暗いニュースリンク: ポール・クルーグマン:「私達の病める社会」
こういう未来を私たちは目指しているのか?日本がこういう状況になった時に、この2006年を振り返って、「あの頃の未来に僕らは立っているのかな?」なんて呟くのも間が抜けている。コイズミ流に突っ走る先の、これが必然的な未来だ。これこそが、「2006年の未来」だ。
月: 2006年5月
予想外の事態に冷静に対処する
朝のテレビで、本日の天秤座の人には予想外の事態が起こるから冷静に対処しなさいとご託宣があった。厭なことを言うものだと思った。何が起こるんだろうと思っていたら、昼休み、洗い立ての白衣の上に、プリンを一塊、ぼたっと落としてしまった。お陰様で慌てて立ち上がったりしなかったので、白衣の染みが最小で済んだ。
受け持ちの子が予想外の急変をしたり予想外の事故が起こったりするんじゃなくて何より。
床屋とクールビズ
今日は休日。当直でもなく自宅待機でもなく、病院から数分以内の範囲を出てもよい休日。世間一般の人たちが普通に休日という時に念頭に置かれる意味での休日であった。
まずは床屋に行くことにする。昼近くまで寝ていて、朝飯とも昼飯ともつかない食事をしてから出かけるので、たいがい床屋は昼下がりになる。夕方近くになると混み出すのである程度は早めに行くように気をつける。しかし一方で、昼下がりの床屋はNHKののど自慢を必ず流している。無駄口を叩かない床屋は希少だがまだ探せば見つかる。しかし日曜の昼下がりにのど自慢を流さない床屋に行き当たった試しがない。身動きならない状態で選択の余地無くのど自慢を聴かされるのは地獄の責め苦だ。仕方がないので日曜日に床屋に行くには必ず午後1時の時報を確かめる。
好きな人たちには申し訳ないが、苦手に理屈は無い。批判するとか嫌悪するとかいう水準じゃない。たぶんこれ以上聞きたくないものといったら自分が訴えられた医療訴訟の訴状の朗読くらいしかなかろう。幸いにもいままではそちらのほうは聞く羽目になったことはないけれど。
床屋の後はユニクロまで足をのばして夏物を買い込んでくる。クールビズという概念ができて、洋服屋も嬉しいかも知れないが私も大変嬉しい。堂々と職場へ涼しい服を着て行ける。どうせ出勤後は上着もズボンも白衣に着替えるんだから行き帰りの併せて20分程度しか着てないんだけれども、でも遊び着で通勤するのも年取ってくるとけっこう辛い。
あとは帽子の復活だよなと思う。仕事にかぶっても可笑しくない帽子。中折れ帽はスパイ劇画とともに滅んでしまったけれど。
新館は3階建て
当院は傾斜地に建っている。とくに旧館はもともとは旧財閥の別荘だったもので、相応に高いところにある。昭和初期にお抱え運転手つきの自家用車を運用できた人々向けの建物である。眺めは良いが徒歩で到達するのはかなり辛い(それとも昔の人はこの程度の坂は普通に登ってたのだろうか)。少なくとも、旧館まで歩いて登れた人なら、心臓にも肺にも足腰にもそれほどたいした病気はなかったはずだ。
敷地は表側が一番低く、奥へ向かうにつれ急勾配に高くなる。新館は最も表側の、敷地のいちばん低いところに建てられた。しかし旧館と渡り廊下で繋いだ際に、互いの階の呼称を強引にそろえたものだから、新館は地上3階地下3階の建物ということになり、新館の玄関は「地下2階」になってしまった。地下1階の外来には広々とした窓があり、大文字山麓の眺めがとてもよろしい。奇妙な感じはするのだが、たぶん、この近在に5階建ての建物を建ててはまずいとかいった、こどものおいしゃさんには分からない事情でもあるんだろう。
なかなか満床にならない、と、スケールメリット実感中
NICU認可病床数が6床から9床になったら、なんだか入院を引き受けても引き受けてもなかなか満床にならない。片端から入院を引き受けても、次々と赤ちゃんたちは回復して保育器を出てしまい、回復室へ母児同室へと移ってゆく。6床だった頃は毎日の空床数にずいぶん敏感だったが、新館では二つ返事で引き受けている感じ。入院依頼の外線が入ったら、センターテーブルから周りをぐるっと見回して、あ、あの保育器あいてるじゃないか、あそこ行こう、てなもので。
医師数も増えたので、NICU入院中の赤ちゃんが増えても仕事の分担が増えたような気はしない。むしろ、当直明けでぼさっとしてたら自分の知らないうちに受け持ち患者さんの仕事が進んでいたりする。各々の患者さんにそれぞれの医師が気を配ってるので、診る目が二重三重になっている。私がくたびれている間も、誰かが私の患者さんを診ているということだ。安心でよろしい。年中無休24時間営業の集中治療室なんだからそれが当たり前のことなんだけれども、昔は私がくたびれた時点でNICUのスピードが全体に落ちてたもんだがねえ。遠い目になったりしている。
訴訟社会もここまできたか・・・と思ってたんだけど
大仁田議員側に賠償命令、興行プロレスと異質な暴行と認定
試合直後の場外乱闘でけがを負ったとして、プロレスラーの渡辺幸正さん(39)が大仁田厚参院議員(48)とセコンドを務めた元プロレスラーの中牧昭二秘書に1500万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は28日、秘書による暴行を認定し、大仁田議員側に78万円の支払いを命じた。
野村高弘裁判官は「中牧秘書は、倒れた姿勢で無防備の渡辺さんの顔を力任せにけりつけた。観客に見せる興行としてのプロレスとは異質な暴行。大仁田議員にも使用者責任がある」と認定した。
判決によると、渡辺さんは「セッド・ジニアス」というリングネームで、2003年4月、東京都内で大仁田議員らとタッグマッチで対戦。試合後、渡辺さんが大仁田議員をけろうとして乱闘になり、中牧秘書から左目の周辺をけられ、頭部外傷などと診断された。
野村裁判官は試合の勝ち負けなどについて「事前の取り決め」があったと認定。その上で「渡辺さんの行為は事前の打ち合わせにない行き過ぎで、秘書にもやむを得ない部分はあった」との判断も示した。〔共同〕 (23:00)
偽装を知らなかったってのは案外本当なんじゃなかろうか
ヒューザー・小嶋社長ら詐欺容疑で逮捕 耐震偽装事件
2006年05月17日20時20分
耐震強度偽装事件で、警視庁と千葉、神奈川県警の捜査本部は17日、強度不足と知りながらマンションを販売したとする詐欺容疑で、マンション販売会社「ヒューザー」(東京都大田区、破産手続き中)社長の小嶋進容疑者(52)を逮捕した。同様の事情を認識しながら建設したホテルの工事代金を受け取ったとして、同容疑で「木村建設」(熊本県八代市、同)社長の木村盛好(74)、元専務の森下三男(51)の両容疑者を再逮捕した。捜査は欠陥建築物に対する刑事責任追及の核心に入った。3人は容疑を否認しているという。
小嶋氏にせよ木村氏にせよ、偽装を知らなかったってのは案外と本当のことなんじゃないだろうかと私には思える。だから免罪しろとかいう価値判断を絡めるわけではない。知ってたか知らなかったかという事実関係を単純に問うた場合、案外と、本当に彼らは知らなかったんじゃないかと。
たぶんに彼らは、根性論で部下を締め上げただけではないかと思う(だけって言っても、免責されるわけではないと再度言っておく)。たたき上げで会社を興して上り詰めた云々の自負を、お二人とも各々強烈にお持ちなのだろうと推察する。そこから「根性据えたらカラスも白い」みたいな無根拠な精神論に飛躍してしまって、建設のコストを際限なく削ろうとした「だけ」なんじゃないかと思える。
無理だと上申する部下は根性無しと罵倒し(鉄拳さえ飛んだかも知れぬ)、逆らえぬ立場の面々がついに要求通りの数字を出してきたら、「今までのお前たちには根性が足りなかったのだ」「俺が言うとおり根性据えたら不可能は無いじゃないか」云々とご満悦だったのではないか。得意になって「経済設計」などという造語までしてしまったんじゃないか。
その設計がルールに則ったものかどうかと気遣う発想は、たぶん、彼らの思考には縁遠いものだったのだろう。それに、ルール違反の設計を出してしまった下々の面々が、いまさらそんな上司に「実はこれルール無視でして」などと上申する訳も無いし。
そんなこんなで、偽装が発覚した時に彼らは確かに、自分たちこそ裏切られたのだという思いに駆られたのだと思う。足元を掬われたような気分なのだろう。自分こそが被害者だと小嶋氏は語っていると伝え聞くが、その台詞は今後の法廷論争の布石をしているわけではなく、案外と本心なんだろうなと思う。さきの戦争に負けた後の旧軍上層部の面々も、あんな感じだったんじゃなかろうか。
上層部が論理を弁えぬ精神論をもって実現不可能なスペックを要求し、技術的に不可能だという当然の反論を強権で抑え、怯えた部下は技術者の倫理を捨てて単に数字あわせの空虚な設計をする、その結果としてその製品を運用する現場が大迷惑する、挙げ句にぼろが出て総倒れする。「旧日本軍弱小列伝」で語られた、旧軍の戦車や零戦の開発時に起きた悲喜劇が、今回もまた繰り返されたというように、私には見える。
結局彼らは、ずる賢かったんじゃなくて、単に無知無思慮なわりに強欲の度が過ぎただけだったんだろうと思う。罪深いことには変わりないんだけれどもね。彼らが思ってたほどには世の中は精神論で動くもんじゃなく、さらに言えば、自分で思ってたほどには彼らは賢くなかったってことだろう。自分の無知に責任をとるかどうか、それは本人の倫理観の上品さ次第なんだろうけど。
それにしても、いま日本では医療費を削減するのに政府与党が躍起になってるけど、「経済医療」なんじゃないだろうねと思う。根性据えたら医療費は安くなるとか思ってないだろうね。「経済医療」だったとして、だ、小嶋氏らみたいな、責任とって詰め腹を切る立場の人は居るのかね。「経済医療」にはたぶん私ら臨床の医師も詰め腹切ることになるんだろうけどさ、それは建築士の姉葉氏的な立場でだよ。「経済医療」の小嶋氏の立場で、腹を切るのは誰かね。誰も居そうにないと思うのは、私の僻みかね?
医師志望の10歳男子に君は何を語れるだろうか
昨日は外来の新人歓迎会があって、私も出席してきた。
外来には子持ちのスタッフが多い。裏を返せば当院の病棟は子どもがいるスタッフには勤務困難であるということで悲しいんだが。今回の宴会もお子さんをお連れのスタッフが多かった。鉄板焼きで朝鮮料理を食わせるという趣向の店だったが、予算の関係でか、焼きそばとかもんじゃ焼きとか、みょうに炭水化物ばかりが多かった。こどもたちにはタンパク質も喰わせてやりたいものだと思った。
中に10歳の男の子が来ていて、喋ってみると愉快であった。頭のよい子がタフな両親の元で真っ直ぐ育った、実に気味の良い少年であった。医者志望なんだそうだが、今はサッカーやブラスバンドやと、いろいろ勉強以外に熱中しているらしい。その語り口を聞いていると、日常を心から楽しんでいる様子で、斜に構えたところがない。普通に喋れる10歳男子と語るってのはこういう気分なのかと新鮮な気分であった。些か羨ましくもあったことも白状しなければならぬ。
医師志望の彼に、何か動機付けとか強化因子になるような面白い話をしてやれれば良かったのだが、やっぱりそういう話は普段からやり付けていないとなかなか難しい。情けないことに医者の話はほとんどできなくて、ブラス小僧の彼に、誰のなんという交響曲であったか、長大な交響曲にたった1発の出番をじっと待つシンバル奏者の話なんてしてしまった。やれやれである。10歳の子に自分の職業の魅力を話して尽きないようでなければ、なかなか新人を小児科に勧誘するなどという大それたこともできまい。
それにしてもね、医者が激務だとか医療が崩壊だとか色々言うけれどもさ、医者という仕事の魅力を語れないのにそういうマイナスな話ばっかりだなんて、この子に恥ずかしいやね。もっと、このブログを読んで下さる方々が新生児科を羨んでくださるような、ポジティブな話をもっとしたいもんだねと思った。
相手が10歳男児じゃなくて25歳研修医だったにしてもね。帰れねえ寝られねえ系の「生活の質」とやらの苦労は駆け出しでも理解できるだろうけれど、じっと2ヶ月NICUで診てきた超未熟児がいよいよ退院間際になった時に、むずかっていたのを抱き上げたら自分の懐の中でふっとくつろいでくれたときの気持とか、何科でもその科に特有の「報われる瞬間」ってのは必ずあるはずなんだけど、その感動の深さはたぶん駆け出しにはわからない。そういう仕事の魅力を知った医師がそれでも激務故に辞めざるを得ない無念さと、駆け出しが単に「生活の質」を求めて易きに流れるのとは、決して同一の話じゃない。でも、そういう仕事の魅力を、経験積まんとわからんだろう等と言って照れ半分で語らずに済ませていては、産科なんて小児科なんてきついばっかりだぜと他科へ流れる研修医たちに、私たちの仕事がよほど干涸らびたやっつけ仕事なんだろうぜ等と詰まらぬ誤解を与えることにもなるんだろう。
働くヒーローとしての機関車トーマス
息子は朝からBSフジで機関車トーマスを観ている。たぶん、ようやく機関車トーマスのストーリーを鑑賞できるようになったのだと思う。昔からトーマスは嫌いではなかったが、それは機関車の蒐集を楽しむ鑑賞だった。プラレールのトーマスシリーズを集め、「トーマス大百科」を眺めるたぐいの。何にしても世の中に楽しめるものが増えるのは幸せなことだし、トーマスを観るためにきっぱりと早起きする習慣がついてくれて親としても便利で嬉しい。私も出勤前にお相伴して観ている。「じこはおこるさ」という挿入歌には参るが、総じてとても楽しい。
機関車トーマスは、子どものヒーローとしては稀な、「よく働くヒーロー」である。「役に立つ機関車」であることを誇りにしている。失敗もするが励まし合って再起する。「悪い奴らをやっつけるヒーロー」ではないのがとてもよい。悪役も出るには出るが、トーマスシリーズの悪役はレギュラー陣に退治られるのではなく、仕事が甘かったり態度が悪かったりして居場所を無くした結果として退場してゆく。
彼らは日々の仕事をおのおの勤勉に働く。高出力のテンダー機関車が急行を引き、小回りのきくタンク機関車が支線を走り、入れ替え作業もする。古くなった機関車も、豊富な経験を生かして扱いにくい貨車たちを上手に扱う。それぞれがそれぞれの仕事に誇りを持ちながら、違う仕事をする仲間をお互い尊敬しているのが、とてもよい。「働く」ということがどういうことか、子どもたちに教えるのに、機関車トーマスシリーズは優れた資料である。
寡聞にして、トーマスとその仲間たち以外に、「勤勉」を最大の徳とするヒーローを知らない。たぶん、色々なヒーロー思想があっていいのだろう。子どもたちのヒーローの皆が皆、勤労を徳義とするヒーローだったりしたら、それはそれで随分と息苦しい状況だろうと思う。そういう状況では息子はどちらかといえば肩身の狭い思いをすることになるだろうし。しかし一方で、トーマスたちくらいは、自分が役に立つ機関車であることを単純に尊ぶヒーローがあってもいいと思う。
むろん負の教訓もある。「仕事の機械には半端な人工知能を載せてはいけない」というのが機関車トーマスシリーズの教訓である。(ちなみに「間違って押してしまう位置には自爆スイッチをつけてはいけない」というのがタイムボカンシリーズの教訓である)。でもまあ蒸気機関なんて、操作する側から見れば、まるで何か考えてるんじゃなかろうかと思えるくらいに不安定な機械なんだろうなと思う。石炭投入の技術ひとつで出力が変動するとも聞いたことがある。蒸気機関車を擬人化するのは案外と、昔の機関士たちには日常的な発想だったのかもしれない。
修学旅行
息子が広島に一泊二日の修学旅行に行ってきた。
全学年が一教室にいる障害児学級のありがたさで、6年生の先輩たちが毎年修学旅行に行くものだから、6年生になったら広島へ新幹線で一泊旅行に行くものなのだと、数年前から納得していたらしい。
スケジュールを見たら、広島まで新幹線で移動し、広島では広島電鉄で宮島口の旅館へ移動だそうで。ふつう観光バスをつかうもんじゃないかとは思ったけれど、テツな息子は楽しんだことだろう。まあバスでもそれなりに楽しむけれどもさ。
問題は原爆関連の学習である。被爆者のかたのお話しを伺うなど、自閉症児にはかなりの難関だろうなと思った。せめて他の子たちの邪魔をさせないようにと、妻が大量に折り紙を持たせた。静かに没頭できる趣味をもってると役に立つ。
お約束通りに「もみじ饅頭」を土産に買ってきた。妹には宮島のしゃもじ人形携帯ストラップを買ってきた。たぶんに校長先生か誰かの入れ知恵なんだろうけれども、こういうときにお約束どおりの土産を買うというのは大事な勉強だと思う。