うまくいったお産には私たちは呼ばれない。
それを忘れてはいけないと、肝に銘じる。
私たちが呼ばれるのは、「うまくいかない可能性が他より高いお産」「現実にうまくいってないお産」「お産そのものはうまくいったけど赤ちゃんの様子が何かおかしいお産」、いずれにしても、トラブルの要素が何もない限りは新生児科の出る幕はない。
街に私の知らない子がどれだけ歩いていることか。いや、偉そうに言いますけど、京都市北部でお産にトラブルがあったときに私の顔を見る確率ってけっこう高いんですよ。でも、例えば新聞の「お誕生日おめでとう」みたいな赤ちゃんの顔写真記事を拝見するたび、毎日こんなに俺の知らんところで赤ちゃんが無事に生まれてるんだなあと、変な感慨にふけることもありまして。
お産のトラブルで産科の先生に呼んで頂くと、つい、「非道いお産しやがって」と産科の先生を責めたくなることがある。呼ばれるたびにひどいトラブル起こしてる云々。でも、と考えてみる。トラブルがないと私たちは呼ばれない。呼ばれるたびにトラブルがあるのは理の当然なのだ。
それに、死産でも私たちは呼ばれないはずだ。彼らはあくまでも、私たちの到着まで赤ちゃんたちの生命を維持した「功労者」なのだという視点も、また、必要だと思う。その視点が足りないと、産科と小児科が仲が悪い云々という情けない事態を巻き起こす。
私たちが呼ばれたトラブルありの分娩1件の陰に、私たちの手に触れないトラブルなしの分娩が100件も200件もあるいは1000件もあり、その全ての分娩を拝見して居れば、おそらくは、私がいま産科に対して抱いている感情よりも、はるかに、私は産科に対して好印象を抱くことになるだろうと思う。そりゃあね、三宅廉先生を追い出すなど京都の周産期はことさら暗黒の歴史が長いんですけどね。でも、たぶん、産科の連中は私が思うよりもよい仕事をしているはずだ。
日: 2006年6月24日
自動車学校へ入校
当直明け。NICUは平穏であった。外来も数名拝見したが、明け以降に引っ張る重症例は無し(無いはず・・・あったら誤診だ)。当直の夜は、その夜が締め切りの仕事がない限りは「強い意志をもってひたすら寝ておく」ことを信条としているのだが、今回は拍子抜けした。めでたいことではある。
朝から休暇を頂いて自動車学校へ。今後は余暇に片づけるつもりだが、入校の日だけは土曜日の午前中と指定されたのでしかたない。NICUが平穏であるのが返す返すも幸運であった。がさがさと採血して申し送りして、8時半に病院を出る。朝日が眩しい。
入校は、諸々の仕組みの説明を1時間聞いて、次の1時間で適性テストみたいなのをやっておしまい。教習の仕組みは複雑である。法律でそう決まってますという文言が何回も挿入される。どの業界も堆肥のように過去の行政指導が積み重なって独特に発酵していると見えた。適性テストでは「私は我慢強い」○か×か?みたいな他愛ない質問に混じって、幻聴の有無をストレートに訊く質問が素知らぬ風で挿入されたりして驚いた。
今は教習も空いているとのことで、次は水曜日の午後に2コマ連続での路上教習が予約できた。そんなに体力気力が持つのだろうかと後になって心配ではあるが。大学が夏休みにはいると混み出すから予約がなかなか取れなくなるんだそうだ。そういえば私も夏休みに取ったしな。
でもまあ、全国探しても自動車学校に常勤医が通ってるNICUってうちくらいだろうな。
「運転免許」タグの記事に関して「ほんとはヒマなんじゃないの?」という意地の悪いつっこみは無しってことでひとつよろしくお願いします・・・ええ、今はほんとにヒマなんですが。