金曜に当直して土曜に半ドンで帰って、今日は一日オフ。明日はまた当直。中二日をフルタイム勤務したり当直明けに自宅待機番に当たってたりってのもよくある話なので、今回のこのシフトは楽な方である。楽なのを幸い、色々と見聞を深めているところ。
「旧日本軍弱小列伝」には、旧日本軍の兵器が現代に信じられているよりも遙かに弱体なものだったと解説されている。零戦については私も蒙を開かれる思いをした。大和や潜水艦のコンテンツもこれから楽しみにしている。
サイトの本旨には外れるかもしれないが、私が一番衝撃を受けたのが、この言葉と写真。
「その堅牢な防弾装置は、いくら日本機に撃たれてもタンクに火はつかず、乗員すらも傷つかないと日本のパイロットを嘆かせます。それは、たとえ新米の乗る F6Fが、ベテランの乗るゼロ戦に大量に機銃弾を浴びせられて穴だらけにされても生還できるということを意味し、そして次にそのパイロットがゼロ戦と対戦したときには、彼はもうルーキーではないのです。」
ここまでぼっこぼこに撃たれて、それでも無事に帰り着いている。写真で見ると壮烈である。パイロットは余裕の笑みをうかべている。対して、零戦は操縦席にも燃料タンクにも防弾がされず、零式マッチと揶揄されるほどに発火しやすい機体であったから、ここまで撃たれて生きて帰れる見込みはない。現に戦史として、これは引用サイトに詳しいけれど、旧日本海軍は中国戦線で鍛えられたパイロットが失われて以降は、初心者パイロットがろくに戦闘経験も積まぬうちに次々と戦死し、いたずらに消耗を重ねるばかりであった。
俺らも零戦に乗って医療やってるんじゃないだろうかと思う。防弾設備もろくな無線装置もない時代遅れの戦闘機。ちょろっと被弾すれば一巻の終わりで、ろくに経験も積まぬうち戦力にもならぬうちに戦列を離れることになる。零戦には卓越した格闘能力があるんだから大和魂で弾丸などひらりひらりとかわすのだという思想だったと聞くが、これは個人の注意力で医療事故をひらりひらりとかわすのだという現代医療の精神論に通じる思想だと思う。先の大戦末期には、戦闘機の戦法は一撃離脱であって、いくら零戦のほうで格闘戦をやりたがってても敵はつきあってくれなかった。現代もまた医療のレベルは当時の米軍戦闘機のエンジン出力並にヘビーになってるんだから、こっちがいくら精神力でひらりひらりと事故をかわそうって意気込んでも、それはこっちの身勝手な発想である。
気をつけなくてよいとは言わない。気をつけるのは当たり前である。F6Fだって油断して乗れる機体ではなかろう。ただ実際に戦闘機に乗る立場としては、操縦席と燃料タンクは防弾してよねとか、銃弾を当てられやすい主翼の中に燃料タンクを仕込むなんて危ない設計はよしてねとか、そうやって安全性無視で稼いだ長時間の滞空時間に疲れ果て帰り道を見失って墜落なんていやだなとか、せめて最高速を出せば敵の巡航速度に追いつくくらいの出力のあるエンジンを乗せてよねとか、色々と希望はあるものだ。