果がどのようであろうとも、彼にとっては、結果は実行者の責任である。事態が歴史にどのように位置づけられようとも、それは彼の答申を得て歴史に自ら参画した上司の問題である。本書の著者である保阪正康氏は瀬島氏がその体験を語らないことについて批判しているが、瀬島氏自身は、おそらくは、自分には責任のないことを詰問されてもと、保阪氏の批判を理不尽に感じていただろうと思う。
私は瀬島氏を批判している訳ではない。私には彼のこのような精神性が理解できる。というのも、これは私自身の性根に他ならないからだ。私自身、彼の生涯のどの時点に我が身をおいたとしても、そこで私が取ったであろう行動は彼が実際に取った行動に他ならないからだ。東京裁判で彼がソ連側証人として証言したときですらまだ34歳だったことを考えると、彼の生涯のどの時点でも同年齢の私に替わり得るほどの胆力があるかどうかは些か疑問ではあるが。本書を読むとまるで前世の自分を批判されているかのような気分になる。