ミッドナイト最終話

ブラックジャックの日
前の記事の修正。手塚治虫氏は脳死臨調ではなく、厚生省(当時)の「生命と倫理に関する懇談会」のメンバーでした。失礼しました。
先日取り上げた最終話は、秋田文庫の「ミッドナイト」第4巻に出てました。ミッドナイト (4)
手塚 治虫 / 秋田書店
ISBN : 4253173802
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ブラックジャックは、従来は脳死ではないと判定していた患者を、再び検査することもなく「死んでいる」と宣言して移植のドナーにしていました。記憶にあった内容と細部では異なり、「たった今死んだんだ」ではなく、本書では「この患者はもうとっくに死んでいる」という台詞になっていましたが。
作品世界でブラックジャックがこのような行動を取るのは決して矛盾していません。無免許医ブラックジャックを縛るものは彼自身の内面にある倫理しかないのですから。無免許医であればこそ彼は保険診療にも医師法にも拘束されません。応召義務すら彼にはありません。
ブラックジャックを無免許医として設定したのは天才手塚の面目躍如たるところです。ブラックジャックが面白いのは、単に彼が天才外科医だからとか金にうるさいからとかではなくて、究極的な技量を持つ医者が社会的な束縛を受けなかったら何ができるかを極北まで追求できるからだと思います。あるいは、そのブラックジャックをさえも束縛するようなものがあるとすれば何か、を考えることが、かなり深遠で根源的な思想につながっていくからだと思います。
ただブラックジャックが社会的な束縛を一切受けない無免許医である故に、脳死と臓器移植を巡る議論で彼に登場されては困る向きもあるはずです。当時の脳死と臓器移植を巡る議論の文脈では、厚生省に公式に招かれた漫画家にこういう作品を発表されては、推進派はこういうことをやりたいのだなという憶測をまねき、まさにこういう事態が生じるのを避けねばならんのだという意見が勢いを増すでしょう。脳死移植を推進したい立場の人々にとっては、この作品はあまり人目に触れて欲しくないものであったはずです。
前の記事で私は手塚のミスと書きましたが、彼が一介の漫画家として完結している限りは、この最終話はミスではありません。些か尻切れトンボに連載が終わった感はありましたが。むしろ彼にミスを言うなら、脳死に関する当時の議論の如き、あらかじめ結末が決められた議論に巻き込まれてしまったことこそがミスだったと思います。