命令形のほうが快いらしい

自閉症の人に一般化できるかどうかは分かりません。うちの息子に限ることかもしれませんが、「依頼」されるのが苦手のようです。「命令」の形で語られる方がよいらしい。
「テレビを消して」と言われると「消せ」と言い直してから消す。「鉄道データファイル」の今週号を見せてよと言われると「見せろ」と言い直してから自室へ取りに行く。試しに命令形を使ってみると、言い直しはしません。言うことを聞くかどうかは言われる内容によりますが、依頼の言葉で頼まれたときに予想される程度の素直さで実行に移ります。その様子を見ていると、彼は命令形を使われたこと自体に立腹するということはなさそうです。むしろこちらのほうが、ふだん命令形の言葉で人に接するなんて軍隊的なことはしてないので、慣れなくて戸惑います。
親など目上の人からの依頼というのは実質的には命令ですから、実質的な命令を依頼の形で語られるのは彼の世界観では欺瞞的で許すべからざることなのかもしれません。あるいは、「依頼」されると自分の責任や判断で動くということになりますから、面倒くさい問いには悉く「選べない」という返答で済まそうとする彼には、その責任がたとえ形式的なものであったとしても、ストレスであるのかもしれません。
定型発達の11歳の男の子に下手に命令形で言いつけた日には臍を曲げること必定ですが、息子は違うようです。その点、横山浩之先生の「軽度発達障害の臨床」で述べられている、「自閉症で無い子どもに、自閉症の扱いをしてはならない。なぜなら、自閉症としての扱いは、自閉症でない子どもには、非常な苦痛になるからである。」という至言が当てはまるようにも思います。
そういえば、と此処まで書いて思い出しましたが、陸上自衛隊の幹部に登用された若い女性が、自分の父親ほどの年齢の部下(男性)に対して遠慮がちに依頼型で仕事の指示を出していたところ、部下から「命令形で語って下さい。そのほうがやりやすい」と要請されたという話です。この部下の人もまた息子と同じような心情だったのでしょうか。