終末のフール
伊坂 幸太郎 / 集英社
ISBN : 4087748030
あと3年で世界が滅ぶという状況で、それでも幸せだと言い切る人として、重い病気のお子さんを持った父親が登場する。
「小惑星が降ってきて、あと三年で終わるんだ。みんな一緒だ。そうだろ? そりゃ、怖いぜ。でも、俺たちの不安は消えた。俺たちはたぶん、リキと一緒に死ぬだろ。っつうかさ、みんな一緒だろ。そう思ったら、すげえ楽になったんだ。」
もしも3年後に世界が滅ぶとなったら、息子に将来の就労とか自立とか言うことを考える必然性がなくなる。そうなったら息子にどうするだろうかと自問してみる。育成学級にやるのを止めるだろうか。好きな折り紙や工作や機関車に没頭させて過ごさせるだろうか。
障害児教育は将来の就労のために現在を犠牲にするばかりのものではなかろう。その子が成人するまでに世界が滅亡するとなったら継続する意味を失うような、そういう、現在のその子に対して意味を持たない療育なら、たとえ世界が滅びなくとも、あんまり価値が高くはなさそうな気がする。
実際には自閉症児への教育は、そのまま現在の生活への支援であって欲しいものだと思う。定型発達の多数派が運営する文化の中で、現在を暮らしやすくすることが、そのまま将来にも繋がるようなもの。 TEACCHにはそういう理想があるんだと思っている。だから、例えば3年後に世界が滅ぶとなっても、その3年間のためにTEACCHプログラムは続くんだろうと思う。そして、もしかして滅亡が誤報であって世界が存続するというどんでん返しがあったとしても、それほど大きなぶれは生じないだろうと思う。
そうは言っても、やっぱり将来の就労を考えなくて済むってのは気楽だろうなと思う。一種の麻薬的な誘惑を感じてしまう。生活を覆うもやもやのかなりの部分が拭い去れそうに思う。シンプルに現在の息子の良さだけを見て生活できそうな気がする。案外とそれは幸せで貴重な日々になりそうな気がする。自分も案外とこの(土屋さんという)お父さんと同じような幸せな気分を味わうかもしれない。自己憐憫で潰れさえしなければ。そして、もしも小惑星衝突が誤報だったとして、その結果息子の就労の問題が現実の懸案事項として復活してきても、そうした幸せな日々を過ごしてこられたら、それを糧に十分に対処できるような気がする。