夜を行け

路上教習2日目。夜の烏丸通りを南下、丸太町で東へ。実は新生児搬送ではよく走るコース。また京都第二日赤病院への道でもある。なにせ左手は御所の垣根が続く道。商店でも住宅でもなく、路上駐車が比較的少ないので緊急車両は飛ばしやすい。
しかし緊急灯もサイレンもないってのは辛い。辛いって普段救急車を運転してる訳じゃないんですがね。でも、けっこう路上教習者に対して世間の人は優しいような気がする。予想以上に、道を譲って頂くことが多い。妻に言わせれば、それは逃げてるだけだと言うんだが。救急車に対してもこれくらい道を譲って頂ければなお有り難い、とか、そういう嫌味を言ってはいけませんね。
今日の先生も穏やかな人で、私の酷い間違いもいちいち感情をこめず指摘してくれるので楽だった。権威側が負の感情を表に出さないのって結構大事なんだなと思う。今後の診療にも教訓になりそう。
世間話のついでに職業がばれてしまって、学科教習の応急処置の時間が免除されることになった。いや、どんなことするんだろうと思って興味津々だったんですけどね。先生のほうで勘弁してくれと仰る。いやあ小児科ですからそう分かってる訳じゃないんですよと申しあげたんだが固辞された。ふだん私が心肺蘇生してる患者さんは体重3kg止まりだし多発外傷も負ってないんですけれども。でもそれ以上言うと自分がどれだけヤブかを誇示することになりそうで、なんだか引っ込んでしまった。残念なような。
でも免除のための正式手続きには医師免許を見せなければならないらしい。あんな大きなものどうやって持ち歩こうか。それなりに貴重なものだから折り曲げたくないし。
  路上教習3時間終了。仮免許失効まであと167日。

路上教習初日

午後のオフを利用して路上教習初日。曇天の午後3時から5時。
18年前に初めて教習に通ったときに比べて、教える態度がずいぶん丁寧になったように思った。面倒くさいし医師という職業は明かしていないのだが、それでも20歳そこそこの若造よりは丁寧に対応して頂いたのだろうか。こんな歳になってという多少の哀れみも込めてではあるが。それとも教習所という業界もまた、我々医療の業界のように、無神経で尊大な態度というのが次第に駆逐されつつあるのだろうか。ふつう、同じ人間が2回3回と通うところではないので、業界外からそういう傾向と対策を観察している人は稀なんだろうなとは思う。
まともにAT車に乗ったのは初めて。停止の時にクラッチペダルを踏まなくてよいだけで随分と楽だ。昔はMTのマーチに乗っていたのだが、こんな楽なら当時からATにしておくべきだった。ただエンジンブレーキの効きが弱いのには戸惑った。アクセルを離しても期待通りに減速してくれない。逆にアクセルをちょっと踏むと急発進する。これはATがどうMTがどうというより、10年間での加速性能の進歩なのかもしれない。そんな危険なめには遭わなかったものの、AT万歳というわけにはいかなかった。まあ、慣れなんだろうけど。
速度の感覚はけっこう憶えていた。状況判断については色々とアドバイスされた。その言い方の一つ一つが、落ち着いた口調で分かりやすい言葉を選んでのもので、18年前とは隔世の感があった。たった18年では人間そうそう丸くはならないものだし、やっぱり業界の方が丸くなってるのだろう。ただ、頂いたアドバイスは昔の自分でもとうてい出来ていなかったことばっかりではあった。こんな車の多い道を走ったことないもの。湖西の、対向車もたまーにしか通らない見晴らしのよい道を高島から今津までかっ飛ばしてたくらいで。
先日の駐車違反の取り締まり強化が僥倖だったと思う。路上駐車の数がかなり減っている。新生児搬送にも有り難いことだが、教習にもかなり有り難い。
仮免許失効まで、あと168日。

女医さんがいっぱい

いまのNICUは女医さんだらけ。NICUで実働する男性は実質的に私だけのような気もする。部長や顧問の先生は常在って訳にはいかないし。
若手も、新しくこられた女医さんも、スーパーローテートで京大から来た先生も、みんな女医さん。女医さんが働きやすい環境と世間では言うが、うちではもう、私のほうが女医さんに働かせて頂く環境となりつつある。
私は研修医時代から女医さんに囲まれて育ったようなものだ。初期研修で同期の小児科研修医は3人で、私以外は女医。後期研修で赴任した先の小児科常勤医は3人、上司は2人とも女医。この後期研修で彼女たちに教えられて一番驚いたことが、医者にも「定時に帰る」という概念があるのだということだった。それはともかくも。
別に定時に帰るのは全然構わない。この子はこれこれだから宜しくと、病態分析と治療計画をきっちりカルテに書いてあれば、時間外のカバーはそれほど苦にならない。他人に任せられるだけの態勢を整えたうえできっちり任せるというのも、主治医の責任の取り方のうちだと思う。なにも、ずるずるべったりに24時間365日つきっきりになることだけが主治医の理想ではないと思う。

PIダブル、肥後守、その他

今日は休みだと思って朝寝していたら呼び出し。超低出生体重児に点滴がとれないから来てくれとのこと。起きて顔を洗って出向いてみる。若手が憔悴しきって出迎えてくれる。当直明けの早朝に超未熟児の静脈ラインが潰れたりしたらたしかに私でも憔悴するだろう。うら若い女性に外観がやつれてるとは言いにくくて、言葉に詰まったまま処置に取りかかる。まあ、私が朴念仁なのはもう分かってることだし。私だって起き抜けの酷い顔をしていただろうし。
500g程度の赤ちゃんだが、今日はなんだか失敗する気がしなくて、じっさい一撃で入った。不安を感じないくらい寝ぼけてたんだろうか。客観的に考えれば、若手が失敗してたのは「入る静脈を見つける」ことだったのだが。私が足首の血管を浮き上がらせてみせたら、彼女もあっという顔をしたし、たぶんそれは分かっただろう。でも今さら譲るには彼女の消耗は度が過ぎていた。
PIカテーテルのピールオフ針を初めて使った。ロングカテーテルに付属のこういうピールオフ針は、サーフローやアンギオキャスといったショートカテーテルに比べて、先端のカッティングが粗雑で使いにくい。今回はPIのダブルルーメンを入れる必要があって、PIもダブルだと24Gのサーフローには通らないから、仕方なく、怖々とピールオフを使ってみた。結果的には成功したし、以前使った時よりは使いやすくなったような気がしたけれど、まだまだ改善の余地はあるように思う。
カテ先の位置をX線で確認してから帰宅。今度は家族揃ってニックホビーショップへ行く。けっこうNICU業務に使えそうなものも売ってある。ただ、こんなものがあればいいなと搬送中なんかの急場に思いついても、急場のこととて数秒後には忘れてるから、実際に店に来てみると、なんとはなくものを買いそびれてしまう。
カッターナイフの陳列棚に「肥後守」が売ってあった。子供の頃にはこの小刀で鉛筆を研いでいた。懐かしくて買ってしまった。一本500円。子どもの頃は100円で買った記憶があるのだが。ただ昭和50年代にはもう肥後守なんて年配の先生が思い出話に語るだけのもので、実際にそれで鉛筆を研いでいたのは私くらいだった。
息子に鉛筆を研いでみせたら、ひょいと鉛筆削り機を寄越してくれた。親切といえば親切なんだけど、父がナイフで研ぐのにこだわっているようだとは推測できなかったらしい。
左手の薬指と小指で鉛筆を保持し親指で刃を固定するわけだが、片手のなかに二つの物体を保持して別々に操作するってのは器用に手を使うということの第一歩なんだけれどもね。何とはなく、未熟児の下顎と喉頭鏡を左手だけで各々操作することにも通じてるような気がする。

起訴が妥当か

明石歩道橋事故、元署長ら3度目「不起訴」…神戸地検
当直明けに読売新聞で読んだ。社会面では遺族の皆様の不満の声が大きく取り上げられていた。その取り上げられ方が大きくて、なんだか読売新聞は「不起訴の決定はこの遺族の声を無視しているから不当だ」と主張しているかのように感じられた。
常に不慮の事故と隣り合わせの商売柄、起訴不起訴の決定を遺族感情で左右するのってどうなのとは、我が身に引きつけて、ちらっと考えた。遺族がお怒りだから起訴と決められては医療紛争は片端から刑事事件になるから。やっぱりそこは是々非々、捜査のうえで得られた証拠などから客観的に判断して、業務上の過失があれば業務上過失致死傷なんだろうが、過失がなければ不起訴にするのが当然だと思った。いや、実際の捜査内容がどうだったかは分かりませんから、今回の不起訴が結論として妥当だったのかどうかは申しませんけれどもね。捜査してみて、どう見てもこりゃあ罪に問えんぜと思ったのなら、でも被害者の声が大きいから起訴しないわけにもいかんし・・・という逡巡はしないもんじゃないかなと。
検察ってどういう立場に自らを置いておられるのだろう。ある程度は遺族や被害者と距離を置いて、「社会正義」の損なわれたところを修復するべく活動されておられるのか、それともとことん被害者の代弁者として加害者側の弁護士と対立するのか。慣れない法律談義で言葉に苦労してますが、なんと言いますか、彼らのこういう起訴・不起訴の決定とか、起訴した上での求刑とかが、それなりに「こんなところがお天道様に恥じないところじゃないでしょうか」と中庸を得ようとしているのか、あるいは中庸を得るのは裁判官の仕事と割り切って、彼ら自身はとことん加害者を厳罰に処そうとしてるのか。大野病院の事件をみてると、段々と後者のほうへ舵を切ってるんだろうなと思っていたのだが。
しかしね、よく記事を読んでみたら、この人らの部下は起訴されてるんだった。
なんだか複雑だ。この人らって、医療事故の現場にいたスタッフではなく、院長やら理事長やらの立場にいた人じゃないか。
実は県立大野病院事件で報じられた、同院の院長先生の行動にはかなり腹立たしい思いをしている。手術開始の1時間後には院長先生は手術室に入っていた。そして「加藤医師に、ほかの医師の応援を頼んではどうかと提案している。加藤医師の返事はなかったという。」ということなんだが・・・・私の正直な感想としては
あんた医者だろ?院長だろ?子どもの使いじゃないんだろ?
応援が必要だと思ったら自分の判断で応援を呼べよ。輸血だって院長の権限で20単位だって30単位だって発注しろよ。手術室からふらふら出て行かんと医者ならその急場で何かすることないのかよ。せめてご家族を放っておかず院長の立場で状況説明しておけよ。「予期せぬ出血から救命しようと主治医は懸命に手を尽くしております」とか、この時点で申し上げてあったら、加藤先生に対するご遺族の感情も違ったものになってたかもしれないのに。
最近拝読している「医療崩壊」(小松秀樹著・朝日新聞社)に、下記のような一節がある。

自治体病院長の任命権は首長にある。自治体病院長はしばしば首長に近づき、友人となる。一部の自治体では、院長になるための追加条件がある。たとえ無茶なものであっても、患者の要求をそのまま医師に要求できる能力を持つことである。病院長が一方的に患者の立場に立つことは論理的にあり得ない。それは、病院の立場を放棄することで無責任と言わざるをえない。患者の言い分を十分に聞いて理解し、病院の立場から責任を持って誠実に答えるのが院長の役割である。しかし、自治体病院で、首長がきもいりで政治任命した病院長は本当に患者側に立ってしまうことがある。患者の立場に立つ態度を院長があらわにすることを首長は喜ぶ。票になるからである。ところが、院長は自分で診療することが不可能になる。自分の要求することは自分の能力ではできないからである。あるいはリスクを伴うという医療の本来の性質と矛盾するからである。患者の立場に立つ院長はクレームの責任を現場の医師に押し付けようとする。現場の医師は、支えてくれるはずの院長が患者と一緒に無茶な要求をすることに驚愕する。かくして医師は士気を失い、病院を去る。(p168より)。

自分がトラブルシューターであるということを常に意識する

うまくいったお産には私たちは呼ばれない。
それを忘れてはいけないと、肝に銘じる。
私たちが呼ばれるのは、「うまくいかない可能性が他より高いお産」「現実にうまくいってないお産」「お産そのものはうまくいったけど赤ちゃんの様子が何かおかしいお産」、いずれにしても、トラブルの要素が何もない限りは新生児科の出る幕はない。
街に私の知らない子がどれだけ歩いていることか。いや、偉そうに言いますけど、京都市北部でお産にトラブルがあったときに私の顔を見る確率ってけっこう高いんですよ。でも、例えば新聞の「お誕生日おめでとう」みたいな赤ちゃんの顔写真記事を拝見するたび、毎日こんなに俺の知らんところで赤ちゃんが無事に生まれてるんだなあと、変な感慨にふけることもありまして。
お産のトラブルで産科の先生に呼んで頂くと、つい、「非道いお産しやがって」と産科の先生を責めたくなることがある。呼ばれるたびにひどいトラブル起こしてる云々。でも、と考えてみる。トラブルがないと私たちは呼ばれない。呼ばれるたびにトラブルがあるのは理の当然なのだ。
それに、死産でも私たちは呼ばれないはずだ。彼らはあくまでも、私たちの到着まで赤ちゃんたちの生命を維持した「功労者」なのだという視点も、また、必要だと思う。その視点が足りないと、産科と小児科が仲が悪い云々という情けない事態を巻き起こす。
私たちが呼ばれたトラブルありの分娩1件の陰に、私たちの手に触れないトラブルなしの分娩が100件も200件もあるいは1000件もあり、その全ての分娩を拝見して居れば、おそらくは、私がいま産科に対して抱いている感情よりも、はるかに、私は産科に対して好印象を抱くことになるだろうと思う。そりゃあね、三宅廉先生を追い出すなど京都の周産期はことさら暗黒の歴史が長いんですけどね。でも、たぶん、産科の連中は私が思うよりもよい仕事をしているはずだ。

自動車学校へ入校

当直明け。NICUは平穏であった。外来も数名拝見したが、明け以降に引っ張る重症例は無し(無いはず・・・あったら誤診だ)。当直の夜は、その夜が締め切りの仕事がない限りは「強い意志をもってひたすら寝ておく」ことを信条としているのだが、今回は拍子抜けした。めでたいことではある。
朝から休暇を頂いて自動車学校へ。今後は余暇に片づけるつもりだが、入校の日だけは土曜日の午前中と指定されたのでしかたない。NICUが平穏であるのが返す返すも幸運であった。がさがさと採血して申し送りして、8時半に病院を出る。朝日が眩しい。
入校は、諸々の仕組みの説明を1時間聞いて、次の1時間で適性テストみたいなのをやっておしまい。教習の仕組みは複雑である。法律でそう決まってますという文言が何回も挿入される。どの業界も堆肥のように過去の行政指導が積み重なって独特に発酵していると見えた。適性テストでは「私は我慢強い」○か×か?みたいな他愛ない質問に混じって、幻聴の有無をストレートに訊く質問が素知らぬ風で挿入されたりして驚いた。
今は教習も空いているとのことで、次は水曜日の午後に2コマ連続での路上教習が予約できた。そんなに体力気力が持つのだろうかと後になって心配ではあるが。大学が夏休みにはいると混み出すから予約がなかなか取れなくなるんだそうだ。そういえば私も夏休みに取ったしな。
でもまあ、全国探しても自動車学校に常勤医が通ってるNICUってうちくらいだろうな。
「運転免許」タグの記事に関して「ほんとはヒマなんじゃないの?」という意地の悪いつっこみは無しってことでひとつよろしくお願いします・・・ええ、今はほんとにヒマなんですが。

過去の記事に関して

久々に過去の記事へのコメントを頂きまして考えていました。
追い詰められていたものだと、過去の拙稿を読み返して思います。当時の状況を思い返しても、今と比べれば以前の自分は追い詰められていました。今はそう思い返せるくらいのゆとりができてきたのですが・・・当時からすれば技量的にもまた上達しているはずなのですが、それでも、当時の環境で働ける自信はありません。
当時と今の違いと言えば、まずは病棟の違い、それから医師数の違いです。この5月から新しい病棟が稼働し、NICU認可病床数が6床から9床になりました。たった3床のちがいではありません。認可病床数の違いはすなわち看護スタッフの数の違いです。新しい仕事が入って誰か一人がその仕事を引き受けなければならないというときに、それまで2人が2人分の仕事をしていた場合と、3人が3人分の仕事をしていた場合とを比較して、一人が2人分の仕事を継続するのと、2人が3人分の仕事を継続するという場合とでは大違いというもので。
認可9床になってから、病棟の繁忙が臨界をこえたことがありません。だんだんとお預かりしている赤ちゃんたちの重症度が総和として上がっていき、物理的な繁忙も精神的な緊張も上がっていくと、病棟の空気が、相転移するかのように、ある時点からふっと変わります。いわく言い難いのですが、あ、いま越えたな、と感じる瞬間があるのです。
この相転移が病棟の「室温」何度で生じるのか、病棟の設定や実力に応じてさまざまだと思います。この点を超えると、スタッフに笑顔が減り、アラームが消されるまでの時間が長くなり、赤ちゃんが「一人飲み」をすることが増え、冷凍母乳を持ってこられたご家族が前室に放置されるようになります。私は些細なことで周りに当たるようになり、看護師のため息が多くなります。ご家族も何となくそそくさと病棟を後にされるようになります。そういう時期にお預かりした赤ちゃんが、退院後に「こんなに大きくなりました」というご訪問を下さることは有意に少ないように思われます。
全国の病院で、この相転移を起こしたまま、それが常態となってしまった病棟が数多くあると思います。相転移を生じる前の状態をそもそも知らないという医療スタッフも多いと思います。そういう状態の病棟では、スタッフが心身をすり減らしながら、しかし能率良く仕事に打ち込めているわけではありません。以前の当NICUとて、けっして、良い意味での「力の限り」な仕事ができていた訳ではありません。全力で仕事ができてたら、むしろよっぽど楽だったと思います。依頼される片端から新生児搬送に迎えに行けてたら、紹介される母体搬送を一件も断らずにすんでたら、どんなに楽だったかと思います。

じーこが ほら おこるよ

サッカーを観るのも4年ごと程度の、代表選手の誰一人として所属チームを知らない私なのですが、しかし月曜夜のオーストラリア戦は観てました。そういや明日は休暇とってるじゃないかとか抜かして。べつに当て込んで休暇とったわけじゃないんですけどね。当て込むならワールド・ベースボール・クラシックのころに休暇とりましたがな(そしてその休暇で免許試験場いけてればと涙)。4番ファースト王の756号の時代に小学生だったんですからね。
オーストラリア戦といえば抑えのウイリアムスにくれぐれも注意とか思ってたら、本当に9回裏2アウトから彼が出てきたような試合経過。でもあのポテンヒットを相手がエラーしたような1点きりで勝ったと称するのもどうかねとは思いました。あんまり格好良くない。
それにしてもあの駒野さんですか、何回センタリング上げても誰にもシュートして貰えなかったあの人、苛められてるんですか?
翌日は日本中が落ち込んでるかのような報道ぶりでした。機関車トーマスにさえも日本の敗戦を悼む歌が放送されたりしまして。

じーこが ほら 怒るよ
           いきなり くる
          ちょうしのって やってると ばちがあたる

ま、歌われているごとく、「おちこまないで・・・じーこは怒るものさ」ということなんでしょうね。
NICUにも今のジーコジャパンより手酷い病状から立ち直って帰る子は何人もあります。
頑張りましょう。せめてサッカーボールよりも軽い未熟児たちが頑張るくらいには、ね。

「誤診列島」と三枚摺り

誤診列島―ニッポンの医師はなぜミスを犯すのか
中野 次郎 / 集英社
ISBN : 4087474275
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医療問題を扱っておられる弁護士さんがブログで激賞しておられたので一読した。この弁護士さんは文体に関して私よりも寛容であられるようだというのが第1印象。語り口は読むに耐えない。真面目な話題は真面目に話すものだと思う。編集者は何をしてたんだろう。語り口が全てだと喝破した構造主義者は誰だったか。でもまあ著者の人格を腐したところでその著書の誤謬を指摘したことにはならない。上品な私はこの問題をこれ以上は追求しない。
本書を通じて、「ニッポンではこうだと聞く。じっさい私が教えた医学生はこうだった。翻ってアメリカではこういう制度になっている。じっさい私が若い頃はこうだった。(だからアメリカの医療はすばらしい。ニッポンはダメだ)」という論調であった。じっさい、この人が伝聞された「ニッポン」と呼ばれる地域の医療情勢は悲惨だ。いったいこのニッポンという地域は地球の何処にあるんだろう。近寄りたくないものだ。私は日本国で医師をしてて本当に良かった。でもアメリカでも、そんな素晴らしい医療を行えてる国から漏れ伝わる悲惨な状況ってのはどうなのよと思うけど。
むろん、本書のニッポン医療批判を、われわれ日本国の医師も、他山の石として参考にするべき点は多々ある。特に、アメリカの開業医は病院に患者を入院させた後も自分が主治医として治療を続行するというが、この制度が医療の水準を維持するのに一役買っているという。この点が最も興味深かった。病院もどの開業医からでも引き受けるというのではなく、ある一定水準の診療能力を持った開業医と認めない限り入院特権を与えない。どこの病院に入院特権を持ってるってのが開業医のステータスなんだそうだ。
リスクマネージメントな面もある。病院としては、ヤブな開業医のヘボい外来診療のツケを払わされてはたまらない。開業医もまた、自分の患者を入院させた病院で事故を起こされては堪らない。互いに外部の眼で監視することになる。実際に何かあったら、その責任の所在を明らかにしないと自分に火の粉が降り掛かるのだし。
ようは「三枚摺り」なんだよな、これ。完璧な平面を作る方法ってやつ。平面を作るには素材をすり合わせて凹凸を取り除けばよいのだが、二枚ですり合わせると片方が凹・他方が凸の曲面になるかもしれない。でも素材を3枚用意して、どの二枚を選択してすり合わせてもきれいにすり合うように加工したら、そのすり合わされた平面は完全な平面になる。