「『特攻』と日本人」保阪正康著・講談社現代新書は予想外の好著であった。著者は保守系の評論家だし(違うかな)、てっきり、特攻隊員を褒め称え、返す刀で今の日本人を腐すような書物なんだろうなと思っていた。詰まらぬ本だと笑ってやろうと読んでみて、良い意味で裏切られた感があった。
特攻隊員を愚劣な作戦の犠牲者と位置づけた書を初めて読んだ。というかメジャーな保守系の評論家がそういう位置づけを公然と唱えるのを初めて見た。管見の及ぶ限り、特攻に関するこれまでの言説では、立場の違いはあれ、作戦の主体は隊員たち自身であると見なす点では一致していたように思う。それがどうにもやりきれなくて特攻に関する書物は敬遠していたのだが。
当時の軍でさえ「特攻作戦は統率の外道」という諒解を持っていたとは初めて知った。美濃部正少佐のことも私は知らなかった。彼は海軍の航空部隊である芙蓉部隊の指揮官であったが、特攻作戦に公然と反対した。芙蓉部隊は沖縄での特攻編成から外れ、彼の部下には通常の戦闘での戦死者はあれ、特攻での犠牲者は出なかったという。こういう軍人の存在を私は知らなかった。あるいは日本で初めての特攻攻撃を行ったのは当時49歳で第26航空司令官であった有馬正文氏であったということも、私は知らなかった。彼は、戦争では年齢の高い者から順に死ぬべきであると言い、自らの機で体当たり攻撃を行ったのだという。何故に私はそういう人々のことを知らなかったのだろう。
私が不勉強なのみか?陰謀説って浅はかな考え方だとは重々承知しているが敢えて問う。隊員たちが主体的に特攻したことにすることで、あるいは特攻に公然と反対した軍人の存在を隠すことで、あるいは指揮官自らが率先して特攻したのが第1号であるという事実から世間の目を逸らすことで、得する面々があったのではないか?戦後の日本で特攻に関する認識を形成してきた人々の中には、そういう個人的事情を抱えて言論を誘導せざるを得なかった人もあるのではないか?いや、別に私はそういう人を糾弾しようとまでは思わないけれども。保坂氏ははっきりとその人々を一部名指しで批判している。私としては、なるほど今までの私の特攻に関する認識はこういう人々の影響で歪められていたのかもしれないと、保坂氏のおかげで知り得た次第である。糾弾するしないは別として、そういう人々があったと言うことは、知っておくべきだと思った。
